メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコの官僚(輸入を阻まれたパチンコ台)

《2016年1月2日付け記事の再録》

イスタンブールに現地事務所を構えていた日本の会社で働かせてもらっていた1992年の初秋、この会社がトルコへの輸入を試みた物品が、イスタンブールの税関で止められてしまった。
その物品は日本の遊戯機器、つまりパチンコ台だったが、これを輸入が禁じられているビリヤード台の類と見做して、通関不可を言い渡してきたのである。
直ぐに責任者の方たちとイスタンブールの税関へ赴いたところ、広くて立派な税関長室に案内された。
そこで我々を迎え入れた税関長もパリッとしたスーツに鷹揚な態度で、やはりなかなか御立派な雰囲気を漂わせていたものの、「なんとか許可が出るように尽力してみましょう」と、その対応はとても友好的だった。要するに、『いくらか出せば・・』と含みを持たせていたのだろう。
ところが、数日後、この税関長から、「アンカラの本省が不可と通達してきたため、もう私に出来ることはない」という連絡があった。どうやら、パチンコ台は、イスタンブール税関の裁量を越える案件になっていたらしい。
その後、政財界に繋がりを持つと言われる人物の仲介により、アンカラの本省まで行って、直々に輸入の許可を求めることになった。
私たちが面会したのは、多分、関税商務省で輸入を司る部署のトップに近い官僚じゃなかったかと思うが、まずは、その執務室の貧弱さに驚かされた。広くて立派なイスタンブールの税関長室とは比べ物にならない。
現れた官僚も40歳前後の風采の上がらない男で、地味なくたびれたスーツを着て、態度も非常に紳士的というか腰が低かった。
しかし、語った内容は極めて厳しく、「我々はパチンコ台がどういうものか良く知っている。その上で輸入を禁じたのであり、これは何があっても変わらない」と明らかにされて、取り付く島もなかった。
日本から出向していた責任者の方は、「ああ、この国は大丈夫だ。下が腐っていても上がしっかりしているから・・・」と何だか感動したような面持ちだった。
トルコで官僚が採用される過程はちょっと良く解らない。日本と同類の国家公務員試験を実施しているわけではないようだ。聞くところによると、ほぼ特定の大学の出身者の中から選び抜かれているらしい。中でもアンカラ大学政治学部が占める割合は非常に高いと言われている。
(日本も試験して得られた結果を見ればトルコと大して変わらないのでは?)
トルコの場合、『我こそは』という志がある若者たちに未だ「軍」という選択肢が残されているけれど、各省庁の官僚にも、かなり士気の高い優秀な人材が集まっているのは間違いないと思う。
この5~6年の間にも、何度か通訳として随行したアンカラの官公庁で、官僚と出会う機会に恵まれたが、やはり如何にも優秀な人たちばかりだった。
一度、エーゲ海地方の企画について、アンカラの官庁で話し合っていたところ、その場を仕切っていた役付きの官僚が、未だ入省して間もないと思われる若い官僚に、「君も日本の方たちと一緒に現場を見て来なさい」と命じた。
私たち日本人一行が、その夕方に航空機でエーゲ海地方へ飛び、ゆっくりホテルで休んで、翌朝その現場に赴くと、若き官僚は私たちよりも先に来ていた。
当然、航空機を利用したと思ったので、彼に「フライトは昨日何時の便だったのですか?」と訊いたら、恥ずかしそうに「いやあ、そんな贅沢は許されていませんよ。昨日、仕事が終わってから、夜行の長距離バスに乗って来たんです」と言うのである。
とても謙虚な態度の青年だったけれど、もちろんアンカラ大学とかそういう大学を出て来ているエリートだから、将来は次官ぐらいまで出世するかもしれない。なんだか畏れ多いような気がしてしまった。
トルコの軍や官僚機構には、おそらくオスマン帝国以来の伝統があるのだろう。組織の作り方などには、それなりの歴史があるはずだ。
軍においては、参謀総長が絶対的な権限を持っているものの、あくまでも組織として動くから、昇進も規定に基づいているし、参謀総長も定年を迎えて退役となれば、その影響力はたちどころに失われてしまうらしい。
トルコ共和国は、独裁者的な人物の恣意的な行動により、簡単に国家の機構がひっくり返ってしまうようには出来ていないと思う。エルドアン大統領が、度々「トルコ共和国は伝統に根ざした国家だ」と強調しているように、訳も分らぬままに独立してしまった「ぽっと出の国家」ではないのである。


