メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

2003-04-01から1ヶ月間の記事一覧

トルコの人たちの民族感情

2003年の1月、私は3年半に亘って働いた会社を辞めて、クズルック村に別れを告げることになった。 この期間、社内での立場もあり、トルコ人の同僚から自宅へ招待されても殆どそれに応じて来なかったが、退社を3日後にひかえ、ライン長として働く青年の…

トルコのクルド語事情(4)

02年の8月、トルコの国会では、クルド語を始めとする各民族語による放送と各民族語の教育を可能にする法案が可決された。(各民族語による教育を可能にするものではない) 92年に故オザル大統領が提唱して以来、10年も掛かってしまった上、EUへの加…

トルコのクルド語事情(3)

ディヤルバクルからマラティヤまでやって来ると、ここでもクルド人の住民は多いものの、非常事態が宣言されているわけでもなく、大分雰囲気が違っていた。 観光省が運営しているツーリストオフィスで、職員同士がクルド語を話し、私に向かって「今のはクルド…

トルコのクルド語事情(2)

94年、アナトリアの南東部を旅行したのだが、当時はクルド人ゲリラPKKの活動も盛んで、南東部の大半が非常事態宣言下に置かれていた。 その後、99年にPKKのオジャランが逮捕され、状況は良くなったというものの、イラクとの国境を有するハッカリ県…

トルコのクルド語事情(1)

イスタンブールに住んでいた頃、街角にある食堂や商店で、顔馴染みの店員が他の客に向かって、突然トルコ語ではない言葉を使って話し始めるのを何度も見たことがある。 その度に遠慮なく何語なのか訊いてみたのだが、その多くがクルド語であり、いつも、『あ…

キプロス島での出来事

去年(2000年)は、就労ビザ取得のため、4回も北キプロス共和国(トルコだけが承認している)へ足を運ぶはめになった。 北キプロスは住民もトルコ人なら、通貨もトルコ・リラ。トルコから市外局番で電話が掛けられるとあって、ほとんどトルコの国内旅行…

川崎の産廃屋でダンプの運転手

94年の9月、トルコから帰国すると、とりあえず川崎市にある産廃屋でダンプの運転手として働き始めた。 この会社を選んだことに特別な理由があったわけではない。「住み込み歓迎」と書いてあるのが目に留まったのと、川崎市なら韓国人がたくさんいるかも知…