メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコのクルド語事情(3)

ディヤルバクルからマラティヤまでやって来ると、ここでもクルド人の住民は多いものの、非常事態が宣言されているわけでもなく、大分雰囲気が違っていた。

観光省が運営しているツーリストオフィスで、職員同士がクルド語を話し、私に向かって「今のはクルド語なんですよ。貴方は分かりますか?」なんていたずらっぽく笑ったりするほどである。

彼らは、クルド語が決して弾圧されていないところを見せようとしたのだろうか。

マラティアは、アタテュルクと共に共和国革命の立役者であった第2代大統領のイスメット・イノニュ、そして第8代大統領であるトゥルグト・オザルというように共和国の歴史に名を残す偉大な人物が輩出した地方でもあり、クルド人の住民も自分達が共和国の中核を成していると確信を抱いているのかも知れない。

91年にイズミルで、マラティヤ出身の友人から招待され、市内にある彼らの家を訪れた。

客間には、アタテュルクと共にイノニュそしてオザル両大統領の写真も掲げられ、イズミル市の役人をしているお父さんは、「マラティヤには偉大な人物が生まれるんですよ」と誇らしげに語っていた。

食事の仕度が調い皆で席につくと、お父さんは、「ボクヘ、ボクヘ」と何だか意味の分からないことを言う。友人がすかさず、「クルド語で食べろということさ」と通訳すれば、お父さんも、「クルド語はペルシャ語に良く似ていて、ペルシャ語でもやはりボクヘと言うようですね」と説明してくれた。

その2年後に、イスタンブールでイラン人の知り合いと食卓を囲んだ際、このボクヘを思い出し、「ボクヘ、ボクヘ」とやってみたところ、彼は、訝しげに「それを何処で習ったんですか?」と訊く。私が、「クルド人から教わった」と簡単に伝えると、眉を顰め、

「イランでそんな言い方するのは、犬に餌をやる時だけです」

「はあ、それでは何と言えば良いのでしょう?」

「ロトフェンボクホリーと言って下さい」

ロトフェンはおそらくアラビア語起源の単語で、トルコ語ではリュトフェンと発音し「どうぞ」の意である。他のイラン人の友人に訊くと、ボクホリー(bokhorid)は、丁寧な命令形で、親しい間柄なら、ボクホー(bokhor)と言っても構わないそうだ。それなら、クルド語とそんなに違わないような気もする。

「犬に餌をやる時」と説明した知り合いは、イラン・イラク戦争の最中に背信行為を働いたというイラン国内のクルド人を激しく非難していたので、「クルド人から教わった」というのが癪に障ったのかもしれない。

クルド語がペルシャ語系統の言葉であるのは明らかでも、それによってクルド人とイラン人がお互いに親しみを感じることは余りないらしい。

これは、イランの人たちがイスラムシーア派であるのに対し、クルド人の多くはスンニー派だからなのだろうか?(イズミルの友人はアレヴィー派だった)

同様に、イランにはトルコ系のアゼリー人も多く住んでいるが、シーア派である彼らは、言葉が近いからといって、トルコ共和国トルコ人に対して、やはり特別な親しみを感じたりしないらしい。

イズミルの友人一家も、スンニー派クルド人に対し、同じトルコ人であるということ以上には、何の親しみも感じていなかったように思う。その代わり、クルドではなくてもアレヴィー派であれば、そこには非常に親密な感情があるのだろう。イズミルで彼らが暮らしていた街区にはアレヴィー派の世帯が集まっていた。

トルコやイランでは、アイデンティティーを計る尺度も私たちとは大分違っているような気がする。