イスラム
《2020年5月27日付け記事の後半の部分を修正して再録》 2005年1月21日付けトルコのラディカル紙のコラムで、ヌライ・メルト氏はイスラムの犠牲祭に関連して以下のように述べていた。 「この世界で生きることにはそれなりの代価があるはずだ。私たちの…
1991年に、イズミルでトルコ語学校に通っていた頃、東京大学を退官されてからトルコ研究に来られていた老先生と知り合った。 先生は長年にわたってイランの農村の研究に携わって来られた方だ。そのため、先生が大学を退官されてからトルコの研究を始めた…
モルドバ共和国のガガウズ人のルーツが何処にあるのかはともかく、トルコ共和国政府が自治区に学校を設立するなどして、ガガウズ人との連帯を進めているのは非常に興味深い。ガガウズ人はトルコ語に近い言語を話すものの、キリスト教徒であるからだ。 イスラ…
イスラムにも美術的な作品は多い。モスクには美しい装飾が施されていたりする。 しかし、コーランが小説や映画の題材として適しているようにも思えない。そういった作品があったしても、それほど読んでみたいとは思わない。あまり面白くなさそうである。 聖…
「エデンの東」の最後の場面を観ながら、やはり聖書は読んでおくべきじゃないかと思ったが、これだけ長い間、ムスリムの人たちと交流を持ち、イスラムとは何なのか考えさせられてきたのだから、もちろんコーランも全編を読んでみなければならないだろう。 し…
上記の駄文に、「餃子の王将」では、いつもニラレバと餃子ばかり食べているような話を書いてしまったが、昨日はムーシューロウと餃子だった。ムーシューロウも美味い。 王将のメニューには「肉と卵のいりつけ」と記されているけれど、厨房へオーダーを通す際…
加古川の市内に「マリポサのチチャロン」という屋台のような小さな店がある。配送のトラックで毎日のように前を通るため、1月からこの仕事を始めて以来、とても気になっていたけれど、「火・水・木」は休業と貼り出されているばかりでなく、週末もやってい…
イランで、スカーフを正しく被っていなかったとして道徳警察に逮捕された女性が死亡した事件に端を発した抗議活動は、激しい弾圧にも拘わらず勢いを増しているという。 イラン政府が「スカーフを外す自由」を認めて収拾を図ってくれたら良いが、果たしてどう…
トルコでも、ロシアによるウクライナ4州の併合は大きな話題になっているけれど、このところトルコの時事討論番組で最も多く取り上げられている外交問題は「トルコとギリシャの間に高まっている緊張」ではないかと思う。 最近、米国は、ギリシャのトルコ国境…
上記の駄文でお伝えしたように、かつては反イスラム的と思われていた共産主義者のドウ・ペリンチェク氏も今はイスラムを否定していない。それと共に、オスマン帝国の歴史も肯定的に語るようになったのではないかと思う。 ペリンチェク氏に限らず、多くの左派…
トルコの上海協力機構への加盟を巡る議論、断固反米の姿勢で知られる祖国党のドウ・ペリンチェク氏は、加盟と共にNATOからの脱退を強く主張している。 祖国党は2015年までの「労働者党」であり、ペリンチェク氏は共産主義による革命を標榜していた。…
トルコでは、イスラムの異端とされるアレヴィー派の人々が断食を行うムハレム月に入ってから、アレヴィー派の礼拝所であるジェムエヴィが立て続けに襲撃されるという事件があった。 犯人らは直ぐに逮捕されたそうだが、背景等は未だ明らかになっていないらし…
《2020年8月28日付け記事を修正省略して再録》 昨日(2022年8月8日)は、イスラム暦によるムハレム月の10日目「アーシューラー」の日だった。 西暦680年のこの日に、イマーム・フサインが「カルバラーの戦い」で殺害されたため、シーア派…
《2012年10月27日付け記事の再々録》 2011年の秋、トルコで有数の肉加工品会社を訪れたことがある。 トルコ風の牛肉ソーセージ(?)スジュクや牛肉ハムのパストゥルマが有名な老舗で、オスマン帝国の末期に、中部アナトリアのカイセリの特産品…
数カ月前のことで、詳細の記憶も曖昧になっているが、トルコの宗務庁のイマーム(イスラム教導師)が「海老やイカもハラーム(禁忌)である」という見解をネットの記事で明らかにして物議を醸していた。 トルコでは、一般的に、イスラムの教義上ハラーム(禁…
