2015-01-01から1年間の記事一覧
1991年に、イズミルでトルコ語学校に通っていた頃、東京大学を退官されてからトルコ研究に来られていた老先生と知り合った。先生は、私の少々ずれた話もお聞きになり、「貴方の観察は面白い。トルコについて何か本を書いてみなさい」と勧めて下さったう…
先週、豚肉のソーセージとベーコンを買いにドラップデレまで行って、ついでに有名な老舗“アピック”で「イシュケンベ・スープ(牛の胃袋のスープ)」を食べるつもりでいたら、閉店していたので驚いた。もう3年ぐらい経つらしい。飲んだ後に食べると二日酔い…
2013年の12月17日、AKP政権閣僚の親族らが不正の疑いで拘束される。エルドアン首相(当時)は、この事件を、フェトフッラー・ギュレン教団のメンバーである検察官や警察幹部によって企てられた「政権打倒を目的とするクーデター」だと主張して、…
2004年12月、ラディカル紙でインタビューに答えたムラット・チザクチャ教授は、オスマン帝国をビザンチン帝国の継続であると主張しながら、以下の例を引き合いに出している。 「もしも、コンスタンティノープルが征服されていなければ、皇帝コンスタン…
トルコ軍は、PKK掃討のために、南東部の各地域へ1万の兵力を動員して、2人の准将がこれを直接指揮することになったそうである。これはもう内戦に近い状態かもしれない。ニュース番組の画面には、ディヤルバクルの旧市街で繰り広げられている「市街戦」…
“イエニ・イデアル”のソーセージとベーコン。ソーセージは焼いて黒ビールのつまみに、ベーコンはベーコンエッグにした。どちらも涙が出るほど美味しかったけれど、結構な値段だから、そうそう食べられるものじゃない。日本では、なんの有難味も感じることな…
数年前、何度か、ヨーロッパ側のドラップデレにある“イエニ・イデアル”という食料品店で、豚肉のハムやソーセージを買い求めたりした。やっぱりハムやソーセージは豚肉が美味しい。 それが、アジア側の外れのイエニ・ドアンへ越して以来、どうも足が遠のいて…
いつだったか、タハ・アクヨル氏がコラム記事の中で、次のようなアタテュルクのエピソードを紹介していた。ある日、アタテュルクが閣僚らと「トルコ語表記のラテン文字化」を協議していたところ、そこへ、当時はラテン文字化に強硬に反対していたイスメット…
昨日に続いて、またネットから視聴した“政権寄りの番組”による話題だが、先週の木曜日に放送された“アーハベル(A Haber)”の番組で、イスラム学者のエクレム・デミルリ氏が、ISとイスラムフォビアについて、非常に興味深い見解を明らかにしていた。デミル…
ネットで視聴できる24TVというAKP政権寄り放送の番組に、ハリル・ベルクタイという歴史学者が定期的に出演して、女性キャスターの質問に答えている。10月頃だったか、たまたま番組を観て、ベルクタイ氏の縦横無尽な論説に引き込まれ、以来、なるべ…
ジエリスタンの店主が、アルカイーダとかISのメンバーと見做され、「エルドアンの息子がメンバーと接触」などと伝えられた事件。 昨日、CHPのスポークスマンであるハールク・コチ副党首は、良く調べずに誤った発言をしたと認めて謝罪したそうだ。でも、…
昨日、アクサライにちょっと早く着いてしまい、チャイでも飲んで時間を潰そうと、アラビア文字の看板が出ているカフェに入ったら、店内のテレビでもアラビア語の番組が放送されていた。画面には「JAPAN 2015」という文字が見える。気になって、店の青年に尋…
北イラク料理屋などもあるアクサライの界隈には、ケバブの類をメインにした庶民的な店が軒を並べている。レバー(肝臓)串焼きの「ジエリスタン」はその中でもひと際目立っていた。ジエルがレバー(肝臓)の意で、ジエリスタンは「レバーの国」といった造語…
先日、チャーラヤンまで出かけたのは、このモンゴル料理屋が目的だった。場所は、この前、コマーシャルのエキストラでまた一緒になった顔見知りのモンゴル人青年から聞いた。彼はトルコへ留学に来て、学位を取るとそのままトルコでエンジニアとして就職した…
先日、チャーラヤンまで出かけた際、イスタンブール裁判所の直ぐ前を通った。間近に見るのは、これが初めてだったかもしれない。なかなかの威容である。2011年に落成しているけれど、その時、ちょっとした不手際が話題になっていた。地下駐車場の天井が…
