メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコは「イラン」になってしまうのか?

2007年にトルコで国政選挙が実施される前だったと思う。

イスタンブールエルドアン氏のAKPを支持する保守的な友人家族を訪ねたところ、折しも選挙戦の真っ盛りとあって、友人らも選挙戦を報じるニュース番組を注視していた。

当時、与党AKPは親欧米であり、EU加盟を目指して民主化を進め、民営化にも積極的な姿勢を見せていた。故オザル大統領の路線を引き継ぐ「中道右派保守政党」と考えられていたのである。

一方、国父アタテュルクによって創設された第一野党のCHPは、国家資本主義を理想とする左派政党であり、民営化に強く反対し、欧米、特に米国に対しては、国是である「国土の不可分の統一」を脅かす存在であるとして警戒感を顕わにしていた。

選挙戦を報じるニュース番組では、丁度、CHPの故バイカル党首(当時)による反米的な主張が紹介されていたけれど、友人はそれを聞きながら、「よせよ、そんなことしたらトルコはイランになってしまうぞ」と呟いた。当時、AKPを支持する保守的・イスラム的な人々の間に「イラン・イスラム革命への憧れ」なんてものは全く感じられなかった。

友人は、トルコが米国と協調して民営化を進め、経済的に潤うことを望んでいたのだろう。野党勢力が危惧していた「イスラム化」に関しては、「トルコがいつイスラム化すると言うんだ。教えてくれないか?」と笑っていた。

今、振り返ってみれば、当時もトルコの政治における最も重要な対立軸は「親米か反米か?」であり、「イスラム主義と政教分離主義の対立」はそれを曖昧にさせる表向きの論争だったような気もする。

トルコ共和国は、オスマン帝国を倒して樹立されたので、その正統性を確立するため、当初はオスマン帝国を否定し、その支配原理だったイスラムに対しても「政教分離」が強調された。しかし、共和国が揺るぎない正統性を確立し、政教分離も当然のこととして受け入れられるようになると、徐々にオスマン帝国イスラムを殊更否定的に語る必要がなくなって来たのではないだろうか?

それよりも、過剰な西欧志向により、「祖国」に対する思いが冷めて行くことの方が危惧され始めていたのかもしれない。

2007年当時、CHPを支持する西欧志向の強い都市住民は、バイカル氏と共に「反米」を主張していたけれど、「反帝国主義による革命」などと言うのは、一種の洒落たファッションに過ぎなかったのか、米国との対立が深刻となり経済的な圧迫も厳しさを増すと、たちまち嫌気がさしてしまったようだ。

2014年頃、西欧志向の強いアタテュルク主義者の友人らが「アタテュルクにも間違いはあった。救国戦争でクルド人など救ってあげなくても良かった」とアタテュルクを批判したのには驚いた。

「トルコはイランになってしまうぞ」と呟いた友人のように、AKPを支持していた保守的な人たちはどうなのか?

彼らが熱烈にアタテュルク主義を語ることはなかったものの、トルコの伝統的な価値観に基づく「尚武の気質」の所為か、トルコ軍に対する信頼には揺るぎないものが感じられた。救国戦争でクルド地域を含む国土が死守されたことも誇りに思っているはずだ。

そのため、米国との対立により、経済的な圧迫が加えられたとしても「国土の不可分の統一」は守らなければならないという現在の政権支持者の主張にも理解を示すかもしれないが、今のトルコはまさしくイランのようになってしまっている。

おそらく、彼らの中には、今回の地方選挙でAKPに投票しなかった人もいたのではないかと思う。都市の住民は、保守も革新も経済の動向に敏感だろう。

現政権(あるいは国家)は、テロ組織を根絶させるためのイラク越境作戦等で膨大な軍事費を使っている。最近、政府が喧伝している「トルコの成功」もステルス戦闘機の開発等々、軍事に関わるものが多い。いずれも、庶民の経済とは何の関連もなさそうである。これを彼らが不愉快に感じていたとしても不思議ではない。

今、イランとイスラエルの戦争が話題になっているけれど、トルコの一部の識者によれば、あれは各々の利益に基づく「芝居」に過ぎないという。

イスラエルはイランとの戦争により、ガザの蛮行から国際世論の注目を逸らすことができる。

一方のイランに関しては、「米国とイスラエルの攻撃から祖国を守るという名分がなければ、イスラム体制を維持できないため、ああいった芝居が必要なのだ」と論じられているのである。

2020年にカスム・スレイマーニ氏が殺害された報復として、米軍基地を攻撃した際も、事前に米国へ通達していたため、人的被害はなかったという。

確かに、米国はトルコをあからさまに分割しようとしたが、イランの分割を企図したことはないように思える。イランの分割は、トルコを中東の盟主にしてしまうからだろうか?

