この「中国の酒で思い出す出来事」に記したのは、およそ40年前の出来事である。
朝、目が覚めてから、前の晩にしたたか飲んで帰宅する途中で自転車がどうやって破壊されてしまったのか全く覚えていなかった私は、まだ21~2歳だった。
さすがに61歳になった今は、もうそんな無分別なことをやらかす元気もないだろうと思っていたけれど、4週間ほど前、まだまだ「元気」が残っているところを恥ずかしげもなく見せてしまった。
友人らに誘われて飲みに行き、2軒はしごして、2軒目からの記憶が殆ど消え失せていた。
友人らの話では、酷く酔って大分騒いだらしい。それで心配になって、一応、駅まで送ったと言うけれど、それから、乗る電車も降りる駅も間違わずに、駅から自転車で帰って来たのだから、まあ大袈裟に書くほどのこともなかったのだろう。
しかし、自転車とはいえ、酔っ払い運転で事故にならなかったのは幸いだった。今回もそうだが、40年前の出来事でも、自動車に引かれたりして死なずに済んだのは、実に運が良かったと思わなければならない。
もちろん、私が酒でやらかした「出来事」は、これだけに限らない。思い起こせば、それこそ枚挙にいとまがないくらいである。
4年前はイスタンブールで「危機一髪」の事態に陥った。私のような酒好きになると、目の前に注がれた酒は必ず飲んでしまうから、『何々で乾杯~!』なんて雰囲気になってくると非常に危ない。
とはいえ、ここに列挙した「出来事」は、いずれも自力で家や何処かに辿り着いているのだから、まだましな方である。
アルコールの限度も何も全く解っていない高校生の頃は、歩けなくなるまで泥酔したことが何度かある。
下北沢の駅で、友人たちが私の両足を掴んで引きずっているのを見かねて注意し、自分の学生寮の一室まで運んで寝かせてくれた大学生の方もいた。あの日は昼近くに起きて、前の晩のことは何一つ覚えていなかった。
おそらく、急性アルコール中毒でくたばる寸前まで行っていたはずだ。あともう一杯飲んでいたら死んでいても不思議ではない。
良く考えて見ると、私はまだこうして生きている「運の良さ」にもっと感謝しなければならないと思う。私の人生で、アルコールは最も大きなリスクの一つだったかもしれない。