メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

昨日も難波のガチ居酒屋!

昨日、またあの「難波のガチ居酒屋」で一杯やって来た。

先月は気が付かなかったけれど、ここは24時間営業で、朝から酒類も提供しているそうだ。

昼夜交替のシフトで働いている人たちが、夜勤明けに飲む所も必要だろう。「朝から酒飲んで・・」なんて言わないで欲しい。

大々的にチェーン展開している店なのかと思ったけれど、店員さんに訊いたら、大阪市内に3店舗ほどあるだけという。

以下の駄文で、日本に来たトルコの企業経営者らが「ロイヤルホスト」の安さに驚いた話を書いたけれど、この居酒屋の安さも凄い。昨日は二人でかなり飲み食いして7千なんぼだった。

しかし、あれだけ低価格なのでは、従業員の人たちの給与も高が知れているに違いない。

これは日本経済の大きな問題になっているようだが、あらゆる業種で一斉に賃金を上げてくれたならともかく、居酒屋の料金だけが上がった場合、私らはおちおち飲んでいられなくなってしまう。

なかなか難しい問題であるような気がする。

それから、この店のメニューの豊富さにも驚かされる。あれでは調理する人たちも大変だろう。

しかも、何を食べても安くて美味しかった。

そのため、千客万来で、昨日は店の前で少し待たされた。私たちが出た時も、外で待っている人たちがいた。

難波もいよいよ活気を取り戻しつつあるのではないかと思う。

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醤油バター味のスパゲッティ美味い!

昨日は、夜勤明けに三宮から諏訪山公園の辺りを3時間ほど歩き、三宮に戻って昼を食べた。

三宮なら選択肢はかなりあったが、探し回ったりせず、当初から予定していた星乃珈琲のスパゲッティにした。

星乃珈琲は、福岡にいた頃、よく昼に利用していたけれど、こちらに来てからは、昨日が初めてだった。

ネットで醤油バター味のスパゲッティを絶賛している記事を読んで、どうしても食べてみたくなったのである。

福岡でも、食べるのはナポリタンか、この醤油バターで、記事を読みながら、具沢山なスパゲッティの味わいを思い出していた。

あれは確かに美味い。醤油とバターの組み合わせが実に見事だ。こういう和洋食材の組み合わせは未だ他にも色々あるかもしれない。

味噌バターラーメンはもちろん、味噌バタートーストも素晴らしい。醤油に味噌ほど強力な調味料は、なかなかないような気がする。

しかし、日本の外食産業の開発力は相当なレベルじゃないだろうか。チェーン展開で価格も抑えられるから、個人経営の店が対抗するのはいよいよ難しくなってしまう。

以下の駄文に、日本を訪れたトルコの企業経営者らが、「ロイヤルホスト」に喜んだ話を書いたけれど、彼らはそれまでに東京の高級なイタリア料理店等へも出かけていたはずである。日本の外食チェーンを侮ってはならないと思う。

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アナルセックスは健康に良くない?

《2003年5月6日付け記事を再録》

韓国人の友人の事務所では、思わぬ一面を見せてしまったリビア人のハシムだが、普段は朗らかで礼儀正しい青年である。「イスラムは愛の宗教、寛容の精神が大切なんです。敬虔なムスリムならば人を憎んだりはしません」と良く話していた。
ところが、あの一件から数日前のこと。ハシムと雑談しながら、結婚前の男女関係について訊いて見たところ、
「もし、僕の妹が結婚前に男と肉体関係を持ったとしますね。その場合、まず妹を殺します。それから相手の男が世界のどこへ逃げようと必ず探し出して殺します」
私は思わず目が点になってしまい、
ムスリムは人を憎んだりしないのではなかったのですか?」
するとハシムは慌てることもなく、
「もちろんですよ。妹やその男には何の憎しみもありません。男を見つけ出した時、彼が、久しぶりに会ったのだから話したいことがあると言えば、一緒にお茶を飲んでもいいんです。でも、その後で必ず殺します。これはきまりなので、こうするより他ありません」
もっとも、ハシムにとって、妹が貞操を破るなどということ自体、現実には起り得ないから、これは、単なるお話として聞いた方が良いのかも知れない。それにしても、あの受付の女性に自分と同じ様な兄がいるとは考えなかったのだろうか?