トルコの状況はイランと大きく異なる。「芝居」があるとすれば、米国と協調する姿勢を見せる場合であるかもしれない。

「国土の不可分の統一」を守るというのは、単なる名分ではなく、差し迫った現実であり、それは「共和国の存亡」に関わる問題と言っても良いのではないかと思う。

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雨の姫路城と行列のできるトンカツ屋さん

今日は雨の中、姫路城を見て来た。

桜も散った雨の姫路城だが、結構観光客が訪れていた。遠方から来た人たちは、雨ぐらいで予定を変えられないのだろう。インバウンドの観光客も多かったように思う。

実は、私が雨の中を姫路城まで歩いたのは、城の近くにあるトンカツ屋さんへ行くためだった。

このトンカツ屋さんの存在には、随分前から気がついていた。なぜなら、いつも少なからぬ人たちが店頭に並んでいたからだ。

しかし、この雨ならそれほど混んでいないだろうと思ったけれど、これは見事に的中した。待ち時間無しで、美味しいロースカツを味わうことができたのである。

ロースカツは、脂が霜降りのような状態で広がっていて、なんとも言えず素晴らしかった。リブロースという部分を使っているらしい。

肉の旨味は脂が決め手じゃないだろうか? ヒレカツより、やっばりロースカツである。

 

エルドアン大統領の後継者は?/トルコと日本の文民統制

エルドアン大統領が4年後に任期満了で退任するとして、その後継者は果たして誰になるのだろう?

今のところ、現外相のハーカン・フィダン氏が有力視されているらしい。野党側は、対立候補に現イスタンブール市長のエクレム・イマムオール氏を擁立するのではないかという。

既に、地方選挙が始まるはるか前から以下のようなアンケート調査も行われていた。

街角で人々に「今、大統領選挙があれば、フィダン氏とイマムオール氏のどちらへ投票しますか?」と訊いているのだが、まだ両氏が候補になると決まったわけでもないし、いったいどういう意味があるのか良く解らない。

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フィダン氏は元々与党AKPのメンバーではなかったのだから、反AKPの有権者たちにもアピールできそうな気がするけれど、「エルドアンの後継者」というだけで拒絶反応を示す人も少なくないのだろう。

仮に、フィダン氏がエルドアン氏に次いで第13代大統領になれば、第7代のケナン・エヴレン以来となる軍人出身の大統領が誕生するそうだ。

トルコの大統領は、初代のアタテュルクから第7代のエヴレンまで、第3代のジェラル・バヤルを除けば全て軍人出身だったのである。

しかし、日本も戦前の歴代首相をみれば、軍人出身が多かった。幕末に武士として戦闘に加わっていた伊藤博文大隈重信も「軍人出身」と見做せば、かなりの割合になるだろう。

ところで、フィダン氏の経歴をちょっと見ていたら、「軍人出身の外相はイスメット・イノニュ以来」という記述があったので、何だか意外に思えた。

第2代大統領のイノニュは、アタテュルク大統領の時代に外相を務めたことがあり、フィダン氏はそれ以来の軍人出身の外相であるという。

戦前の日本も、外相は外交官出身が多かったけれど、野村吉三郎のような軍人出身の外相も何人かいたようだ。陸奥宗光も幕末の武士だったから「軍人出身」と見做して良いかもしれない。

なにしろ江戸期の日本は、司法から行政に至る全てを「武士」という軍人が担っていたのである。他の国々の歴史にこういった例は見られるだろうか?

オスマン帝国は軍と政治の区分けが結構出来ていたらしい。外務もほぼ専門の外交官が担っていたようである。

日本も戦後は、外相に限らず首相もその殆どが文民であり、職業軍人の出身者は、まずいなかったのではないかと思う。

そのため、現在の文民統制は、トルコよりも日本の方が遥かに進んでいると考えたくなる。

しかし、日本の政府は、駐留している米軍に対して何か指示することが出来るのだろうか?

あれでは「文民統制」と言えないような気がするけれど、果たしてどうなんだろう?

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「花より団子」じゃなくて「花より山」?

