このYouTubeの動画では、カザフスタン出身のジャーナリストで、現在はトルコを中心に活動しているナズギュル・ケンツェタイ氏(Nazgül Kenzhetay)が、トルコ東部のヴァン県にあるキルギス人の村、ウルパミル村を訪ねて、伝統的な結婚式の模様などを取材している。
ケンツェタイ氏は、トルコ語に所々カザフ語(キルギス語?)も交えながら、村の老人たちに話しかけているけれど、トルコ語系諸語の中では、このカザフ語とキルギス語がトルコ語から最もかけ離れた言語の中に数えられるのではないかと思う。
カザフとキルギスは言語が近いだけでなく、文化風習も良く似ているという。ケンツェタイ氏にしてみれば、故郷のカザフスタンを訪れたような気分だったかもしれない。
以下の駄文でもお伝えしたように、トルコと中央アジアの連帯を熱望するケンツェタイ氏は、この動画でもトルコとキルギスの文化的な絆を強調しながら、キルギスの伝統を「昔のトルコ人の伝統」などと紹介したりしている。
しかし、1982年、当時のケナン・エヴレン大統領の招聘により、アフガニスタンのパミール高原からパキスタンを経てトルコへ移住してきたウルパミル村(偉大なパミールの村の意)の人たちを取り巻いて来たのは、それほど和やかな状況ばかりではなかったようだ。
東部のヴァン県はクルド人の多い地域である。かつてはPKKによるテロも頻発していた。その中で、ウルパミル村はコルジュと呼ばれる民兵部隊を組織して、PKKと戦うざるを得なかったという。
コルジュの多くはクルド人であるため、PKKとの戦闘を「クルド人とクルド人の戦い」などと揶揄する言い方も聞かれたけれど、ウルパミル村のコルジュ部隊には、それとは異なる特別な重要性も認識されていたのかもしれない。
しかし、政治的な問題はともかく、こういった紀行ドキュメンタリーを観るのは楽しい。
ケンツェタイ氏も難しい顔して時事問題を論じている時より、遥かに活き活きとした表情で楽しそうに見える。
私はウルパミル村の光景から、1992年頃、イズミルの近郊でカザフ人の村を訪ねた時のことを思い出した。
そのカザフ人の村にも馬が多く、村人たちは馬の乳からクムスという発酵飲料を作っていた。このクムスの発酵が進むと馬乳酒になるそうだが、村のクムスにアルコールは含まれていなかった。
そもそも、トルコの新聞でカザフ人の村とクムスについて書かれた記事を読んでから出かけた私の目的は、クムスを飲むことで、当時、カザフ人を取り巻く政治的な状況などには余り関心もなかった。
そのため、村の人から移住にまつわる話も聞いていたかもしれないけれど、思い出すのは、クムスと放牧されていた馬の様子ぐらいなのである。