2003年、私はトルコ人の友人と共に東京ジャーミー(モスク)を訪れたことがあった。 東京ジャーミー(モスク)は、2000年に再建されて以来、トルコ共和国の宗務庁が管理し、イマーム(イスラム教導師)も宗務庁から派遣されている。 トルコ人の友人…
私は30歳になってからトルコ語を学び始め、都合20年以上トルコで暮らした末、4年前に素寒貧の状態で日本へ帰って来た。トルコ語を学んだことで手にした経済的な価値であるとか社会的なステータスなど、もちろん何処にもない。 それでも私は、トルコで様…
《2020年10月26日付けの記事を修正して再録》 私はトルコで、まず1991年~94年まで3年間暮らし、それから4年間のブランクを経て1998年~2017年まで過ごした。 私が初めてトルコを訪れてから、既に30年が過ぎようとしている。この…
今日の夜勤明け散歩は、勤務地のポートアイランドから三宮、新神戸、北野、元町というコースだった。 昼飯を神戸モスクの近くにある「シャワルマ」というケバブ屋さんで食べようと計画したため、開店の11時に合わせたコースになった。 また、今日はイスラ…
9月20日、ニューヨークで「Türkevi(Turkish House)」のオープニング式典がエルドアン大統領臨席のもとで執り行われた。 「Türkevi(Turkish House)」は、とりあえず「トルコ館」と日本語に訳して置く。 トルコ館は、1977年にIBMの社屋をトルコ…
《2016年10月15日の記事を再録》 イスラム教徒・ムスリムと言えば、何だか、まるで価値体系の異なる宗教的な世界で生きている人々みたいな雰囲気で語られたりしているけれど、トルコでイスラム教徒の人たちと接している限り、これが実際の様相を伝え…
《2019年11月1日の記事を再録》 日本でイスラムの社会について解説された記事を読んでみると、イスラムの教義から説き起こしている例が少なくない。 しかし、トルコでは、敬虔な信者であっても、教義を事細かに知っている人はそれほどいないだろう。 …
今日は、イスラム暦のムハレム月の10日目「アーシューラー」の日に当たるそうだ。 西暦680年のこの日に、イマーム・フサインが「カルバラーの戦い」で殺害されたため、シーア派の人々は「フサインの殉教」を哀悼して盛大な行事を催すようになったという…
上記のユーチューバーの若いトルコ人女性について、私は「世俗的」と表現したけれど、スカーフを被っている母親と姉の様子を見ると、家族の保守的な傾向は明らかであり、彼女自身のイスラム信仰もトルコの標準からすれば、わりと熱心な部類に属しているかも…
《2014年1月28日付け記事の再録》“漱石の罠”なんてつまらない話を書いて、漱石が主張した“無意識の偽善”を批判したけれど、あれが“則天去私”を求め、この世の平和を願った夏目漱石の思想なのかもしれない。 例えば、“アッサラーム”と唱え、やはりこの…
トルコでは7月20日に始まった犠牲祭も今日(7月23日)で終わる。コロナ騒ぎの中、犠牲祭は盛り上がっていただろうか? 犠牲祭の期間中には、メッカへの大巡礼も行われるが、こちらは規模を縮小して実施されることが報じられていた。 トルコでも「生贄…
「イエシル・ゲジェ(緑の夜):Yeşil Gece」は、トルコ共和国成立後の1928年に出版されたレシャット・ヌーリ・ギュンテキン(Reşat Nuri Güntekin:1889~1956)の小説で、オスマン帝国が崩壊して共和国革命に至る激動の時代を背景にしている。 小説の…
イスラムの教義上の禁忌として良く知られているのは、アルコールと豚肉だろう。 ところが、トルコの場合、飲酒はかなり広範に行われていて、ラクという酒をトルコの伝統的な文化の一つに数える人たちもいる。禁忌を守っている敬虔な信者たちがそれを激しく非…
2013年6月の騒動の舞台となったゲズィ公園の辺りには、オスマン帝国時代に軍の兵舎として設営された建物があったらしい。 この建物は、1940年にアンリ・プロストというフランス人建築家の都市計画にもとづいて取り壊され、その跡地がゲズィ公園にな…
《2017年1月12日付け記事の再録》 昔、「カスター将軍の第7騎兵隊」をモチーフにしたアメリカ制作のテレビドラマが日本でも放映されていた。1960年生まれの私が、小学校3~4年生の頃に観ていた記憶があるから、おそらく60年代の後半だったの…