トルコの人達に訊けば、「そういう話はアラブの風習から出たものであり、イスラムとは何の関係もない」と言われる。しかし、クズルック村の辺りなら、まさか娘や妹を殺したりはしないだろうが、相手の男に危害を加えることは充分ありそうだ。
これが、イスタンブールイズミルのような都会になると、高校生の不純異性交遊なんていうものが話題になるくらいで、全くの別世界。トルコでは猥褻出版物などに対する規制に関して日本より甘い部分もあり、テレビのスイッチを入れれば、日本なら間違いなくカットされるような場面も出て来る有様(*これは2003年頃の状況で、現在はかなり厳しくなっている)。この中で、伝統に忠実な若者達が貞操を守ろうとするのは並大抵のことではないかも知れない。

大衆紙(ヒュリエト紙)の悩み相談コーナーに、こんな質問が出ていたこともある。
「私は20歳の男子で同い年の婚約者がいます。彼女は神の許しがあるまで処女を守りたいと言い、私も同じ考えです。それで、私たちは今、アナルセックスで我慢しています。これは彼女の健康に悪いでしょうか?」
これには唖然としたが、このコラムを担当している医師の回答もなかなかふるっていた。
「あなた方の行為は変態そのものです。これを変態と言わずして何を変態というのでしょう」
そこまでしたら同じことだから、普通にセックスを楽しみなさいとは勧めていない。そう言ったところで彼らが納得しないと思ったのか、この医師自身、あくまでも処女は守るべきと考えているのか、いずれにせよ医学的にではなく、倫理的にこの行為を否定しているのは確かだった。  

merhaba-ajansi.hatenablog.com

 

 

「911」から20年 /ムスリムと西洋 /ヒロシマの仇?

あの「911テロ事件」から20年が過ぎた。

事件は、陰謀説も含めて、様々に論じられてきたけれど、私にはパキスタンの物理学者パルヴェーズ・フッドボーイ氏による「ムスリムと西洋」という論説が非常に興味深かった。読んで直ぐに強い印象を得たのは、学習院大学教授の田崎晴明氏による日本語訳の素晴らしさもあったと思う。

ムスリムと西洋 ─ 9 月 11 日の後 ─パルヴェーズ・フッドボーイ (Pervez Hoodbhoy)】*翻訳は学習院大学理学部の田崎晴明

フッドボーイ氏が教鞭を取っていたパキスタンの大学では、一部の学生たちが事件を喜んでいたらしい。それは以下のように伝えられている。

「一部の学生は何も考えず攻撃を喜んでいた。 ・・・<中略>・・・ 合衆国の政策とは何の関係もない一般市民を残忍に殺戮するのが残虐行為であると学生たちに納得させるのに、二時間にわたる絶え間ない熱い議論が必要だった。」

これはトルコでも同様だった。

私はアダパザル県クズルック村の邦人企業の工場で事件の第一報を聞き、翌日、トルコの新聞を見てぶっ飛んだ。

一面に大きく「ついにヒロシマの仇を討った!」というような見出しが躍っていたのである。

記事は、テロを敢行したのが日本赤軍であるかのように伝えていたけれど、そこには凶行を非難するというより、「ついにやってくれたか日本人よ!」といった快哉に近い雰囲気があったと思う。

その日、工場では、私に手を差し伸べながら、「祝福します! 日本赤軍というのは、日本の愛国者なんですね!」と嬉しそうに言う者まで現れ、どう応じて良いものやら困ってしまった。

ところが、多分その日の内に、「日本赤軍の仕業」というのはフランスの通信社による誤報であると明らかになり、イスラム過激派の関与が囁かれはじめたため、今度はトルコの人たちが困惑の態となり、不安そうな表情を見せていた。

これで我々日本人は、やれやれと一息ついたけれど、この事件が起こる前も、私はトルコ人から、「日本はいつヒロシマの仇を討つんですか?」とか「次のパール・ハーバーはいつですか?」なんて真面目に訊かれたことが何度もある。

