メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

2011-01-01から1年間の記事一覧

ジェイムズ・ジョイス・アイリッシュ・パブ

一年ぐらい前、ベイオールで“アイリッシュ・パブ”という酒場を覗いたら、大きな画面でラグビーの試合を放映していて、4~5人の客が熱心に観ていたので、『珍しいものを発見したぞ!』と嬉しくなりました。トルコでラグビーの試合なんて観たことなかったし…

エルドアンによる政教分離の勧め

9月15日付けのミリエト紙の記事によると、エルドアン首相は、エジプトを訪れた際、エジプトの人々に政教分離の憲法を勧めながら、次のように発言したそうです。「トルコにおける憲法の政教分離は、国家が全ての宗教を平等に扱うことであると定義されてい…

とても寛容なトルコの人々?

一時帰国する前だから、7月の初めの頃ですが、引越しの手筈が上手く行かなくて、ヨーロッパ側はベイオウル辺りの安ホテルに3泊しました。その近くに3日ほど通わなければならない用事もあったため、根城をベイオウルにしたわけです。ベイオウルはイスタン…

断食明けの夕食“イフタル”

先週の金曜日は、友人の計らいで、彼と一緒に断食明けの夕食“イフタル”に招待されました。55歳になる友人は、子供の頃からコーランの学校に通い、導師養成高校を経てアンカラ大学で宗教学を修め、今年の6月で定年を迎えるまで、長年に亘って宗教科の先生…

今日からバイラム

8月1日に始まったラマダンの断食も昨日で終わり、今日から3日間のバイラム(イスラムの祝祭)です。7月に引っ越すまで、エサットパシャのアパートには4年近く住んでいました。部屋の家主は、近くに住んでいるペンキ屋さんで、家賃収入を得る為に所有す…

理容室の回転看板と韓国の思い出

昨日、ヨーロッパ側のヒルトンホテル付近を歩いていたら、雑居ビルの2階に、日本の理容室で見かけるような回転看板が出ていたので、『おやっ?』と思って、2階まで上がってみました。今まで、トルコでは、こういった理容室の回転看板を見た覚えがなかった…

イスタンブールのトラブゾン学生寮

“フェースブック”に加入したのは、一年ぐらい前かと思っていたのに、記録を見たら、2008年12月となっていました。加入したものの、利用することもなく、暫くそのままになっていたようです。それが一年ぐらい前から、“フェースブック”でメッセージを送…

アンタキアの名物

先月からの続きです。アンタキアの名物、まだまだあります。まずはカボチャのお菓子。カボチャを甘く煮たものは、トルコの何処へ行っても見かけるけれど、アンタキアのカボチャ菓子はちょっと変わっています。表面が砂糖でコーティングされたように固くなっ…

フムスの専門店

アンタキアで『これは美味い!』と思ったのが、このフムス(ヒヨコマメのペースト)とソラマメのペースト。この店のメニューは、これだけみたいです。イスタンブールのレストランで食べたフムスとは、舌触りの滑らかさが違っていました。フムスの本場はレバ…

アンタキアの朝食

テルカダイフを作り終えたムルセルさんが、次に焼き始めたのが“タシュカダイフ”。丸く片面だけ焼いてザルに上げていました。お菓子屋さんでは、この中に胡桃などを挟み、油で揚げてシロップをかけたものが売られています。ムルセルさんは、「隣の店でキュネ…

テルカダイフの製造工程

テルカダイフを焼いている店主のムルセルさんは三代目だそうです。トルコ語とアラビア語のバイリンガルで、小学生の長男は英語の成績も非常に良いと言うから、そのうちトライリンガルになるでしょうか?ムルセルさんは、子供たちを大学までやって、出来れば…

アンタキアのキュネフェ

水曜日の朝、アンタキアのイスティックラル通りで、ショーウインドウに“キュネフェ”と書かれた店があったので入ってみると、キュネフェを食べさせる店じゃなくて、キュネフェの素材になるテルカダイフやチーズを売っている店でした。小麦粉を溶いて、春雨の…

アンタキアの街

水曜日の夜、イスタンブールに戻ってきました。結局、アンタキアでは、4日の間アフメットさんの家でお世話になったけれど、この4日でハタイに満足するのは到底無理だったようです。見落とした所がたくさんあって、近いうちにまた訪れることになるかもしれ…

自家製ラク

トルコの国民酒とも言うべきラク、ハタイ県では、自家製を楽しんでいる人たちも多いそうです。この話、3年ほど前に、ハタイ県出身のアラブ系ギリシャ正教徒であるデスピナーさんから聞きました。トルコの法律では、自家製の酒を販売したら罪に問われるけれ…

ヴァクフル村

アンタキアに着いて3日目の火曜日、いよいよトルコで唯一残ったと言われているアルメニア人の村を訪れることにしました。ヴァクフル村です。アンタキアから、小さな乗り合いバスで、地中海を臨むサマンダーの町へ出て、ここからバスを乗り換え、小高い山の…

