メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

クルド

PKKのテロ組織認定/日本のイメージは下がる一方なのか?

1週間ほど前、「公安調査庁がトルコのPKKをテロ組織とする認定を取りやめた」というニュースが報じられていたけれど、公安調査庁の説明によれば、各国のテロ組織の動向を伝える公安調査庁のホームページからPKKの項目が無くなっただけであり、これは…

クルド人難民支援活動で誰が救われたのか?

「クルド人難民」を支援する人たちの動機が何であるのか良く解らないけれど、15年以上続いた長い支援活動の過程で、いったい誰が救われたのだろう? 難民申請を繰り返しながら、長期にわたって日本に滞在し、解体業等でそれなりの収入を得た人たちはいるか…

トルコにおけるクルド人とイスラムの問題

《2023年6月18日付けの記事を省略修正して再録》 トルコの米国に従わない姿勢が顕著になった2013年以降、トルコに対するネガティブな報道は執拗に続けられてきたのではないかと思う。 いつだったか(3~5年前?)、池上彰氏が司会を務める番組…

トルコのクルド人差別

《2009年9月4日付けの記事を修正して再録》 2009年の5~6月頃、テレビ取材の仕事で、運転手付きのレンタカーを借り、トルコで最も西に位置するチャナッカレやトラキア地方を回った。 運転手は、トルコの東端に位置するヴァン県のクルド人で、な…

ローザンヌ条約の是非(工事現場の議論)

《2015年9月27日付け記事を再録》 <2015年9月:イスタンブールの工事現場で・・> 現場の休憩時間に、2人の作業員が何やら議論していたので、側に寄って聞いてみたら、なんとローザンヌ条約の是非を論じ合っていた。 この2人は、南東部マルデ…

川口市でトルコ人同士による刃傷沙汰

この2週間ほどの間、日本に在住しているクルド系トルコ人の問題から「移民」や「難民」について何度か取りあげてきたが、それまでは特に関心を持って調べていたわけじゃない。 発端は、先のトルコにおける選挙の結果を数字で確認している際、何気なく「在外…

クルド系トルコ人の産廃業者による不法投棄の問題

埼玉県の蕨市が「ワラビスタン」などと呼ばれ始めたのは、いつ頃からだろう? 既に20年以上経っているのではないかと思う。 多くのクルド系トルコ人が居住するようになったため、どうやら「クルディスタン」をもじって「ワラビスタン」になったらしい。 最…

日本にクルド人難民申請者が多い理由は?

SNSに投稿されているメッセージで読んだだけなので、同様に感じている人たちがどのくらいいるのか解らないが、難民申請中のクルド人らを不快に感じている人たちもいるようだ。 街角に集まって騒いだりするクルド人がいるらしい。私はその実態を見ていない…

日本はクルド民族主義者の牙城なのか?

先月、トルコで大統領選挙(1回目)と共に行われた議員選挙における在外投票の結果はどうなっていたのか調べてみた。 以下のサイトには、各国でどの政党が最多票を獲得したのかによって色分けされた世界地図が掲げられている。 黄土色はエルドアン大統領の…

「母語」を受け継ぐのは容易じゃないらしい?

難民申請していたクルド人の子息が「話せるのは日本語だけでクルド語もトルコ語も話せない」と述べたことに疑問を感じた人たちは少なくなかったようだ。 「両親ともトルコから来たクルド人であれば、いずれかの言語が話せるはずである」というのである。 し…

難民申請中のクルド人に強制送還の可能性

入管法の改正により、トルコへ強制送還されてしまう可能性があるクルドの人たちが抗議活動を行っているという。 記者会見で、10代のクルド人の若者は、トルコ語もクルド語も解らないため、送還されたら生活が成り立たなくなってしまうと訴えていた。 どう…

今回の大統領選挙は「トルコ共和国の存亡」を懸けた戦いになる?

トルコでは、野党6党連合の大統領候補クルチダルオール氏が、6党連合への支持を表明していたクルド民族主義政党HDPのプレヴィン・ブルダン、ミトハト・サンジャルの両氏と会談したことが話題になっているようだ。 (ミトハト・サンジャル氏は、2015…

トルコの大統領選挙/クルド人の動向

5月14日に実施されることが決定したトルコの大統領選挙、ようやく野党6党連合の候補者もCHP(共和人民党)のクルチダルオール党首に決まり、選挙戦は盛り上がってきたようである。 この大統領選挙では、いずれの候補も過半数の票を獲得できなかった場…

日本でもトライリンガルが珍しくなくなる日?

この「工事現場の議論」という駄文に記した現場作業員のトルコ人青年は、トルコ語・アラビア語・クルド語のトライリンガルだった。 果たしてどのくらいのレベルでアラビア語やクルド語を話すことができたのか私には解らないが、彼の出生地であるマルディン県…

トルコ人とは、いったい何者なのか?