今池ガード下のホルモン屋さん

昨日は天気も良く気温も上がり、雪がちらついた先週の寒さに比べたら、まるで春のような陽気だった。

それで、以前から「一度は食べて見なければ」と思っていた有名な「今池ガード下のホルモン屋さん」を目指して出かけて見た。

ホルモン屋さんは阪堺電車今池駅のガード下、「あいりん地区」などと呼ばれた西成・釜ヶ崎の外れに位置している。

随分昔からある老舗で「安くて美味い」と評判だが、普段はもの凄い行列で、なかなか食べてみる機会がなかった。

昨年の5月に「コロナ騒ぎ」の中を出かけた時も、行列こそなかったが近寄るのも難しいような人だかりで、後ろを静かに通過しただけだった。

昨日は「緊急事態宣言」が出ていた所為か、かなり空いていたけれど、それでも場所を詰めてもらって、ようやく屋台の前に立つことができた。

客人は私と同様に50~60代の男たちばかり、と思っていたら、後から24歳という元気な若い女性が入ってきて、屋台の中の会話は一層盛り上がった。

私ももう少しお話していたかったが、待っている人もいたので、勘定を済ませて屋台を後にした。

こういう屋台は、さっさっと食べて飲んで出ることになっていると思う。ホルモン焼きは驚くほど安くて美味かった。

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「脱線してしまった人生」

《2014年11月2日付け記事の再録》

81年か82年頃だったと思う。

私は東京で2tトラックによる配送の仕事をしていた。その運送会社には、入れ替わり立ち替わりアルバイトの大学生が働きに来ていて、私のトラックで1日助手を務めてくれた学生もいる。
彼は私より一つ年上だった。何処の大学か訊いたら、某国立大学だそうである。それだけでも凄いが、さらに、当時4年生で、既に某省の内定が決まっていると言うから、私はもう畏れ入ってしまった。
しかし、例えば、配送の仕事中、3箱の荷物をとても重そうに抱えているのを見て、「2箱だけで良いですよ」と言っても、「貴方が3箱持っているのに、そういうわけにはいかない」と譲らず、あくまでも助手の姿勢に徹していた。
翌日からは、1台のトラックを任されて、暫くの間、毎日運転手の仕事を続けていたようだけれど、朝、配送所を出てしまえば、運転手同士が顔を合わせることは殆どないため、彼と会話を交わしたのは、助手を務めてくれたあの1日だけだった。
それでも、30年以上過ぎて思い出せるくらい強い印象を残した。それは、とにかく実直で爽やかな青年のイメージである。もっとも、どんな話をしたのか、会話の詳細までは覚えていないが、以下のように語っていたのを記憶している。
「貴方のような人生も面白いけれど、私の場合、もう前にレールが敷かれてしまったので、なかなかここから脱線してみる勇気が出ない・・・」
2000年頃だったか、この話をメールで日本の友人たちに伝えたら、「嫌な奴、ぶん殴ってやれば良かったのに・・」とか、「高級官僚はレールから外れると自殺してしまったりするそうですよ。その人、まだ生きているかな・・」といった反応が戻って来てびっくりした。
どうやら私は、彼の実直な人柄をメールで巧く伝えられなかったようである。それ以前に、私が脱線した人生を結構楽しんでいることも、友人たちには余り伝わっていなかったのかもしれない。とても残念に思った。
それから数年して、またこの話を思い出し、試しに、彼の苗字、出身大学、某省で検索を掛けてみたところ、見事にヒットした。当時は某県の副知事を務めていたのである。
今日(2014年11月2日)、また検索してみたら、既に本省へ戻り、ますます栄達して御活躍のようだ。小さな画像も出てきて、それを見ると、なんとなく実直で爽やかな青年の面影がまだ残っているように感じられる。
あるブログには、某県時代の印象が、「・・・本音を語る人だった。省庁に働いて世の表裏を学ばなかったはずはないが、それでも、若き日の思いを抱いて仕事をしていた」と記されていて、何だか感動してしまった。30余年前も、偽らざる本音を語ってくれたのだと思う。

 

選挙による民主主義の限界?

「米国では直接選挙によって国民が大統領を選ぶ」と言うけれど、その選択肢は共和党民主党の候補に限られているようだ。

候補者はそれぞれの党から様々な段階を経て選ばれるため、余りにも非常識だったり、「国家の機構」と対立したりするような人物が出て来る可能性はないと思われていた。ところが、そのシステムがトランプ氏の選出過程では巧く機能していなかったらしい。

何故そうなってしまったのか良く解らない。ひょっとすると、米国は大きな転換点に立たされていて、「国家機構」あるいは「深層国家」の中にも対立があり、その間隙を突いてトランプ氏が登場したのかもしれない。

トランプ氏の発想には今までにない新しさもあったように思えるけれど、補佐役を欠いたために迷走を続け、最後は何とも恐ろしい結末を迎えてしまったのだろうか? 