あの頃、トルコでは12月8日頃になると、必ずと言って良いほど、映画「トラ・トラ・トラ」を何処かのテレビ局が放映していた。

これには、親日感情というより反米感情が大きく関わっていただろう。だから、憎きアメリカをやっつけてくれるなら、ヒーローは日本じゃなくても良かったに違いないが、何と言っても、日本は、あの通り立派な「実績」を持っていたのである。

イスラム過激派の犯行が報じられると、在欧米のイスラム教指導者らは、イスラムの擁護に努めたという。

「反発をおそれて、合衆国、カナダ、ヨーロッパのムスリム共同体の指導者のほとんどは、ツインタワーでの残虐行為について予想通りの反応をした。 これは、本質的にふたつの部分からなる。 第一に、イスラム教は平和の宗教であるということ。 第二に、9 月 11 日にイスラムは狂信者にハイジャックされたということ。」

フッドボーイ氏は、このようにイスラム教指導者らの反応を伝えた上で、イスラム教に関する考察を明らかにしている。

イスラム教は ─ キリスト教ユダヤ教ヒンドゥー教、あるいは他のすべての宗教と同様 ─ 平和についての宗教ではない。 それは、戦争についての宗教でもない。 どんな宗教も、その宗教の優越性とその宗教を他者に押しつける神聖な権利についての絶対的な信念を扱うのである。」

この部分は、「何故、宗教を信じるのだろう?」といった駄文に何度も引用させてもらった。

そして、フッドボーイ氏は、「9 月 11 日にイスラムは狂信者にハイジャックされた」という第二の反応に対しては、次のように反論している。

「仮に、イスラムが、何らかの比喩的な意味で、ハイジャックされたのだとして、それがおこったのは 2001 年 9 月 11 日ではない。 それは、十三世紀頃におこったのだ。 ざっとまわりを見回せば、イスラムは未だ当時のトラウマから立ち直る必要があることがわかる。」

イスラムが被ったトラウマについて、トルコの識者らは、十三世紀のモンゴル侵攻ではなく、その数世紀後に起こった西欧による植民地支配から論じることが多い。それは、十三世紀の段階で、トルコ系民族は未だイスラムの表舞台に立っていなかったことに起因しているかもしれない。(トルコ系民族はモンゴルと共に侵攻した側にいた?)

ところで、フッドボーイ氏の論説は、トルコの政教分離等に全く言及していない。これは何故だろう?

トルコでは、フッドボーイ氏の「イスラムと科学(狂信に対する知性の闘い)」という著作が、1993年にトルコ語訳で出版されているけれど、それほど話題にはなっていなかったようだ。

1993年当時、トルコの政教分離主義は、イスラムの価値を殆ど認めない脱宗教的なものだったのに対し、この著作はイスラムの価値を認めながら、科学との関係を論じているようだから、トルコの知識層はあまり共感を抱かなかったのだろうか?

同様に、フッドボーイ氏も、トルコの政教分離主義的な知識人とは論じ合う余地を見出せなかったのかもしれない。

しかし、現在のトルコの政教分離であれば、双方とも大いに触発されるのではないかと思う。

以下の駄文で紹介した宗務庁長官の見解などは、フッドボーイ氏の論説と通じ合うところも少なくないような気がする。

さて、「ムスリムと西洋」の最後の所で、フッドボーイ氏は(2001年当時から見た)今後の展望を述べているけれど、これは実に的確な見通しだったと思う。

アメリカ人は、また、合衆国の帝国としての力は、すでにその頂点を過ぎていることをも認めなくてはならないだろう。 五十年代と六十年代は、永久に過ぎ去ってしまったのだ。 合衆国の勝利至上主義と国際法の軽視は、ムスリムの間だけでなく、いたるところに敵をつくりだしている。 それ故、アメリカ人も、横暴さをおさえ、この世界の他の人々ともっと同じようにならなくてはいけない。 しばらくの期間、合衆国は超大国であり続けるだろうが、その『超』の度合いがどんどん弱まっていくことは避けがたい。 これには、確たる経済的、軍事的な根拠がある。 たとえば中国経済は年率 7 パーセントで成長しているが、アメリカ経済は不景気を迎えている。 インドもまた急激に成長している。 軍事面を見れば、空軍力や宇宙での優位性は、もはや安全保障を確保するには不十分である。」

 

 

