メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ヴァクフル村

アンタキアに着いて3日目の火曜日、いよいよトルコで唯一残ったと言われているアルメニア人の村を訪れることにしました。ヴァクフル村です。
アンタキアから、小さな乗り合いバスで、地中海を臨むサマンダーの町へ出て、ここからバスを乗り換え、小高い山の中腹にある村を目指します。
サマンダーの町で、教えられた通りに、ヴァクフル村行きのバスが発着するという街角へ行き、そこの雑貨屋さんに尋ねたら、近くでお茶を飲んでいた運転手さんをわざわざ呼び寄せ、「ヴァクフル村へ行くのは彼のバスです」と紹介してくれました。
それから、雑貨屋さんが、「貴方はアラビア語も解るか?」と訊くので、「サーラム・アレイクム」とアラビア語で挨拶したら、雑貨屋さんは、「アレイクム・サーラム」と返して、「キフェ?」と続けたけれど、この“キフェ”はアラビア語で「元気?」といった意味なんだそうです。ネットで調べると、アラビア語の“元気?”は、“ラバース”となっていますが、“キフェ?”はこの辺の方言でしょうか? ちょっと良く解りません。
雑貨屋さんの外見は、全くの“白人”でしたが、運転手さんは浅黒い風貌だったから、『この人もアラブだろう』と思いながら、「貴方もアラビア語が話せますよね?」と訊いたら、「私たちはトルコ人だから解りませんよ」と言います。雑貨屋さんは、「彼の村は、トルコ人の村ですね。この地域には私たちのようなアラブが多いけれど、他にアルメニア人もいるし、いろいろです。しかし、私たちだって“トルコ人”なんですよ」と説明していました。
運転手さんの村は、ヴァクフル村の先にあるフドゥルベイ村で、バスの乗客も殆どがこの村の人たちでしたが、運転手さんと同じような浅黒い風貌が多く、ちょっと独特な雰囲気が感じられます。それで、ロマ民族との関連が頭に浮かんでしまったものの、もちろんそんなことを訊けるはずがありません。
運転手さんは、フドゥルベイ村にある有名な“モーゼの樹”を見せたいと、ヴァクフル村までの料金しか受け取らずに、終点のフドゥルベイ村まで私を連れて行き、戻りのバスでヴァクフル村へ送ってくれました。“モーゼの樹”は、プラタナスの大樹で、モーゼの杖がこの樹になったと言い伝えられています。
ヴァクフル村では、まずアルメニア正教の教会を訪れました。教会の建物は、1996年に改修工事を経て、真新しい装いになっていますが、村の司祭さんが亡くなってからは、後任の司祭がいない為、日曜日に正式なミサを執り行うことも叶わず、葬儀などがある場合は、イスタンブールから司祭が来るそうです。結構、観光客が来るのか、中庭の一角には土産物の売店も設けられていました。
教会から少し下った所にある村のカフヴェ(喫茶店)へ行くと、そこでは村の老人が5人ほど集まって、談笑したり、バックギャモンに興じたりしていました。皆さん、アルメニア語とトルコ語の他にアラビア語も話せるそうです。
「フドゥルベイ村の人たちはアラビア語が話せないようですが・・・」と訊いたら、「あそこにも昔はアルメニア人が住んでいて、このアルメニア人たちが他所へ移住した後、今の住人がやって来ました。彼らは元々この地域で暮らして来たわけじゃないから、アラビア語が話せないのです」と明らかにしてくれました。
「では、彼らは何処から来たんでしょう?」
「さあ、それは良く解りませんが、彼らがやって来たのは、1940年代以降のことでしょう。でも、穏やかな良い隣人ですよ」
老人たちからは、一様に洗練された教養が感じられました。
「皆さんは、大学で学ばれたのですか?」
「いやー、私らは村育ちですからね。大した教育なんて受けていませんよ。でも、子供たちは皆大学へ行かせたし、私らも本や新聞を読んで勉強しました」
アルメニア人の優秀さは、世界的に有名で、いろんな話が語られているようだけれど、本当に不思議な気がします。やはり、ディアスポラが彼らを勤勉で優秀な民族にしたのでしょうか?

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