メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

夕暮れの近づく姫路城と桜

日曜日は急に暖かくなって春の到来を喜んだが、その「春」は2日間で終わり、今日はまた寒い冬に戻ったかのようだった。

それでも、午後から天気は良くなったので、仕事が終わると姫路城へ急いだ。姫路城の桜を写真に収めておこうと思ったのである。

午後遅く、陽が西に傾いた頃の姫路城はなかなか良い。西陽に照らされて黄金色に輝くのである。それは満開の桜の中で一層輝いて見えるだろう。

しかし、今日はちょっと遅くなってしまった。陽は既に沈みかけていて、辺りには夕暮れが迫っていた。

それでも、桜に囲まれた姫路城の美しさは充分に堪能できたと思う。姫路城の入場時間が終わっていたため、人が少なかったのも良かった。

 

春は突如としてやって来た!

昨日は、冷たい雨が降る中、ずぶ濡れになって、寒さに震えながら働いていたのに、今日はいったい何という陽気だろう! 

赤穂の御崎公園へ桜を見に行ったら、半袖でも汗ばむほどだった。

仕事でも広い構内を歩き回って、その距離は15kmぐらいになっているそうだから、今日は昨日より格別にたくさん歩いたわけでもない。気温が1日で突然上がったのである。

しかし、この陽気の急変には驚く。何だか「4月1日のニュース」(エイプリルフール)にしたいくらいだ。

驚いてはいるけれど、もちろんこれは嬉しい驚きである。

3月になっても終わらない、長くて寒い冬にうんざりしながら、春の到来を今か今かと待っていたら、桜の花と共に春が突如としてやって来たので驚いた。

こんなに喜ばしい驚きもない。桜の花もいつになく美しく輝いていたように思う。




 

日本のクマ対策に「スポーツハンティング観光」の導入?

日本では、山里に降りたクマによる被害が後を絶たない。人が襲われる事件も相次いでいる。凶悪なクマを退治しようにも、熊撃ちの猟師の方たちの高齢化が進んでいて、なかなか巧く行かないらしい。

そのため、有料の「スポーツハンティング」として、海外のハンターたちに来てもらい、思う存分「熊狩り」を楽しんでもらおうというプロジェクトが持ち上がっている。

これなら、クマ退治に費用がかかるどころか、過疎化が進む農村地域の貴重な収入にもなる。

それどころか、この「スポーツハンティング」のプロモーションに、驚くべき人物を招聘して、外交的な成果ももたらそうとするプランも進んでいる。

外交的な成果とは、「冷え込んだ日露関係の改善」であり、招聘されるのはプーチン大統領に他ならない。

つまり、ハンティングの腕前も確かなプーチン大統領に北海道で凶悪なヒグマを撃ってもらい、華々しく「スポーツハンティング観光」をスタートさせようと言うのである。

もちろん、激しい反対運動が展開されるのは必至だろう。「ヒグマよりも凶悪なプーチンを呼んでどうするのだ?」という声も上がっている。

しかし、一方で、ウクライナのゼレンスキー大統領のように、この企画を肯定的に捉える反プーチン論者もいる。

ゼレンスキー大統領は、北海道でプーチン大統領がヒグマに返り討ちされることを期待しているそうだ。

「強いヒグマたちは、きっとプーチンを八つ裂きにして殺すに違いない」と述べて、その期待感を顕わにしている。

さらに、「もしも、ヒグマがプーチンを返り討ちにしたら」と前置きして、「北海道におけるヒグマの被害を減らすため、その愛すべきヒグマたちを大量にウクライナで保護する用意がある」と明らかにした。

しかし、ロシアのミサイルが飛んで来るウクライナは、ヒグマたちにとって、どれほど安全なのだろう?

AIによる自動翻訳の限界? 「山を呼び寄せるモハメッドの話」

数年前、この「山を呼び寄せるモハメッドの話」を自動翻訳で訳して読んだというテュルク人(トルコ人)からメッセージが送られて来たことがある。

おそらく、宗教を否定的に見ているテュルク人で、「行人」から引用した部分の前半だけを読み、「モハメッドを滑稽のネタにして茶化した話」と早合点したかのような内容のメッセージだった。

そのため、当時は『何故、最後まで読まずにメッセージなど送って来るのだろう?』ぐらいに思って済ませていたが、最近、このブログを自動翻訳で読んでいるテュルク人が他にもいることが解り、『果たして、自動翻訳はどのくらい正確に訳しているのか?』と気になった。

そこで、先週、まず件の「行人から引用した部分」をグーグル翻訳にかけてみたところ、「宗教の本義」という箇所が「dinin gerçek anlamı(宗教の本当の意味)」と訳されていた。

「本義」には「本来の意味」という意味もあるから、決して間違いとは言えないものの、ここでは「宗教の本来の意義(dinin aslı önemi)」あるいは「宗教の本来の価値(dinin aslı değeri)」と訳さなければ、「兄さん」を宗教へ誘おうとした「H氏」の意図が良く伝わらないように思えた。

しかし、今日、再び試してみたら、今度は「dinin özü(宗教の本質)」となっている。これでも、やはり「H氏」の意図は伝わらないだろう。グーグル翻訳はAIを使っているそうだけれど、そのAI自体が「H氏」の意図を良く理解していないような気もする。

私が間違っているのかもしれないけれど、私は「山」を「神に対する比喩的な表現」と思いながら読んだ。モハメッドは「神」へ向かって歩いて行く。つまり「神」に従うのである。

ところが、グーグル翻訳は、H氏が意図を徹しようとして言い添えた「君は山を呼び寄せる男だ。呼び寄せて来ないと怒る男だ。地団太を踏んで口惜しがる男だ。そうして山を悪く批判する事だけを考える男だ。なぜ山の方へ歩いて行かない」の部分で、山を「dağlar」と複数形で訳している。AIは「山」を「神に対する比喩的な表現」とは考えなかったらしい。


 

無神論

 

福沢諭吉は「福翁自伝」の中で、神仏など信じていないことを強く主張している。

しかし、現代の日本では、そこまで主張すると却って奇異に感じられてしまうような気もする。

多くの人たちにとって、既に宗教は興味を懐く対象にもなっていない。神仏を信じるとか信じないとか、どうでも良い話ではないだろうか?