「パルミジャーノ・レッジャーノ」に負けないトルコのチーズ

先月、ギリシャのフェタを買い求めた神戸駅構内にあるスーパー「成城石井」で、今度はイタリアの「パルミジャーノ・レッジャーノ」を買って来た。

さすがに、チーズの王様などと言われるだけあって、とても美味い。

しかし、トルコで「カシャル」と呼ばれている種類のチーズの中にも、この「パルミジャーノ・レッジャーノ」に匹敵するチーズが有るのではないかと思った。

もっとも、全てのカシャルが、そのレベルで美味いわけではなく、特に美味いカシャルを探すのはなかなか難しかった。というより、それは「偶然、美味いカシャルに行き当たることがある」と言ったほうが良いかもしれない。

なぜかと言えば、トルコのチーズはスーパーや市場で、産地別に分けて売られているぐらいで、特にブランド化が進められていないのである。

市場で無造作に並べられているカシャルの中から、おじさんが自信有り気に「これどう?」なんて言いながら、少し切って差し出してくれたカシャルを試食してみると、それが「パルミジャーノ・レッジャーノ」に負けない絶品だったりした。

フェタと同じ白チーズのペイニルも、多少ブランドのようになっているのは、エーゲ海地方のエズィネ産のペイニルぐらいじゃないかと思う。

アダパザル産の「チェルケス・ペイニル」がイスタンブールでブランドのようになっていたけれど、実際にアダパザル県のクズルック村で食べた「チェルケズ・ペイニル」と比べたら、なんだか紛い物としか思えない風味のチーズばかりだった。

私が働いていたクズルック村の工場にも、チェルケズ人の社員がたくさんいたくらいで、あの辺りにはチェルケズ人が多数居住していた。

あれは、まさに本場の「チェルケズ・ペイニル」だったのかもしれない。

「チェルケズ・ペイニル」とは異なるが、クズルック村の自宅の隣のバッカル(雑貨食料品店)で売っていたペイニルも美味かった。脂肪分が多く、しっとりとしてクリーミーな風味は絶品と言えた。

バッカルの親爺さんは、おそらく、あれを近所の知り合いの農家から仕入れていたのではないだろうか。

ペイニルは再利用のブリキ缶で漬け汁の中に保存され、そのブリキ缶が店の片隅に置かれていた。

親爺さんの息子は工場で働いていたので、多分、彼が工場のトルコ人エンジニアに、店のペイニルを持って行ったりしたのだろう。店までペイニルを買い求めに来るエンジニアもいた。

エンジニアは、店で私と顔を合わせたら、「ここのペイニル、凄く美味いよね。誰も知らないようだな」などと言いながら笑っていた。

しかし、そうやって、皆が自分たちの秘密みたいにしてしまうから、なかなかブランド化も進まなかったのかもしれない。

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2013年9月 イスタンブール 市場で無造作に並べられた「カシャル」

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2013年9月 イスタンブール 市場で無造作に並べられた「カシャル」

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2013年9月 イスタンブール 市場の美味しそうな白チーズ「ペイニル」

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2013年9月 イスタンブール 市場の様々なチーズ

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2013年9月 イスタンブール 市場の様々なチーズ

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2013年9月 イスタンブール 市場の様々なチーズ

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2013年9月 イスタンブール 市場の様々なチーズ

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2013年9月 イスタンブール 市場の様々なチーズ

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パルミジャーノ・レッジャーノ



「猫も犬も人も愛するトルコの人たち」

《2020年2月1日付け記事の再録》

昨日(2020年1月31日)、テレビのニュース番組で「トルコの人たちの猫好き」を紹介していた。

トルコの人たちは野良猫にも餌をあげて可愛がるので、野良猫たちも人を殆ど恐れていない。それどころか、呼びかければ餌をもらえると思って近づいて来るくらいだ。

番組では、「猫好き」の理由を「預言者ムハンマドが猫を可愛がっていたから」と説明していたけれど、これはどうだろうか? 