一方、かつて議院内閣制をとっていたトルコでは、多数の政党が競い合い、国民の選択肢も多かった。

しかし、軍部・司法・官僚機構による所謂「深層国家」の意向に沿わない政党が選挙に勝って政権を得た場合、軍部・司法があからさまに介入して政権から引きずり下ろすという荒っぽいことをやっていた。

また、今でも「得票率が10%に満たない政党は議席を得られない」という規定により、一定の規模を持った政党でなければ議席が得られないという仕組みになっている。

これには「弱小政党の乱立を防ぐ」という名目が掲げられているものの、実際のところは「反動的なイスラム主義の政党」や「分離独立を企図するクルド民族主義の政党」などが議席を確保できないようにするためだったと言われている。

ところが、2002年の選挙では、反動的なイスラム主義者と目されていたエルドアン氏のAKPが第一党に躍り出たうえ、いくつかの政党が10%の得票率を下回って議席を得られなかった所為で、第一党とは言え僅か34%の得票率に過ぎなかったAKPが66%の議席を得て、単独政権を樹立してしまったのである。

しかし、以下のように、ジャーナリストのエロル・ミュテルジムレル氏が暴露したところによれば、既に1999年の段階で、一部の「国家機構」に近い人物らは、エルドアン氏を次期首相として担ぎ出そうとしていたらしい。

ミュテルジムレル氏は関わった人物の名を一人一人挙げているくらいだから、おそらくこれは事実と見て良いのではないかと思う。

そもそも「深層国家」などと呼ばれる機構が何としてもAKPの単独政権を防ぎたかったのであれば、選挙前から各政党が一つにまとまるよう圧力を加えるといった手段を講じることができたはずである。

あの「2002年の選挙」は余りにも不自然なところが多かったような気もする。

上記の駄文で、私は30年来関わって来たトルコ社会の変化について愚見を述べてみたけれど、深層国家の軍高官や官僚らもこの変化を当然見極めていたに違いない。

AKP・エルドアン政権の出現は、一部の軍高官・官僚らにとって、あくまでも既定路線の一つに過ぎなかった可能性もあるのではないだろうか?

トルコの軍高官は、社会の各層や地方の事情に精通しているという。

軍には社会の各層から徴兵された若者が集まっているし、軍高官は様々な地方で任務につき昇進を果たして来るからだ。士官学校は有給で学べるため、高官自身が貧しい農村の生まれである例も少なくないらしい。

2015年にノーベル化学賞を受賞したアジズ・サンジャル氏の実兄はトルコ軍の将官だったそうだが、南東部マルディン県出身のサンジャル氏兄弟は、おそらくアラビア語クルド語も話せただろう。従弟のミトハト・サンジャル氏は「家族の中ではアラビア語を話している」と語っていた。

このミトハト・サンジャル氏は、反体制的なクルド民族主義政党HDPの議員である。実兄のトルコ軍将官も、当然、クルド民族の問題に精通していたのではないかと思う。

軍にはクルド人の多い地域から徴兵されてくる若者も多かったため、その扱いにも気を使っていたらしい。

2010年頃だったか、兵役を済ませた友人は、「部隊の中でクルド人を揶揄するようなこと言ったら厳しく罰せられる」と話していた。

軍高官らはこういったクルド民族の問題ばかりでなく、イスラム的な保守層が近代化の中でどのように変化してきたのかも良く見極めていたはずである。

軍高官に限らず、官僚にも同様のことが言えるだろう。

内務省の官僚は、まず各地方でカイマカムと呼ばれる行政の首長を歴任してから本省へ戻って昇進を遂げるそうだ。

日本もそうだろうけれど、おそらく歴史のある発展した国家であれば、何処にでも同様のシステムがあり、国家を運営する人たちは、そういったシステムによって社会の実情を把握できるように鍛えられているのだと思う。

そのため、民選の議員に依らずとも、ある程度は民意を行政に反映させることができる。中国の行政もこうして進められているような気がする。

マスコミや人々におもねる議員たちに任せるより、遥かに効率が良く理性的な判断が下せるかもしれない。

もっとも、これは余りにも危うい考え方であるに違いない。権力の暴走を許してしまう恐れは非常に高いだろう。

しかし、現在の選挙のシステムが最適であるとは全く考えられない。「選挙による民主主義の制度」を一旦否定して、白紙の状態から新しい「選挙による民主主義の制度」を創造しなければならないように思えるのだが・・・。

