メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

アルメニア

アルメニア~パレスチナ、戦争と人々の平和な交流

イスラエルとパレスチナの悲惨な「戦争」の状況が報じられている。 このところ、トルコとその周辺(コーカサス・中東)からは、こういった不穏なニュースばかり伝えられていて気が滅入ってしまう。いったい何が起こっているのだろう? 当事国のそれぞれに異…

プラハで開催された欧州政治共同体のサミット/マクロン大統領に冗談を言うエルドアン大統領

今年発足した「欧州政治共同体」の初サミットがプラハで開催された。 トルコのエルドアン大統領とアルメニアのパシニャン首相は、サミットの期間中に会談する予定で、いよいよトルコとアルメニアの関係も正常化するのではないかと期待が高まっている。 以下…

シルヴィ・ヴァルタンはアルメニア系のフランス人?

先日、配送先のカー用品店でシルヴィ・ヴァルタン(Sylvie Vartan)の「あなたのとりこ」が流れているのを聴いた。日本では1970年にヒットしたそうだ。 懐かしく思いながら、『ところで、シルヴィ・ヴァルタンって未だ生きているのかな?』と気になり、…

トルコ風の姓名を名乗らざるを得なかったアルメニア人の俳優たち

今日(7月2日)のハベルテュルク紙に、ムフスィン・クズルカヤ氏が非常に興味深い記事を書いている。 オスマン帝国の時代、イスラム教徒の女性たちが映画で活動するのは「はしたない」と思われていたため、演じる女優たちは皆、非イスラム教徒であったとい…

イスタンブールのイースター(復活祭)「アルメニア教会の賛美歌」

イスタンブールに住んでいた頃は、毎年、クリスマスやイースターの季節が巡って来るのを楽しみにしていた。 私には何の信仰もないし、クリスチャンでもないけれど、イスタンブールでギリシャ正教徒のマリアさん宅に間借りしていた2004~5年のクリスマス…

アルメニアの事態は収束へ向かう?

昨日、アルメニアで異変があったのは、Twitterのアルメニア人女性による日本語のツイートで知った。ミグ戦闘機が上空を飛んでいるという。 『何があったのだろう?』とYouTubeにトルコ語の検索をかけてみると、まずハンガリーを訪れているチャヴシュオール外…

歴史の狭間を生き抜いてきたアルメニアの人々

アルメニアとアゼルバイジャンの紛争は、サバー紙のハサン・バスリ・ヤルチュン氏が述べたように、親西欧のパシニャン政権を快く思っていないロシアが、アルメニアに対して厳しい内容の和平案を押し付けて終結を図ったと見られている。 ソビエト時代、ミコヤ…

カーリエ博物館~モスク / 教会で祈る(?)エルドアン大統領

アヤソフィアに続いて、再びモスクとして使用されることに決まったカーリエ博物館。当初、10月30日の金曜日に礼拝が始まると予告されていたものの、3日前の27日に、突然、期日不明のまま延期となっている。 昨日のミッリガゼテ紙の報道によれば、モス…

マルカル・エサヤン氏の訃報

アルメニアとアゼルバイジャンの紛争が報道されて以来、私は、アルメニア人のマルカル・エサヤン氏がこの問題に対して、どのような意見を述べるのか気になっていた。 トルコの政権党AKPの議員であるエサヤン氏は、アクシャム紙に週2回コラム記事を書いて…

アルメニア人の才能

先日、アゼルバイジャンとアルメニアの紛争について書かれたトルコ紙の記事を読んでいたところ、「ロシアのラブロフ外相はアルメニア系」という記述があった。ちょっと調べてみたら、ウイキペディアの英語版にも「父親はアルメニア人」と記されていたので、…

中央アジアからやって来た「トルコ人」がアナトリアにもたらしたものは?

中央アジアからやって来た「トルコ人」は、アナトリアに何をもたらしたのだろう? まず、「セルジューク朝」という権力機構をもたらし、それから「オスマン帝国」を築き上げた。 オスマン帝国は、イスラム教を統治理念に掲げ、トルコ語にアラビア語やペルシ…

トルコのアルメニア人とユダヤ人

1992年の7月、イスタンブールの学生寮のホールで、テレビを観ていたところ、ニュースがトト・カラジャという女性演劇人の訃報を伝え始めた。 前に座っていた学生に訊くと、「優れたトルコの演劇人で非常に残念です」といったような哀悼の意を表する。し…

トルコにおけるアルメニア系・アゼルバイジャン系の人々

トルコでは、アルメニアとアゼルバイジャンの紛争に対して、アゼルバイジャンへの支持を叫ぶ右翼的な人たちがデモ行進したりしているらしい。中には、アルメニア教会の前でアゼルバイジャンの国旗を掲げて行進する連中まで現れたため、いくつか新聞のコラム…

アルメニアとアゼルバイジャンの紛争

ナゴルノカラバフを巡るアルメニアとアゼルバイジャンの紛争、日本では、いったいどれくらいの人たちが注目しているのだろう? 紛争や戦争には興味があっても、アルメニアとかアゼルバイジャンが何処にあるのか、そんなことにさえ大して関心を抱いていない人…

アルメニア教会の美しい讃美歌

クリスマス期間を迎えて、街角にクリスマスツリーが飾られているのを見たりすると、イスタンブールのクリスマスを懐かしく思い出してしまう。 イスタンブールには、歴史的なイスラム教のモスクも多いが、趣のあるキリスト教の教会も少なくないのである。特に…

続・イスタンブールで再選挙?

