メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

2013-07-01から1ヶ月間の記事一覧

ヒディヴ邸(ヒディヴ・カスル)

2004年の8月、アフメット・アルタン氏のコラムを読んで以来、とても気になっていた“ヒディヴ邸(ヒディヴ・カスル)”を、今日、初めて訪れることが出来た。記事を読んでから、既に9年が過ぎている。母がイスタンブールまで来てくれなかったら、訪れな…

ラマダンはレジャーではない・・・

昨日は、トルコ旅行中の母とスルタンアフメットのマルマラゲストハウスに泊まった。経営しているファイクさんの家族とは、1993年以来の付き合いである。夜、家族と断食明けの食事を共にした後、スルタンアフメットの広場に出かけた。広場の一角には、ラ…

モン流美人!

金曜日のコマーシャル撮影、同じエージェントから駆り出された“外国人エキストラ”は、日本人1人(私)、モンゴル人2人(男女)、そしてナイジェリア人が2人。他のエージェントからも、ウクライナ人とかタタール系トルコ人(東洋人風)とか色々来ていた。…

リデル・ピデ

“ピデ”は、厚さが2~3cmの丸いパンで、ピタパンと語源は同じじゃないかと言われている。特に、ラマダンの断食明けの食卓では、通常出回っているバゲット型のパンの代わりに、この“ピデ”が主役となり、日没が近づくと、パン屋さんの前に、ピデを求める人…

酒類販売の店

イエニドアンの家の近くで、酒類を売っている店は、まずあのジャー・ケバブ屋さんの二軒隣にあって、ここなら歩いて3分ぐらい。後は、先日、ラマダンになってから昼飯を食べた店のもっと先に一つある。こちらは歩いて7分ぐらい掛かると思う。もちろん、い…

スルタンベイリ~サルガーズィ(ラマダンの昼飯事情)

イスタンブールの東端に位置するスルタンベイリは、非常にイスラムが濃い地域として知られている。5年前の夏、世俗主義者の友人たちが、「スルタンベイリではイスラム化が進み、女性がスカーフを被らずに、ノースリーブ等の肌の露出が多い服装で街を出歩く…

イエニドアン-ラマダンの昼飯事情

うちの近所で外食するのは、月に2回ぐらい、ジャー・ケバブ屋さんに行くだけだけれど、ここはラマダンに入ってから閉まっている。それで今日は、果たしてこの辺に昼飯を出している店があるかどうか、少し歩いて見ることにした。ジャー・ケバブ屋さんの向か…

韓国とトルコ-国家の正統性

ボズジャ島で、キムさんと長話した。20年来の友人だけれど、かつて、あれほど様々な話を聞いたことはなかったように思う。もっと韓国語が解っていた時に聞いておけば良かった。 話は、韓国の政治や歴史に至るまで多岐に亘ったが、北朝鮮との関係について、…

ラマダンのギュルラチ

昨日、久しぶりに、タクシム広場からイスティックラル通りを歩いてみた。 途中、“サライ・ムハレビジスィ”という軽食店のショーウインドーを覗いたら、ラマダン月になると売り出される甘い菓子“ギュルラチ”が並んでいたので、思わず中に入って味わって来た。…

トルコ軍のクーデター

トルコの国営放送“TRT”に、「祖国を望む」という番組があった。各分野の著名な識者をスタジオに招いて、祖国トルコへの思いを語ってもらう趣向になっていた。 私は、2年ほど前、イズミルのホテルの一室で、初めてこの番組を観た。夜、出先でかなり飲んで…

アッラー(神)は形而上の概念

昨日のナスレッディン・ホジャ云々、アラビアン・ナイトを生んだ社会やオマル・ハイヤームを生んだ社会の現況を考えたら、何の意味もないかもしれない。 しかし、かの国々も、西欧からその価値観まで押し付けられたと感じてしまった為に、自分たちの宗教的な…

ナスレッディン・ホジャ

記憶に誤りがなければ、“週刊朝日百科”の“世界の地理”だったと思う。ネットで調べたら、83年~86年にかけて刊行されていたとある。毎週、各国別に、歴史や文化、国情を紹介していて、巻末に“民衆のヒーロー”というようなコーナーがあった。 パキスタン編…