今日は快晴、絶好の散策日和だった。それで、朝から高御位山を目指して家を出たが、少し遠回りして、まずは高御位山が最も立派に見える所へ寄って見た。

この辺りは配送のトラックで、たまに通るけれど、もちろん写真を撮るチャンスはない。ここから眺めると、高御位山は何だかとても高く見える。「播磨富士」と呼ばれているのも納得が行く。

それから、「播磨富士」へ登り、人気の縦走路を辿って、鹿島神社の方へ降りた。辺り一帯は「鹿島・扇平自然公園」と称され、ネットの情報によれば「2000本の桜が咲き乱れる」という。今日の目的地はここと言って良かった。

しかし、着いてみると、神社の裏手には数本の桜が花を咲かせているだけである。

桜の樹の下に佇んでいた年配の御夫婦にお尋ねしたところ、やはり「自然公園」を目指して来られたそうだが、誰に訊いても「自然公園」の場所が特定できなかったらしい。

確かに、縦走路から見下ろした限りでは、2000本も咲き乱れているような所は見当たらなかった。

神社の方へ行って巫女さんに訊いてみたら、「ネットをご覧になって来たんですよね? 自然公園はこの辺り一帯のことなんですが、あの情報は古いもので、今は桜の樹も減ってしまい、この裏手にいくつか咲いているのと、あとは少し先の市ノ池公園にもっと咲いています」と丁寧に説明してくれた。

御夫婦の所へ戻って、その旨報告すると、「私たちはネットじゃなくて新聞の記事を読んで来たのですがねえ」と残念そうにされていた。

まさか、新聞もネットから情報を得て記事を書いていたのだろうか? 最近はそれも充分に有りえるような気がするけれど・・・。

まあ、今日は高御位山の立派な写真も撮れたし、晴れ渡った縦走路も快適だったから、「花より山!」と思って満足することにしよう。










エルドアン大統領の任期は?

与党AKPが惨敗した地方選挙で、まだ選挙戦が競われていた頃、地方遊説に飛び回っていたエルドアン大統領が4年後の勇退を示唆して話題になっていた。

エルドアン大統領は、「法律上、これが私に与えられた最後の任期になる。選挙戦もこれが最後である。そのため、後を継ぐ友人たちへ禍根を残さぬよう頑張っている」と発言したのである。

この発言に、連合を組むMHP(民族主義者行動党)のデヴレット・バフチェリ党首が直ぐさま反応を示し、これまた話題になっている。

バフチェリ氏は、党内集会における演説で、エルドアン大統領に対して「離れることはできない! 国民を置き去りにして行くことはできない!」と任期の延長を呼びかけたのだが、その口調は厳しく、要請というより命令であるかのように思えた。

エルドアン派の識者によれば、現在、国を統治しているのは、エルドアン氏ではなくバフチェリ氏なのだから、命令口調になるのも当然のことらしい。

かつての支持者の中からも、「エルドアン大統領は、バフチェリ氏とペリンチェク氏の言いなりになっている」という批判が聞かれたくらいで、バフチェリ氏らが相当な影響力を持っているのは確かなようだけれど、それは両氏の背後に控えている軍部の影響力であるかもしれない。

バフチェリ氏は軍部の右派、祖国党(2015年までは労働者党)党首のドウ・ペリンチェク氏は軍部左派のイデオローグであるかのように長い間言われて来た。

「軍部の左派」というと何だか奇妙な感じもするが、トルコ共和国は「革命」を掲げて樹立されたので、長い間、左派が国家体制の側であると見られていた。

バフチェリ氏のMHPは、民族主義と共にイスラム色を強く打ちだしていることから、保守・右派に数えられるが、エルドアン大統領のAKPは、当初、さらに濃厚なイスラムであると思われため、保守反動・反体制と見做されかねなかった。

しかし、未だに「革命」を標榜しているペリンチェク氏も、この15年ぐらいの間にイスラムの価値を尊重して認めるようになったので、右派・左派という区分はそれほど明確ではなくなってきているかもしれない。

トルコ軍は、米国が供与した兵器でさらに武装化されたテロ組織との激しい戦闘状態にあり、多くの兵士が戦死を遂げる事態となった。

これにより、軍部のイスラム的な傾向も強まったのではないかと思う。

昨年の大統領選挙前まで、バフチェリ氏と共にエルドアン大統領を強く支持していたペリンチェク氏は、バフチェリ氏との関係を問われるや、「トルコ語の古来の意味からすれば『yoldaş(同志)』と言えるが、レーニンスターリンに対して使った『同志』という意味ではない」と答えたそうだ。

これは、「革命の同志ではないが、祖国防衛のために共に戦う同志である」という意味なのだろうか?

ペリンチェク氏は、再選されたエルドアン大統領による「スウェーデンNATO加盟承認」やシムシェク財務相の復帰を辛辣に批判して、エルドアン氏とAKPに対する支持を撤回したものの、イスタンブール市長に再選されたイマムオール氏に対する「米国の手先」という激しい非難の矛先も収めようとはしていない。

そのため、4年後の大統領選挙でイマムオール氏やそれに類する人物の当選は何としても阻止しようとするはずだ。

「同志」のバフチェリ氏も同じ思いであるに違いない。それで、エルドアン大統領の任期延長を主張したりするのだろう。

しかし、エルドアン氏は、4年後、74歳になっている。

法律上もそうだが、体力的にも難しい。おそらく、エルドアン氏自身が示唆したように「勇退」となるのではないか?