アンタキアの韓国プロテスタント教会

ギリシャ正教の教会で、「近くにプロテスタントの教会もありますよ」と言われて寄ってみました。門が閉じられていた為、裏の通用口に回ると、東洋人の女性が出てきたので、韓国語で声をかけたら、やはり韓国の人でした。イスタンブールの宋牧師からアンタキ…

アンタキア郊外

昨日は、教会を訪れた後、アフメットさんの同僚の車で、市の郊外にある教員組合の保養施設へ出かけて、昼食を食べ、周囲を散策しました。食卓を囲んだ6人は、私も含めてなかなか多彩な顔ぶれで、記念写真を撮ってくれた施設の管理者は、「いろいろいるねえ…

アンティオキア教会

ハタイ県のアンタキヤに来ています。いにしえのアンティオキアです。昨日の夜、ハタイ空港に降りた時もイスタンブールより大分暖かいと感じたけれど、今日の昼はもう夏の陽気でした。30℃ぐらいまで上がったのではないかと思います。3年前、美術科の教員と…

キュネフェの本場はハタイ

5月も半ばというのに、イスタンブールは肌寒い日が続いています。今日はやっと少し暖かくなりました。昨日も天気は良くて、友人のアリとカドゥキョイの街を暫くブラブラしたけれど、セーターを着込んだままで丁度良いくらいの陽気でした。トルコでは、チャ…

ソビエト映画-「私は20歳」

“私は20歳”という1962年に制作されたソビエトの映画があって、私はこれを90年、つまりトルコへ渡る前に、神保町の岩波ホールで観たように記憶していましたが、今、調べて見たら、この作品が岩波ホールで上映されたのは、1995年のことでした。 そ…

オザル大統領

1993年の4月17日にオザル大統領が亡くなってから、既に18年が過ぎました。 私は、このオザル大統領をイスタンブール市内で見かけたことがあります。92年頃じゃなかったでしょうか。 乗っていた市バスが、ベシクタシュの船着場前でゆっくり左に曲…

高島忠夫さんのラジオ番組~ 戦前の神田駅

私は20歳ぐらいの時に、40を過ぎた中年が若い頃の思い出をつい昨日の出来事のように話しているのを見て、『よくそんな下らないことまで覚えているもんだなあ』とか『このおっさんに20歳の時代なんてあったのかなあ』なんて不思議に思っていたけれど、…

カリフールの配送

以前は、トルコで電化製品などを購入する場合、街角の電気店であれば、冷蔵庫や洗濯機を直ぐに店の車で運んでくれたけれど、大きなショッピングセンターでは、後日、運送業者による配送となってしまうので、掃除機ぐらいのサイズなら、自分の車に積んで持っ…

歴史認識

日本では、一部の識者たちが、「戦時中の日本軍による残虐行為は、学校で未だ良く教えられていない」と主張しているようです。 ところが、こういった態度を自虐的であると批判している人たちは、逆に、「学校で日本軍の侵略行為を教えすぎている」と主張して…

グルジア文化センター

昨日は、イスティックラル通り裏手の盛り場を過ぎた先にある“グルジア文化センター”で催された夕食会に参加してきました。 この文化センターの存在を教えてくれたのは、ロシア正教の教会で知り合ったグルジア人のイレーナさんだったので、ここに集まるのは、…

オスマン帝国の国歌

National Imperial Anthem of Ottoman Empire:"Mecidiye Marşı"(Mecidiye March) 1299 - 1923 オスマン帝国の国歌、私は聴くのも初めてですが、それ以前に国歌の存在自体知りませんでした。壮麗な曲調が、オペラの序曲を思わせるけれど、それもそのはずで、…

強面の恐妻家

クズルック村の工場にも、強面の恐妻家がいました。工程設備の営繕を行う部署で、グループ長を務めていたオメルという青年です。 オメルさんは高卒の叩き上げで、情熱的な仕事ぶりが、日本人の出向者からも厚く信頼されていたけれど、ちょっと激しやすいとこ…

恐妻家?

チュニジアとエジプトの騒乱は、日本でも話題になっているようだけれど、その延長で、トルコにも好奇な視線が向けられたりすると、思わず「ちょっと待って下さい」と言いたくなってしまいます。 私はチュニジアやエジプトに行ったことはありませんが、騒乱に…

アジア杯~反日・親日

アジア杯で決勝のゴールを決めた李忠成選手。申しわけないけれど、サッカーについては殆ど何も知らないため、昨日のニュースで初めて、李忠成という日本代表選手がいることを知りました。 (李忠成の読みは“り・ただなり”のようですが、何だか語呂合いが・・…

母語の喪失「思い出は標準語で蘇ってまいりました。絶望的な痛みから逃れるために」

この10年ぐらいの間、トルコの経済が成長を続け、イスタンブールのような大都市で雇用が増大すると、南東部から多くのクルド人が大都市へ移住するようになりました。また、最近は南東部のディヤルバクルにも、イスタンブールにあるのと同じようなショッピ…