メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

私事・体験談・回想等々

幸せなクリスマスの夢

《2020年12月25日付け記事の再録》 今朝(2020年12月25日)、夜勤から帰って朝食を取り、1時間半ほど横になったら幸せな夢を見た。 私は暗い夜道で自転車を走らせている。ライトが故障して前が良く見えずに困っていると、後ろから自転車に…

懐かしい味、懐かしいイスタンブール。

イスタンブールに居た頃、トルコの人たちから「鮨が懐かしいでしょう?」と訊かれたりした。しかし、「鮨」なんて日本でも滅多に食べていなかったので、格別に懐かしいとか食べたいという気持ちはなかった。それよりも、普段からよく食べていたもの、例えば…

キンシャサの奇跡

《2014年10月31日付け記事の再々録(1)》 1974年の10月30日、コンゴのキンシャサで挙行されたボクシングのヘビー級タイトルマッチで、モハメド・アリがチャンピオンのジョージ・フォアマンを8回KOに降した。これを、私たちのようなファ…

「韓国人の親戚」

《2008年9月30日付けの記事を修正して再録》 この「韓国人の血」という駄文に、「少なくとも明治以降、親族に韓国人がいたという話は聞いていない」と記したけれど、親族に韓国人の女性と結婚した男性はいる。父の叔母の次男の方である。 父の家は戦…

「韓国人の血」

《2008年9月29日付けの記事を修正して再録》 1989年、韓国の会社の東京支社で働いていた頃の話である。 来日した本社の連中と取引先を回ってから、上野駅近くのホテルに案内したところ、「まあ貴方も一杯やっていきなさい」と誘われた。そして、…

助六の苦いビーフシチュー

《2013年12月25日付け記事を修正して再録》 うちでは、母が、1970年頃から2000年まで、神田駅の近くで雀荘を経営していた。もともと父がやっていたのを、私が小学校4年生の頃、母が引き継いだのである。この雀荘の2軒先に、“助六”という洋…

私は食べ過ぎで運動不足?

一昨日の日曜日、姫路の銭湯で入浴前に体重を計ったら「59・80㎏」、入浴後には「57・35㎏」まで落ちていた。 警備員をやっていた頃も緩い糖質制限は続けていたけれど、なかなか体重は減らなかった。やはり、配送の運転手に転職して、毎日の運動量が…

エアコンの災い?

9月に入ってからも暑い日が続いているけれど、朝夕は大分過ごしやすくなったように感じられる。 今日は空の様子も何となく秋めいて、日中の暑さもそれほどではなかった。 私は寒さよりも暑さに強く、「夏男」を自称してきたが、さすがに7月~8月の暑さは…

再び鹿児島へ

8月16日は、長期休暇の最終日だったので、姫路まで出かけてみた。 帰宅後、姫路での見聞等をブログでお伝えしようと駄文を記していたら、残り数行というところで、屋久島の姉から電話が掛かって来た。7時過ぎだった。 鹿児島の施設から緊急の連絡があり…

急遽、鹿児島へ。

昨日の午後、姫路の銭湯で湯から上がって涼んでいたところ、母が入所している鹿児島の施設から連絡があった。脳梗塞と思われる状態で意識がなくなり、一時的に呼吸も停止したという。 そのまま姫路の駅から新幹線に乗っても良かったが、さすがにサンダル履き…

酒浸りの週末/シベリアのウォッカで乾杯!

先週末は職場の特別休暇で土日と2連休になった。それで、まずは土曜日に、高校同期の友人と大阪の谷町にあるロシア料理の店「ボーチカ」で一杯やることにした。 ボーチカ(Бочка)とはロシア語の「樽」で(ウクライナ語も同じくБочка)、この店にはウォッカ…

私が乗っていた高級車とは?

今年から始めた配送の仕事、運んでいるのは「カー用品」と言われる物だけれど、私にはそういった商品の知識が全くない。 普通、トラックの運転手などをやっている人たちは、車好きでカー用品にも詳しかったりするから、意外に思われているようだ。 しかし、…

ブログに掲載した記事が消滅!

昨日、「西宮と難波、どちらの居心地が良い?」という記事をブログに掲載するため、記事作成のページを開いたところ、1月30日に掲載した記事が未だ残っていた。 通常、記事を掲載公開すると同時に作成ページは閉じられ、次の記事を作成・掲載するため、新…

職探しの興奮/経歴は何が何処で役に立つのか解らない

昨年の末に警備員の仕事を辞め、今年から配送の運転手に転職した。勤務地は自宅から自転車で10分とかからない。巧いタイミングで良い所に仕事が見つかったものだと思う。 昨年12月の後半は、有給を消化しただけで出勤していなかったため、あちこち出歩い…

アルコールは最も大きなリスク?