 

「姿を見せぬ監視員女性」

《2014年7月12日付け記事の再録》

トルコから日本へ一時帰国していた2003年の5月、私は3千円ほどの現金をなんとか工面しなければならなくなってしまった。
ちょうどゴールデンウィークで、銀行はATMも休止している。ふところには330円しか残っていない。どうしようかと考えて、「こういう時こそアコムじゃないか」と思いついた。
早速。駅前で良く見かけるけど、多分お世話になることはないと思っていた、あの「むじんくん」へ・・・。 
無人契約コーナーという個室に入って、パソコン画面の指示に従いながら、運転免許証やらパスポートをカバンから取り出していると、横の壁に掲示されている表に「最低融資額5万円・利息2千なんぼ」とか書かれているのが目についた。
『3千円もあれば充分なのに、5万円借りて2千円も利息払ったってしょうがないよなあ』と思いながら、詳細の書かれたパンフレットでもないかと、辺りをキョロキョロしていると、突然、パソコンのほうから、録音されたものではない女性の声がして、「お客様、どうなさいました?」。
思わず、また辺りをキョロキョロしてしまったが、無人とかいって、しっかりカメラで監視しているらしい。 
まあ、どこにあるとも分からぬカメラに向かって、ひとりで怒ってみても始まらないから、ごく当たり前な調子で「最低融資額」の件について訊ね、「3千円ほどで充分なんですが」と言うと、「お客様、まずはお手続きをお済ませ下さい」と姿を見せぬ女性の声。
「それは、手続きすれば、3千円からでも貸してもらえるということなんですね?」と重ねて訊いたけれど、「お客様、まずはお手続きお済ませ下さい」と、今度は録音テープのように同じ口上を繰り返す。 
しょうがないから、指示通りに申請書を書いて、所定の位置に置いたところ、「お客様、お勤め先は?」と、また監視員女性。「ありません」と答えたら、「お客様、ご就職なさってから、またお手続きにいらっしゃって下さい」とぬかした。
ここは本当に、「バカヤロー」と叫びたいくらいだったが、そのまま、そそくさと外に出た。しかし、あのカメラ、いったい何処にあったのだろう? カメラに向かって、「アッカンベー」とやるぐらいなら、愛嬌があって良かったかもしれない。 
でも、次のように応じてやれば、もっと面白かった。
パソコンの画面に、「身分を証明するものとして、次の内の何をお持ちでしょうか?」とテロップが出たら、わざと回りをキョロキョロしながら、監視員女性から「お客様、どうなさいました?」と声がかかるのを待ち、「ちょっと身分証明として、この中に無いものを持参したんですが・・」と言う。
「どんなものでしょう?」と訊かれたら、やおらズボンを下ろし、カメラに向かってイチモツを取り出して、「ワシの身分証明はこれじゃ、どうだ!」と言い放つ。
多分、私の場合だったら、「おっ、お客様! 本当にご立派です。直ぐに無利息で100万円ほどご融資いたします」ということになるんじゃないかと思う。 (嘘です。おそらく「お客様、それは何でしょう? もう少し大きくしてから、またお手続きにいらっしゃって下さい」と言われるのが落ちです)
まあ、冗談はともかく、姿を見せない監視員女性に、こちらの風体をじっくり観察されてしまうのは恐ろしいような気がする。
監視センターが何処にあるのか知らないけれど、監視員女性たちは、その日の仕事が終わると、「今日さあ、〇〇駅前に変なバカが来たのよねえ」なんて楽しく語らい合っていたのではないか。
偶然、何処かで私を見かけて、「あっ、いたいた。あいつよ」などと喜んでいたかもしれない。それから、無人契約コーナーに知人や友人、有名人が入ってきたら、これまた話のネタになっただろう。プライバシーもへったくれもありゃしない。
もっとも、今や、日本でもトルコでも、街角などにたくさんの監視カメラが設置されている時代だから、このぐらいは当たり前なのか・・・

 

「選挙に基づく民主主義の制度」は今後も有効なのか?