《2013年3月16日付け記事の再録》 先日(2013年3月)、タハ・アクヨル氏のコラム(2013年3月2日付けのヒュリエト紙)に興味深い話が紹介されていた。1932年、アタテュルクは、アナトリアで6万4千に及ぶ頭蓋骨を計測調査するよう指示…

ヴァン県にあるキルギス人の村

このYouTubeの動画では、カザフスタン出身のジャーナリストで、現在はトルコを中心に活動しているナズギュル・ケンツェタイ氏(Nazgül Kenzhetay)が、トルコ東部のヴァン県にあるキルギス人の村、ウルパミル村を訪ねて、伝統的な結婚式の模様などを取材して…

「トルコ人」というアイデンティティー

3日ほど前、トルコの南東部クルド・アラブ地域のバットマンで、学生との対話集会に参席したエルドアン大統領に対してクルド語で話しかけた女子学生が話題になっている。 政権寄りの識者たちは、これをクルド問題における大きな前進と評価しているようだが、…

何故、欧米は少数民族など他国の問題に干渉したがるのか?

第一次世界大戦以降、欧米は「民族自決」を提唱して、他国の少数民族の問題に干渉するようになったという。 オスマン帝国は第一次世界大戦後に崩壊し、トルコ共和国という民族国家に生まれ変わったが、欧米はクルド人をトルコ国内の少数民族であると認定して…

少数民族の言語による教育

中国では「中国語による教育」が少数民族にも適用されるようになり、反発の声が高まっているという。つまり、最近までは「少数民族の言語による教育」が行われていたらしい。私は却ってこれに驚いている。 1998年頃に大阪で知り合ったウイグル人の留学生…

ドウバヤズィット/イサクパシャ宮殿

《2009年10月9日付け記事を再録》 「何だもう下りて来たのか、もっとゆっくりしてくれば良いのに」。2時間ほど前に、イサクパシャ宮殿の遺跡まで送ってくれたタクシーの運転手が親しげに声をかけてきた。1994年の6月、私は、トルコも東の果て、…

「主題が祖国であれば残りは瑣末な事柄である!」(アタテュルク)

アタテュルクの言葉に「Söz konusu vatansa gerisi teferruattır.(主題が祖国であれば残りは瑣末な事柄である)」という有名な一節がある。 アタテュルクは祖国を守るため、ラディカルな西欧主義者やイスラム主義者とも手を組んだらしい。カラル紙のイブラ…

「デトックス(解毒)と大手術」

《2016年2月2日付け記事の再録》 ウィキペディアの記述によれば、人間の“便”の大部分を構成しているのは、「水分(60%)」と「腸壁細胞の死骸(15%~20%)」「細菌類の死骸(10%~15%)」などで、食べ物の残滓は5%程度に過ぎないらしい。体内に蓄積…

中国の少数民族問題

中国政府のウイグル人やチベット人に対する弾圧は、かなり前から取り沙汰されている。最近、その「弾圧」は激しさを増しているらしい。 しかし、中国を訪れたこともない私に、実状がどうなっているのか判断するのは難しい。 トルコの「クルド問題」等々への…

トルコ語の時代?

2014年に亡くなったクルド人の友人は、まだ元気だった頃に、イランを旅行していた。2010年か2011年だったと思う。 友人は西北部のタブリーズで、非常な歓迎を受けたそうだ。タブリーズの辺りは南アゼルバイジャンとも言われ、住民の殆どがアゼル…

米国が企てたトルコの分割

《2019年10月13日付け記事を修正して再録》 ソビエト崩壊後、戦略的な価値が半減したトルコに対して、米国はあからさまに分割を企図するようになったという。 2006年9月には、NATOのセミナーで米軍将校の講師が、トルコ人将校らに「分割さ…

「トルコ人・クルド人・アラブ人」

《2015年10月15日付け記事の再録》 中学か高校になって、世界史を習い、清朝の皇帝は満州族であると教わったけれど、私にはこれが何だか奇異に思えてしょうがなかった。その後も、世界史では、ソビエト・ロシアの独裁者スターリンがグルジア人だった…

トルコと日本の「母語の問題」

2011年の7月まで4年近くの間、イスタンブールのエサットパシャで、友人たちとシェアしながら借りていたアパートの家主のビュレントさんは、トルコの東端カルス県出身のクルド人だった。当時、37~8歳ぐらいじゃなかったかと思う。ペンキ塗装屋を経…

トルコにおけるクルド人の母語の問題

一昨日(6月3日)のハベルテュルク紙のコラムに、ムフスィン・クズルカヤ氏がとても興味深い記事を書いていた。 ムフスィン・クズルカヤ氏は、トルコ南東部のイラク国境に接するハッキャリ県出身(1966年生)のジャーナリスト。ハッキャリ県はディープ…

クルド人民兵の評判

90年代、南東部でクルド武装勢力PKKと戦っていたのは、コルジュと呼ばれる民兵だったと言われたりしている。コルジュも地域のクルド人らによって組織されていたので「あれはクルド人とクルド人の戦いだった」と言う人もいる。 その中で、クルド語を話し…

「非常事態宣言下の旅」

《2014年10月14日掲載記事の再録》 クズルック村にいた頃(1999~2003)、近所に高圧電線敷設の技術を持った男がいて、時々、長期間泊り込みで地方へ出かけては、敷設作業に携わっているようだった。いつだったか、その男が南東部ディヤルバクル周辺…