メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イラン・イスラム体制の危機

1991年に、イズミルトルコ語学校に通っていた頃、東京大学を退官されてからトルコ研究に来られていた老先生と知り合った。

先生は長年にわたってイランの農村の研究に携わって来られた方だ。そのため、先生が大学を退官されてからトルコの研究を始めたことに不満を述べるイランの人たちもいたという。

こうして不満を顕わにしてしまうイランの人たちに比べると、トルコの人たちは非常に慎み深く見えたそうである。「トルコは中東のボンボンだねえ」と先生はその印象を語っていた。

先生からは、イランの状況についても色々お話しを伺っていたけれど、メモなど取っていなかったので、それぞれを明確に覚えているわけではない。

しかし、先生が「私の目が黒いうちに、イランでもう一度革命が起きる」と明言されていたのを思い出す。

先生は2001年にお亡くなりになって、それは叶わなかったけれど、私はその後も「いつか近いうちにその日は来る」と思い続けていた。

まさか、それから20年もイランのイスラム体制が持ち続けるとは考えられなかったのである。

90年代に、トルコや日本で知り合ったイラン人の友人の多くは飲酒を嗜んでいた。

以下の駄文にも記したように、1998年の3月、芦屋で催されたイランの新年を祝うバハイ教徒の集まりへ私と共に参加したイラン人の友人は「イランの正月は、皆、酒を飲んで祝います」と言い、土産に酒を買って行くべきだと主張して止まなかった。

イランには、数字は当てずっぽうだが、次のような話もあるそうだ。

「シャーの時代、イランには50のワイン醸造所があった。ホメイニの時代になって、それは5000に増えた」。

つまり、各々が家で密造酒を醸すようになったというのである。

また、キリスト教徒が密造酒で捕まっても罪は軽かったため、その多くはアルメニア人などのキリスト教徒であり、イランのイスラム教徒は知らない街へ引っ越したりすると、まずその街にキリスト教徒が何処にいるのか調べた、なんて話も聞いた。

こういった社会の実情に合っていないイスラムの体制は、いずれ覆されるはずだった。それが現在まで続いて来たのは、却って驚くべきことであるかもしれない。

しかし、その体制は、今、重大な危機を迎えているらしい。果たして、どうなることだろうか?

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