米国の騒動は、「選挙に不正があった」という主張から始まったようだ。

「既に亡くなっている人の“票”が使われていた」等々、様々な説が飛び交っていたけれど、いずれも真偽のほどは定かではない。

但し、多くのメディアが選挙前からトランプ氏に否定的な報道を繰り返していた所を見ると、「既存の体制はトランプ氏の再選を望んでいなかった」というのは事実であるかもしれない。

トルコでは、政府寄りの識者の多くが「常軌を逸した言動」に疑問符を付けながらも、トランプ氏の再選を願っていた。

トルコはトランプ政権から容認を得て「平和の泉作戦」を始めとするシリアへの軍事介入を敢行し、自国の南東部の安定を大幅に前進させることができたからだ。

一方、日本でも、トランプ政権がロシアと協調して中国を包囲するのであれば「勝算有り」と見ていた人は少なくなかったように思う。私もそういった主張に説得力を感じていた。

ところが、バイデン新政権には再びロシアを敵視する傾向が見られるらしい。これはロシアを中国側に押し付けてしまうのではないか、日本に限らずトルコにもそのように論じる識者がいる。

そのためか、選挙前は「コロナによる中国叩き」に加わっていたようにも見えたトルコ政府は、選挙後、中国製ワクチンの導入を決定したり、「一帯一路」を提唱したりして微妙に態度を変えて来ている。

もっとも、米国の存在は無視できないから、バイデン新政権への対応も早い段階で準備し始めたのではないだろうか? 

仮に、大規模な不正があったとしたら、それは「何としてもトランプ氏の再選を認めない既存の体制の強い意志」と解釈することも可能であるかもしれない。その意志に逆らうのは、もっと恐ろしいことになりそうだ。

しかし、コロナ騒ぎへの対応を見る限り、選挙を心配しなくても済む中国とロシアは非常に有利であるような気がする。

「文明の十字路」に位置するトルコが米国・ロシア・中国のパワーバランスを常に意識して来たように、日本も今後は米中両大国の狭間で一層苦慮しなければならなくなってしまいそうである。

「米国は中国に対する最後の勝機を既に逃してしまった」と言う人もいるけれど、あながち間違ってはいない可能性もある。

何より「選挙に基づく民主主義の制度」に対する疑問は、今回の一件でさらに深まってしまったと思う。


 

30年前の選挙の不正

1989~91年、東京は東池袋のアパートに居た頃の話である。

部屋は木造2階の四畳半一間でトイレも共同だったけれど、階下には年配の管理人さん夫婦も住んでいて何かと便宜を図ってくれた。

夫婦は、某仏教系教団の信徒と思われたが、入口に関連政党のポスターを貼るぐらいで、特に入居者を教団へ勧誘するようなことはなかった。

ところが、ある週末、私は銀行から金を引き出すのを忘れてしまい(当時、ATMコーナーも休日は閉まっていた)、土曜日の夕方に気がつくと所持金は5百円しかない。

その頃は外食ばかりで食料の買い置きも一切なく、月曜日の朝まで、5百円ではとても持たないため、管理人さんのところへ行って事情を説明すると、おばさんは「じゃあ、5千円ぐらい貸しといてあげようか」と5千円紙幣を差し出してくれた。

それで、礼を述べて受け取ろうとしたら、「ちょっと待って、来週は選挙があるんだけれど、協力してくれますよね?」と言いながら、おばさんは紙幣を引っ込めてしまったのである。

「えっ? それはちょっと・・・」

「それじゃあ、これは無かったことにしますよ」

「あのー、明後日、月曜日の夕方には必ず返しますから・・・」

「ということは協力してくれるんですね」

月曜日に返してしまえば、その次の日曜日のことはどうにでもなるだろうと思って、「まあ・・」とか曖昧な返事をすると、また紙幣を差し出してくれたので、そのまま有難く受け取った。

その5千円は約束通り月曜日に返し、次の日曜日の朝は選挙のことなど忘れて、遅くまで寝ていたところ、扉を叩くおばさんの声に起こされた。

そして、一緒に投票所まで行くことになったものの、その政党に一票投じようなどとは全く考えていなかった。

しかし、いざ投票所に着いてみると、まだ早い時間だった所為か、投票所はガラガラで、おばさんはピッタリ私にくっついて来る。

それでも、投票用紙をもらってからは、さすがに別々の記入コーナーへ入ったので、そこで『さて何処に入れようか』と考えたが、ふと何か気配を感じて、肩越しに振り返ったら、直ぐそこにおばさんの顔があり、険しい眼差しで私の手元を見つめているのである。

おばさんの顔の遥か後の方には、のんびりと談笑している選挙管理委員たちが見えたけれど、この違法行為に気がついている様子は全くない。

私は肩の辺りにおばさんの息遣いを感じながら、仕方なくその政党に記入して投票用紙を折り、コーナーから出た。おばさんは険しい視線のまま、「よし!」とでも言うように頷いてみせた。

情けない話だが、私もそのアパートに入居している以上、管理人さんとは揉めたくなかったのである。

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