メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

韓国

日本の亡国の危機/「祖国のために産めますか?」

私は1998年~2017年の間、それほど長くない一時帰国中の期間を除いて、トルコで暮らしていたため、その間の日本の社会の変化に気が付いていなかったりした。 「シャッター街」であるとか「廃墟と化した温泉街」なども言葉としては知っていたけれど、…

困難な状況の中で建国を達成したトルコ共和国/果たして日本は? そして韓国は?

「一水会」が発行している月刊誌「レコンキスタ」の11月号に、トルコ共和国の建国100周年を記念して一水会フォーラムで講演したイナン・オネルさんの講演録が掲載されている。 トルコへの祖国愛に満ちたイナンさんの講演について、私如きが申し上げるこ…

金大中氏/韓国人と日本人の識別法

《2009年8月19日付け記事を修正して再録》 14年前の8月18日、韓国の金大中元大統領が亡くなった。「民主化闘争の勇士」といった型通りの表現では捉えきれない「したたかでしなやかな政治家」だったのではないかと思う。 朴正煕氏や全斗煥氏の軍…

トルコのイスラム化?

11年ほど前、トルコの宗教教育の状況を調べるために来た日本の研究者の方たちとイスタンブール市内のイスラム導師養成高校(イマーム・ハティップ・リセスィ/İmam Hatip Lisesi/イスラムの教育に重点を置いた高校)を訪れた。 そこは導師養成高校の中で…

朝鮮戦争に参戦したトルコ軍兵士らの記念碑

今年は「朝鮮戦争休戦協定」が1953年7月27日に調印されてから70周年になるという。そのためか、YouTubeにも朝鮮戦争に纏わる様々な動画が配信されていた。 以下の動画では、戦死したトルコ人兵士の遺児である老婦人が、70年を経て初めて韓国へ墓…

クルド系トルコ人の産廃業者による不法投棄の問題

埼玉県の蕨市が「ワラビスタン」などと呼ばれ始めたのは、いつ頃からだろう? 既に20年以上経っているのではないかと思う。 多くのクルド系トルコ人が居住するようになったため、どうやら「クルディスタン」をもじって「ワラビスタン」になったらしい。 最…

日本は何処で道を間違えたのか?

SNS上の投稿を読んだだけで、何処まで理解できているのか心許ないが、韓国・朝鮮の研究で知られる政治学者の木村幹氏によると、伊藤博文は当初より朝鮮に対して高圧的な態度で臨んだため、朝鮮の人々から嫌悪されたという。詳しくは木村幹氏の著作である…

日韓基本条約はいつまで有効なのか?

今年の1月5日付けサバー紙のコラムで、ハサン・バスリ・ヤルチュン氏はローザンヌ条約について論じながら、国際条約で唯一の保証となるのは「各国家における条約を継続させる力と意志」であり、世界の歴史は、反故にされた「条約」と新たに締結される「条…

韓国式の中華料理?

昨日は久しぶりに大阪まで出て、高校同期の友人と島之内の中華料理屋「来来」で飲んで食べた。 島之内のガチ中華は、それぞれ四川や上海などの地域色を打ち出していたりするけれど、「来来」の地域色を問われたら、「韓国」と答えなければならなくなってしま…

今でも「白い東洋人」?

《2014年1月16日付けの記事を修正、加筆して再録》 「白いトルコ人」という言い方がいつ頃から使われているのか良く解らない。一説によると、アメリカの「wasp」から連想された造語らしい。 西欧型のライフスタイルを身につけたハイソサエティなトル…

福岡の鶏から揚げとアサヒビールと韓国から来た旅行者

昨日の昼に食べたガストの鶏から揚げがなかなか美味しかった。もも肉を使っていて、充分に油分があり、とてもジューシーだった。 やっぱり肉は、豚でも鶏でも油分が多くないと美味しくない。私はトンカツも必ずロースで、ヒレカツはもう何十年も食べていない…

「韓国人の親戚」

《2008年9月30日付けの記事を修正して再録》 この「韓国人の血」という駄文に、「少なくとも明治以降、親族に韓国人がいたという話は聞いていない」と記したけれど、親族に韓国人の女性と結婚した男性はいる。父の叔母の次男の方である。 父の家は戦…

「韓国人の血」

《2008年9月29日付けの記事を修正して再録》 1989年、韓国の会社の東京支社で働いていた頃の話である。 来日した本社の連中と取引先を回ってから、上野駅近くのホテルに案内したところ、「まあ貴方も一杯やっていきなさい」と誘われた。そして、…

ジャパニーズ・ドリーム

《2018年7月29日付け記事の再録》 2016年の7月16日、トルコで軍事クーデターが市民らの抵抗によって阻止された事件を欧米各国や日本の報道は、まるでクーデターの成功を望んでいたかの如く冷ややかに伝えていたようである。ところが、あの日、…

李朝時代の冷麺は贅沢な冬の食べ物?/貧富格差をそれほど気にしていない韓国の人たち

今日もうだるように暑かったので、配送の仕事を終えて帰宅途中、思わずコンビニに寄って「盛岡風冷麺」を買ってきてしまった。 6月に長田まで出かけて「平壌冷麺」を堪能して以来、コンビニの冷麺は、これでもう5回目ぐらいじゃないかと思う。 長田の「平…

統一教会の問題/ギュレン教団尊師の死亡説

安倍元首相の暗殺事件は「気が変になった男の犯行」という見方が有力で、今のところ「政治的なテロ」を疑わせる要素は見当たらないそうである。 気が変になった男の筋違いな逆恨みで暗殺されてしまった安倍氏は実に無念だっただろう。 しかし、犯人の逆恨み…

ウクライナの情勢はどうなっているのだろう?