この「中国の酒で思い出す出来事」に記したのは、およそ40年前の出来事である。 朝、目が覚めてから、前の晩にしたたか飲んで帰宅する途中で自転車がどうやって破壊されてしまったのか全く覚えていなかった私は、まだ21~2歳だった。 さすがに61歳に…

中国の酒で思い出す出来事

《2009年12月10日付け記事を修正して再録》 イスタンブールの大きなスーパーに行けば、ラクやワインに限らず、色々なウイスキーやブランデーの銘柄、ラム酒、テキーラ等々、大概の酒は手に入ると思う。 入手が難しいのは、残念ながら清酒や紹興酒と…

移住した南米から帰国した先輩親子

昨日の夜勤明け散歩では、神戸モスクの近くにある「移住ミュージアム」にも寄ってみた。 ひょっとしたら、41年前、妙高高原赤倉温泉の観光ホテルで働いていた時に知り合った人の消息が掴めるかもしれないと思ったからである。 その人は職場の先輩で、当時…

カツカレーの思い出

今日、姫路の銭湯へ行った帰りに、姫路の駅前で久しぶりにココイチのカツカレーを食べて来た。 福岡では良く食べていたけれど、こちらへ越して来てからは、場所とタイミングが合わず、なかなか食べる機会がなかった。 ココイチのカレーを食べると、20代の…

「レギュラーな業務は完璧だが、イレギュラーな事態に動転してしまう日本人」?

15~6年前、東京で開催された物産フェアに参加するトルコ企業の代表者らと共に、当時住んでいたイスタンブールから東京へ行った。 参加者の中には初めて日本を訪れる人もいたが、既に自社製品を日本で展開していて、何度も日本に来ているという人もいた。…

トルコで猫を食べた日本人

先週、トルコ在留の日本人が野良猫を食べて逮捕されるという忌まわしいニュースが伝えられた。 今日、トルコ語で検索してみたところ、どうやら事件に関連した新規の報道は見当たらないようなので、それほど大きな話題にはなっていないかもしれない。 これに…

パソコンのサービスセンターもテレワーク?

先週の日曜日(13日)の朝、夜勤から帰ってネットを見ようとしたら繋がらなくなっていた。 ネットがようやく繋がったのは16日の夜、結局、パソコンのシステムを初期化して解決した。 そこへ至るまで、パソコンのサービスセンターに何度か電話したけれど、…

「女性差別」で思い出した「司令官」の事件

日本で報道されるトルコのニュースには、偏見に満ちた話が多くてうんざりさせられる。最近は、EUのミシェル議長にライエン委員長がエルドアン大統領と会見した際、女性のライエン委員長へ椅子が与えられなかったのは「女性差別」だと、また騒いでいる。 チ…

ワクチン接種とパソコン購入

当初は「4月1日」に予定されていた二回目のワクチン接種、前々日になってから延期されてしまったため、「こりゃ、ワクチンも嘘になってしまうかな?」と思っていたけれど、接種は一昨日の4月9日に実施され、今のところ、これといった反応も起きていない。 …

「イズミルの冬の思い出」

《2007年2月10日付け記事を省略修正して再録》 1991年に初めてトルコへやってきて、温暖なエーゲ海地方のイズミルで一年を過ごしたけれど、冬は結構寒かった。温暖なイズミルでは、冬の備えが甘く、寝起きしていた学生寮の暖房も粗末なものだった…

落語の「粗忽長屋」

昨年の12月から先月まで4ヶ月の間、毎月、31の記事をこのブログに掲載した。 過去の記事を引っ張り出して「再録」で済ませた例も少なくないが、休みの日に2~3の下書きを用意したりして結構苦労した。 これに大した意味はない。そのぐらいプレッシャ…

「アレム・ダー(山)の野良犬たち」

《2014年9月18日付け記事の再録》 月曜日(2014年9月15日)は、我が家の近くのタシュデレンから、アレム・ダー(山)の山麓を歩き、ポロネーズ・キョイ(村)まで行ってみようと思って出発した。果たして、その道がポロネーズ・キョイ(村)へ…

2011年の3月

10年前の3月、イスタンブールに住んでいた私は、8日から13日にかけて、ヤロバ、アンカラ、イズミルを仕事で回っていた。 ヤロバからアンカラの道程は大雪の中、8時間も掛かり、翌9日もアンカラでは雪が降り続いて所々交通がマヒしたため、「これは大…

ドウバヤズィット/イサクパシャ宮殿

《2009年10月9日付け記事を再録》 「何だもう下りて来たのか、もっとゆっくりしてくれば良いのに」。2時間ほど前に、イサクパシャ宮殿の遺跡まで送ってくれたタクシーの運転手が親しげに声をかけてきた。1994年の6月、私は、トルコも東の果て、…

「凄い爺さん?」

《2017年3月4日付けの記事を再録》 1983年、上記の産廃屋にいた頃、寮の部屋で、私より15~17歳年長の先輩二人、青森県出身のヤマさんと岩手県出身のサトウさん、そして、私より3歳ほど年下で暴走族あがりという20歳の青年エンドウ君と無駄…

沖縄人と大和人?(川崎の産廃屋でダンプの運転手)

《2003年4月1日付け記事の再録》 94年の9月、トルコから帰国すると、とりあえず川崎市にある産廃屋でダンプの運転手として働き始めた。 この会社を選んだことに特別な理由があったわけではない。「住み込み歓迎」と書いてあるのが目に留まったのと…