1991~94年にかけて、初めてトルコで暮らした3年の間、トルコの人たちと親しく語り合ったりしながら、何を不満に感じていたのかと言えば、それはアタテュルクに対する個人崇拝だったかもしれない。まず、その称賛を押し付けられるのが嫌だった。私た…
東京都内の運送屋で働いていた1981年の末、1~2週間ぐらい某百貨店に出向して、お歳暮の配達を請け負ったことがある。 このお歳暮は、非常に高価な“活け蟹”で、差出人はそれなりに余裕のある人たちだったに違いない。配達先も金持ちそうなお宅が多かっ…
エルドアン大統領については、トルコ国内の反対派のメディアが、あることないこと書き立てているものだから、それが日本へ伝わり、一部には凄まじい独裁者のイメージが出来上がってしまっているかもしれない。アンカラの大統領府も、まるでエルドアン氏個人…
いつだったか、トルコを訪れた人が、料理について、「トルコにもビーフストロガノフに似た肉料理があった。ロシアから伝わったのだろう」というような感想を記していたのを読んで溜息がでた。オスマン帝国の宮廷料理は、19世紀になって、フランスの影響を…
日本にいた頃は、冬でも湯上りには先ずビールを一杯、それから酒だったりしたが、イエニドアンの我が家にはシャワーしかないし、暖房も余り効かず、部屋の中にいても寒いから、冬は専らワインで、ビールは滅多に飲まなくなった。そのワインも、ふところ具合…
先日、市場へ買い物に行った帰り、廃品回収屋さんの所へ寄ったら、経営者である長兄(35~40歳ぐらい)に、「それで何作って食べるの? あんたに早く嫁さんを世話してあげなきゃなあ」と、また言われた。それで、傍らに座っていた弱冠23歳の末弟を指し…
クズルック村の工場には、非常に敬虔なムスリム・トルコ人のエンジニアもいれば、全く信仰のないトルコ人エンジニアもいた。しかし、日本人の出向者も含めて、皆が熱意を持って取り組んでいたのは、生産効率と品質の向上であり、そこには宗教や国籍の違いが…
2009年の1月、エルドアン首相がダボス会議で、イスラエルのペレス首相と激しくやり合い、席を蹴って退場した「ワン・ミニッツ事件」以来、「トルコは欧米から離れ、東方へ回帰しているのではないか?」という説が、トルコでも盛んに唱えられるようにな…
「かつて私たちはタリバンのようだった」と述べたというメフメット・メティネル氏は、南東部アドゥヤマン県出身のクルド人で、和平プロセスにおいても重要な役割を果たしてきたようだ。もちろん、イスラム主義者として、HDPのような左派クルド人勢力に対…
トルコで新内閣発表のニュースは、露機撃墜事件の為に、多少影が薄くなってしまったものの、もちろん大きな話題になっている。中でも、メフメット・シムシェク前財務相が副首相となって、経済政策の舵取りを任され、長い間この職責にあったアリ・ババジャン…
一昨日のロシア軍機撃墜は、もちろんトルコで最も重大なニュースとなっている。ニュース専門の放送局は、朝から晩までこれで持ち切りだ。 一昨日、トルコの新しい内閣が発表されたけれど、撃墜ニュースの前には、なんだか新内閣も霞んでしまった。 撃墜ニュ…
現在、AKPの議員でもあるメフメット・メティネル氏は、2004年の2月、ラディカル紙のインタビューに答え、自分たちのようなイスラム主義者が、宗教を棄てた人間は殺されるべきだと信じていた過去を“告白”している。この「かつて私たちはタリバンのよ…
昔読んだ記事に、かなり年配のトルコ人女性教授が、若い頃、フィールドワークとしてトルコ各地の農村を巡り歩いた時の思い出が綴られていた。多分、共和国初期の農村について語っていたはずだから、93~4年頃に読んだ記事じゃないかと思う。93~4年当…
トルコのイスラム的な保守層の多くは、彼らの“敬虔な信仰”が、政教分離主義のエリートたちから、時代遅れの愚かな行為と見下されたことに、最も激しい憤りを感じていたのではないかと思う。パルヴェーズ・フッドボーイ氏は、「どんな宗教も、その宗教の優越…
先週、お伝えしたあの北イラク料理屋で、今度は豆料理を食べて来た。この前、他のお客さんが食べているのを見て、とても気になり、是非味わってみたくなったのだ。料理といっても実に簡単で、丼(?)の底にナンを敷き、その上に茹でたソラマメ、それから揚…