ウクライナ情勢、日本でも「ロシアが攻勢を強めウクライナは苦境に立たされている」といった報道が見られるようになった。いったい、どうなっているのだろう? そもそも、以前報じられていたようにウクライナが優勢だったのなら、まずは重要な拠点であるマリ…

韓国料理を食べながら考えたこと

今日の昼飯は、姫路の駅地下にある「bibim」という韓国料理チェーン店でランチを食べた。 「bibim」は博多駅前ビルのレストラン街にもあって、福岡にいた頃、何度か入ってみようと思ったけれど、いつも待っている人が多くて諦めた。待っていたのは若い女性た…

「日本とトルコの友好」

《2013年3月20日の記事を再録》 一昨日(2013年3月)、ボスポラス海峡の連絡船に乗ったら、韓国人の青年と隣席になり、船がアジア側に着くまで20分ぐらい雑談した。大学4年生で、初めて海外旅行に出たと言う。まず、日本に渡り、博多、大阪、…

メーデーの歌?

今日はメーデー、トルコでは上記の駄文にも記したように、2008年に公的な祝祭日として認められたそうだが、それ以前から5月1日には各地でメーデーを祝う集会が催され熱く盛り上がっていた。時にはそれが流血の事態に至ることもあったという。経済的に…

酒浸りの週末/シベリアのウォッカで乾杯!

先週末は職場の特別休暇で土日と2連休になった。それで、まずは土曜日に、高校同期の友人と大阪の谷町にあるロシア料理の店「ボーチカ」で一杯やることにした。 ボーチカ(Бочка)とはロシア語の「樽」で(ウクライナ語も同じくБочка)、この店にはウォッカ…

トルコのウルファ県に設立されたソウル中学校

ウクライナ難民の受け入れを論じる西欧の報道に「彼らは青い目と白い肌のウクライナ人でありイラクやシリアの難民と異なる」という趣旨の説明があったらしい。これがトルコでは「西欧の人種差別」として大きな話題となっていたようである。 トルコは既に30…

韓国料理の豊かさ

世界三大料理と称される「中華料理」「トルコ料理」「フランス料理」は、いずれもかつての宮廷料理がその元になっていたのではないかと思う。 宮廷には毎晩のように贅を尽くした料理の数々が並べられていたそうだ。 中国はもちろん、どの国も領域内に温暖な…

正しい民族の姿?

モハメド・アリの半生を綴った「カシアス・クレイ」で著者のホセ・トレスが「年季の入ったプロボクサーはダウンしても立ち上がって如何に試合を続けるのか知っている」といったように記していた。 ジョー・フレージャーは、ボナベナ戦で2度のダウンを喫しな…

ハングルは既にお洒落なイニシャル!

昨日は、「神戸どうぶつ王国」を後にしてから、元町に寄って「ソレダ(Soleda 소레다)」というカフェでランチを食べて来た。 ここは「韓国スタイルのカフェ」という記事で紹介されていたので、気になっていたのである。 ところが、実際訪れてみると、店内に…

全斗煥元大統領の訃報

韓国の全斗煥元大統領の訃報が伝えられた。私が初めて韓国を訪れた1987年当時の大統領だった。 全斗煥氏は1979年のクーデターによって政権を掌握すると、米国、そして日本との関係を強化して、韓国に経済的な繁栄をもたらし、1988年のソウルオリ…

鶴橋の「エゴマの葉」で思い出したソウルの市場での出来事

先週の土曜日、鶴橋の市場で「ケンニ(エゴマの葉の醤油漬け)」を買って来た。 本来はご飯のおかずだが、酒のアテにもなる。私は87年~88年にソウルの下宿で慣れ親しんで以来、このケンニが大好きである。 こちらへ越して来てからも、三宮や元町辺りの…

鶴橋の「変わらない街の雰囲気」と「変化」

昨日、夜勤明けに大阪の鶴橋へ出て、駅の周囲を少し歩いてみた。 鶴橋を初めて歩いたのは、1989年だった。以来、32年の間に何度この街を歩いたことだろう。 32年の歳月を経て様々な変化があったけれど、来るたびに驚かされるのは、その「変化」より…

「キム・ドゥギョンさん/イランに行った韓国の人たち」

《2010年6月17日付けの記事を修正して再録》 韓国からベトナムとイランを経てトルコへ渡って来たキム・ドゥギョンさん。 キム・ドゥギョンさんのその後は、当時(2010年)、イスタンブールのタクシムにあった韓国料理店「カヤ・レストラン」でイ…

「ベトナムからイラン、トルコへ・・・」

《2010年6月14日付けの記事を修正して再録》 ベトナムとイランを経由してトルコへ渡ってきた韓国の人たちの話だが、後日(2010年6月頃)、イスタンブール在住の日本人女性と雑談していたら、この方もキム・ドゥギョンさんと知り合っていたことが…