テュルキエ(トルコ)で、無神論などを主張していた人たちは、この辺りをちょっと勘違いしていたかもしれない。

『日本には宗教を信じていない人が多い』と聞いて、『それなら無神論で意気投合できる』とばかり、熱心に論じ始めるけれど、こちらは『どうでも良い話』に疲れ切ってしまったりする。

あれは、ひょっとすると「無神論」という宗教を信じているのではないかと疑ったこともある。あれほど信仰を強く否定しようとするのは、裏を返せば、それだけ信仰に対して重大な関心を懐いているのだろうと思ったからである。

いずれにせよ、あまり世俗的な態度ではないように感じられた。

テュルキエでも若い世代の中には、宗教を熱心に信仰するわけでもなければ、熱心に否定することもなく、関心さえ示さない人たちが増えているかもしれない、どうなんだろう?

また、無神論はどれほど合理的な思想なのかも考えてみなければならないと思う。

テュルキエには、上記の駄文でご紹介したように、「神(アッラー)は何処にいるのか?」という問いに対して、「神(アッラー)は信じる者の心の中にいる」と答えた信仰に篤いイスラム教徒もいる。

どのぐらいの割合で、このように考えている敬虔なイスラム教徒がいるのか解らないが、如何なる無神論者も、彼の心の中にいる「神」を否定することは出来ないはずだ。

ところで、キリスト教徒は、同様の問いに対して、「神は信じる者の心の中にいる」と答えることができるだろうか。

「神は心の中にいるとして、神の子であるイエスは何処にいたの?」ということになってしまうからである。

イスラムの神は、キリスト教に比して、非常に抽象化し易い存在ではないかと思う。

福翁自伝

昨日の偶然は、「愛珠幼稚園」と「適塾」の発見に止まらなかった。

「適塾」を後にして、梅田へ向かう途中で立ち寄った古本屋さんで「福翁自伝」を見つけて購入したのも非常にラッキーな偶然だった。

実のところ、適塾を見学した際には、「物干しで飲む話」と「階子段を飛び下りる話」がごっちゃになっていた。

「福沢諭吉は、物干しで飲んでいた時に呼ばれて、素っ裸のまま飛び下りた」と記憶していたのである。

それを「福翁自伝」で確認してから、昨日の記事を書くことができた。昨日は何から何まで運が良かったと思う。

例えば、以下の「文武両道の武士」という駄文は、福翁自伝で読んだ話を朧気な記憶にたよって書いたので、随分と出鱈目になってしまっている。

まず、「鯉口を切った」なんていう表現は出て来ない。あれは何かの時代劇に出て来た表現を拝借したのだろう。

実際は、「先方が抜きかかれば、背に腹は換えられぬ、こっちも抜いて先を取らねばならん」と記されていて、いつでも抜刀できるように身構えながら進んだというのは誤りではないにしても、随分といい加減な記憶だったことが思い知らされた。

さらに、福沢も相手も無事にすれ違った後で、一目散に走って逃げたという落ちがついている。これを全く覚えていなかった。

しかし、福沢が結構腕に自信を持っていたのではないかという勘繰りは当たっているように思える。やはり「文武両道の武士」だったのではないだろうか。

「適塾」と「愛珠幼稚園」

昨日、難波で飲み、今日は例によって難波から梅田までぶらぶら歩いた。

従前のように御堂筋ではなく、心斎橋筋を中心にして、時折、東西にそれたりしながら北上したところ、思わぬ発見があった。

もう一つ東側の筋にある大きな木造家屋が目に留まったので、近寄って確認して見ると、それは「大阪市立愛珠幼稚園」という幼稚園の園舎だった。

現存する日本最古の幼稚園園舎だそうである。そして、現在も幼稚園として機能している。こんな幼稚園で学べる子供たちは実に恵まれていると思う。

今日の「発見」は、これだけではない。「適塾」の史跡が、この幼稚園に隣接していたのである。

もちろん、適塾史跡の方は、その存在を知っていたけれど、今まで訪れる機会がなかった。それが、こうして偶然に実現するとは思わなかった。

「福翁自伝」に、適塾の物干しの上で酒を飲む話が出て来る。適塾史跡の見学では、その物干しらしきものも見ることができた。

福沢諭吉は、5~6人の仲間と素っ裸で物干しに上がり、酒を飲んだという。

また、適塾の2階で寝ていた福沢が、呼ぶ声に飛び起き、素っ裸のまま階子段を飛び下りたら、階下に奥様がいらっしゃったので、非常に恐縮したという話もあった。

多分、台所跡の居間から2階へ上がる急な階段がそれなのだろう。

今日は、難波から梅田まで歩いた甲斐があった。大阪の街歩きは実に楽しい。