猫を可愛がっている人たちの多くは、そこまで考えていないのではないかと思う。

問われれば、「可愛いから」と答えるような気がする。信心深い人たちも不信心な人たちも、皆、一様に猫を可愛がっている。

そもそも、トルコの人たちが可愛がっている動物は猫だけじゃない。野良犬も相当に可愛がられている。

街角には、大きな野良犬が何の警戒感もなく無防備な状態でごろんと横になっていたりするので、気をつけて歩かないと踏んづけてしまいそうになる。

保健機関は、定期的に野良犬を捕獲して、狂犬病の予防接種や避妊処置を施したりするそうだが、殺処分などせず、また街中に放してしまうらしい。

そのため、郊外の山中には、大きな野良犬(というより野犬か?)が群がっていて少々剣呑な雰囲気になっている所もある。そういう野良犬の群れが集まる所へ、車で出かけて餌をやっている人たちもいる。

数年前には、そうやって餌をあげていた女性が野良犬の群れに襲われ殺されてしまう痛ましい事件もあった。

しかし、「危険な野犬は処分しろ!」という声が高まったという話は聞いていない。そんなことになれば、野良犬を可愛がっていた女性も浮かばれないからだろう。

トルコの人たちは優しい。野良猫や野良犬ばかりでなく、日本から外れて来た「野良人」と言えるような私にも優しかった。とても有難いことだと思う。

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2013年7月 イスタンブール

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2013年7月 イスタンブール

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2012年12月 イスタンブール

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2012年12月 イスタンブール

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2012年12月 イスタンブール



 

   

凄い国、パキスタンと日本!

先日、夜勤明けに三宮の駅まで歩いたら、途中、真新しいビルの正面に、日章旗パキスタンの国旗が掲げられているのを見た。

どうやら、そのビルは「JAN TRADING」という企業の社屋らしいが、何故、パキスタンの国旗も掲げられているのか気になって調べてみたところ、パキスタンの人によって創業された中古車売買の会社のようである。

いつ頃からか、中古車の売買や廃品回収といった分野で、イランやパキスタンの人たちの活躍が目立つようになっていた。

一昨年まで過ごした福岡にも、廃品や廃車の解体と再利用を主とするパキスタン人経営の会社があった。

「JAN TRADING」はその中でも大成功者と言えるのではないかと思う。

福岡で知り合ったパキスタンの友人たちにも、こういうサクセスストーリーがあると期待したい。

しかし、以下のYouTubeの動画で見られるように、派手なオープニングセレモニーを実施したりして、ちょっと見栄を張り過ぎている雰囲気も感じられる。

現在、様々な分野で外国から移民してきた人たちが活躍している状況を考えると、中にはトルコ人が起業して大成功を収めた会社もあるかもしれないけれど、トルコ人パキスタンの人たちに比べたら多少控えめだから、これほどまでに派手なセレモニーはやらないような気がする。

88年に韓国へ語学留学していた頃、ソウルオリンピックを前にして、KBSでは、参加国の子供たちが自国を紹介するという番組が放送されていた。

その第1回目は韓国だったが、もの凄い豪邸でお姫様のように着飾った女の子による「生活と文化」の紹介に驚かされた。

一緒に観ていた下宿の韓国人大学生らは、「こんな生活しているのが我が国の何処にいるんだ!」と憤慨し、とても恥ずかしがっていた。

しかし、パキスタンのそれは韓国を遥かに上回り、豪邸というよりお城のような所の生活が紹介されていたと記憶している。

下宿の大学生たちも「我が国より程度の低い国があって良かった」とホッとした表情で語っていた。

私は、子供の頃から気になっていたトルコが、どういう紹介の仕方をするのか注目していたけれど、少し高級なアパート(日本で言うマンション)に住む家族のごく普通な娘さんが出て来たので、何だか妙に安堵したのを覚えている。

日本の紹介は、逆の意味で極めつけだった。平屋の木造アパートから元気な女の子がその生活を紹介していた。おそらく、シリーズの中で最も貧しそうな生活だった。

私は鬼の首でも取ったかのように、下宿の大学生らを見渡しながら、「君たちは日本の経済援助が足りないと文句言ってるけれど、こんなに貧しい人たちがどうして豪邸に住んでる人たちを援助しなければならないのか!」なんて得意になり、学生たちは見るも哀れなくらい意気消沈していた。

しかし、「凄い日本!」を喧伝して止まない今の日本を見たら、私たちの方が恥ずかしくなってしまいそうだ。

人間は何処の国でも、引け目を感じていると、余計に見栄を張りたくなってしまうのかもしれない。

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