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戦争と宗教(トルコの軍)

《2019年6月16日付け記事を省略して再録》

2001年の5月、イスタンブールにあるロシア正教会の教会を訪れ、ロシア人司祭の話を伺ったところ、この司祭さんはロシアの歴史上の人物としてスターリンを高く評価し、フルシチョフに対しては批判的だったので驚いた。 

スターリンは「大祖国戦争」が始まると、正教会にも協力を求めて、信仰に理解を示したけれど、フルシチョフは再び正教会に弾圧を加えたと言うのである。

この話を、当時、25歳ぐらいだったトルコ人の友人に伝えたら、それほど信仰もないと思われた彼が、次のような反応を見せたので、これまた興味深かった。

「当たり前さ、バース党のサダムだって戦争が始まったら、アッラーに祈りだしたじゃないか。トルコは国民を総動員しなければならないような戦争を経験していないだけなんだ。そういう事態になったらスターリンやサダムと同じことをしなければならなくなると思うね」と言い、それから少し語気を強めて、こう続けたのである。「ここの軍隊は楽なところに座っているだけなのに、えらく思いあがっているんだ」

確かに、アタテュルクを始めとする有志軍人たちが独立戦争を戦った時代とは異なり、その頃のトルコは、クルド武装組織PKKとの小規模の戦闘が続く南東部を除けば、至って平穏であり、軍人が戦死するリスクは少なかったにも拘わらず、軍は政教分離主義の守護者として特権階級のように振舞っていた。 

外部の敵より、内部の分離独立主義者やイスラム的な反動勢力を取り締まるのが主な任務であるかのように思われ、そのためなら国政に介入するのも当然の権利と見做されていた。 

2007年、イスラム的なAKP政権に反対する政教分離主義者らのデモ行進では、「軍は任務へ!」というプラカードも掲げられた。つまり、国政に介入してAKPを政権の座から引きずり降ろしてくれと言うのである。 

しかし、独立戦争の時代には、アタテュルクもイスラムの精神を鼓舞する発言を多く残していたそうだ。

トルコの国歌“独立行進曲”にも、新月アザーンといったイスラムを象徴する言葉が出て来る。やはり、あまたの犠牲を伴う戦争を戦い抜くためには、信仰の力に頼らざるを得なかったのだろうか? 

そもそも、軍が政教分離主義の守護者をもって任じていた頃も、兵士らが突撃する際の「鬨の声」は「アッラー!」だったという。 

あるイスラム主義者は、これを批判して、「普段はイスラムの教えを蔑ろにしているのに、死を覚悟させる時だけは『アッラー!』と叫ばせるのか? イスラムの価値を認めるか、さもなければ『アタテュルク!』と叫ばせるべきだ」というように論じていた。 

実際、2015年以降、シリア国境付近での戦闘が激化して、戦死する軍人が後を絶たなくなると、軍の高官らもイスラムの価値を重んじるような発言を躊躇わなくなった。 

どうやら、「・・・そういう事態になったらスターリンやサダムと同じことをしなければならなくなる」という友人の見立ては正しかったようだ。 

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加古川の桜の名所

今日は加古川の教信寺へ桜を見に行った。

教信寺は由緒ある天台宗の古刹で桜の名所としても知られているという。

昨年の5月、休日に自転車でこの辺りを見て回った時に、何の予備知識も無いまま境内に入り、新緑の桜の樹が立ち並んでいるのを見て、『これは桜の季節に来なければならない』と思ったのである。

天気予報では終日曇天と伝えられていたけれど、東加古川駅から歩いて教信寺へ着いた頃には日が差し始めて大分気温も上がった。境内を歩き回ると、ジャケットを脱いで半袖になっても汗ばむくらいだった。

境内はさほど広くないものの、桜の樹で埋め尽くされているかのようで、なかなか見応えがあった。

各々の樹の配置も見事であると思う。樹の手入れも行き届いているのだろう。非常に整然とした美しさが感じられた。

教信寺を後にしてから、近くにあるオークラ輸送機本社の正門にある桜の樹も見に行った。この桜は「オークラ桜」と名付けられていて、加古川市内では有数の大樹だそうである。

桜の季節に限って、正門脇の通用口が開放されており、「ご自由にご観賞ください」と書き添えられていた。

私はこの会社が何を製造しているのかも知らなかったので申し訳ないように感じてしまったが、有難く中へ入って写真を撮らせてもらった。

それから、オークラ桜に続いて所々の桜を眺めながら、今度は加古川駅の方まで歩いた。天気も良くて素晴らしい休日の散策だったと思う。