イスタンブールの再選挙等の問題について、良く記事を読んでいなかったため、私はなんだか勘違いしていた。エクレム・イマムオール氏は既に就任してイスタンブール知事としての活動を始めているものの、選管も不正云々に関する調査を続けており、結果によっ…

復活祭ミサ

今日は、ベイオウルの“Surp Asdvadzadzin Ermeni katolik kilisesi”というアルメニア・カトリック教会で復活祭ミサを見て来た。“Surp Asdvadzadzin”はアルメニア語で聖母マリアといった意味になるらしい。ミサは、オーソドックスのアルメニア教会と同じよう…

アルメニア行きのバス

昨日、地下鉄を乗り換える際に、ちょっと外へ出て、上記の“バス・ターミナル”に寄ってみたら、アルメニア(首都エレバン)行きのバス便もあることに気がついた。2年前はなかったように思うが、いつ頃から始まったのだろうか?もっとも、10年以上前から、…

エルドアン首相の哀悼の意の表明

ザマン紙にコラムを書いているエティエン・マフチュプヤン氏は、毎年のように、この時期になると、“1915年のアルメニア人強制移住”の問題を取り上げている。 そして、昨年は、一連の記事の中で、トルコの人々は既に歴史と向き合う準備が出来ている、後は…

フラント・ディンクはここで殺された

一昨日、“ディヴァン・パスターネスィ”を後にして、シシリーへ向かう途中、オスマンベイの辺りで、歩道の一角に、アルメニア文字が並んでいるのを見つけた。『何だろう?』と思って良く見たら、そこには、以下のようなトルコ語の一節も併記されていた。「フ…

アピクオール社のスジュク / スジュクの調理が禁じられていた学生寮

頂き物のラクを飲む時のアテにするつもりで、久しぶりにスジュクを買ってきた。スジュクは牛肉で作ったソーセージのような肉加工品、香辛料がふんだんに使われていて、焼くと独特な匂いがする。ラクも独特なアニスの香りが強いから、スジュクとは相性が良い…

歴史認識 : トルコ・中国・日本のトラウマ

5月10日の“通信”で、「1915年:トルコは何が出来るか?(2)」という1915年の所謂“アルメニア人虐殺”に関する記事を訳してみようと思ったのは、日本でも“歴史認識”が話題になっていたからだ。筆者のマフチュプヤン氏は、毎年のように、この時期…

「1915年:トルコは何が出来るか?(2)」

アルメニア人のトルコ国民であるエティエン・マフチュプヤン氏が、先月(2013年4月)ザマン紙に掲載したコラム記事を拙訳してみました。マフチュプヤン氏の記事はとても難しく冷や汗ものですが・・・・。 「1915年:トルコは何が出来るか?(2)」 **…

アルメニア教会のクリスマス

昨日、ベシクタシュにあるアルメニア教会で、クリスマスのミサを見学してきました。アルメニア正教では、クリスマスを1月6日に祝いますが、私はこれをユリウス暦を使っているために、暦が12日間ずれているからだと思っていました。ロシア正教会等はユリ…

自家製ラク

トルコの国民酒とも言うべきラク、ハタイ県では、自家製を楽しんでいる人たちも多いそうです。この話、3年ほど前に、ハタイ県出身のアラブ系ギリシャ正教徒であるデスピナーさんから聞きました。トルコの法律では、自家製の酒を販売したら罪に問われるけれ…

ヴァクフル村

アンタキアに着いて3日目の火曜日、いよいよトルコで唯一残ったと言われているアルメニア人の村を訪れることにしました。ヴァクフル村です。アンタキアから、小さな乗り合いバスで、地中海を臨むサマンダーの町へ出て、ここからバスを乗り換え、小高い山の…

アルメニア正教の教会

イスタンブールのベイオウル街、チチェック・パサージュから入る横丁は“バルック・パザル(魚市場)”と呼ばれ、魚屋さんや八百屋さんの店も出ているけれど、店頭でムール貝などを揚げたりしている酒場が軒を並べ、夕刻が迫ると未だ明るい内から辺りは喧騒に…

白昼暗殺されたジャーナリスト

昨日の夕方、イスタンブールは新市街のタクシム広場を通ったら、広場の一隅に凄い人だかりが出来ていたので、「何だろう?」と思いながら近寄ってみたところ、人だかりの中ほどにアルメニア系の著名なジャーナリスト“フラント・ディンク氏”の顔写真が掲げら…

カイセリ/アルメニア教会

先週は、アンカラからカッパドキアへ、それから、94年に一度だけ訪れたことのあるカイセリにも寄って来ました。94年には、カイセリ市内で二泊し、近郊のタラスという町やエルジエス山の中腹まで足を伸ばしたけれど、今回は午後の4時過ぎに着いて、翌朝…

アルメニア人の食卓(ラディカル紙/マリアンナ・イエラスィモス氏による書評)

2004年11月28日付けのラディカル紙より、トルコ国籍のギリシャ人であるマリアンナ・イエラスィモス氏(女性)による書評を訳してみました。 トルコ国籍のアルメニア人であるタクヒ・トヴマスヤン女史が著した「ソフラヌズ・シェン・オルスン(食卓を…