12月26日、コンスタンティノポリ総主教庁のバルソロメオス総主教は、アンカラの大統領府を訪れ、エルドアン大統領と会談したという。
アナトリア通信の報道によれば、会談で以下のような事案が取り上げられたそうである。
*シリアのキリスト教徒の状況が話し合われ、バルソロメオス総主教は、シリアで全ての少数派の安全が確保されるように、エルドアン大統領から支援を要請した。
*ヘイベリ島の正教会神学校の再開に向けて、諸々の業務が始められたことについて、総主教は感謝の言葉を述べ、業務が迅速に進められるように要請した。
*西暦325年のニカイア(現トルコのイズニク)公会議から、来年は1700周年を迎えるため、フランシスコ教皇のトルコ訪問が話し合われた。
この中で、ヘイベリ島神学校の再開に向けて進展が見られていることに、私は非常に感慨深いものを感じた。2014年以来、神学校再開に関するニュースは殆ど伝えられていなかったように思っていたからだ。
もちろん、これに対する反発の声も上がっている。
共産主義の思想家ドウ・ペリンチェク氏が率いる祖国党は、神学校が米国の諜報員を養成する機関になると激しく非難しながら、反米的な姿勢を隠そうとしていない。
しかし、ペリンチェク氏がエルドアン政権に及ぼす影響力は、シリア情勢の激変でかなり損なわれてしまったのではないかと思う。
親中国・親ロシアのペリンチェク氏は、アサド政権の主導による内戦終結を主張して、エルドアン大統領とアサド大統領の首脳会談を要求していた。
プーチン大統領も、この首脳会談が実現されるよう双方に働きかけていたそうだが、このプーチン大統領による調停にペリンチェク氏が関わっていたかどうかは良く解らない。
また、エルドアン大統領が、一時期、首脳会談に前向きな姿勢を見せていた背景には、ペリンチェク氏の影響力も多少見られたらしいが、エルドアン大統領はペリンチェク氏の主張を参考程度に受け取っていたのかもしれない。
ペリンチェク氏のアイドゥンルック紙に度々寄稿して親しい関係を見せていたロシアの思想家アレクサンドル・ドゥーギン氏も、アサド政権を見限ったエルドアン大統領に対して、辛辣な批判を浴びせていたけれど、ドゥーギン氏が影響力を及ぼしていたとされるプーチン大統領も、結局はアサド政権を見限ってしまったようである。
この辺りに、何となく思想家と政治家の違いが現れている。エルドアン氏もプーチン氏も、主義主張より現実に対応したということなのだろう。
バルソロメオス総主教にも結構したたかで政治的な側面が見られるから、エルドアン大統領との間には様々な駆け引きもありそうだ。
神学校の再開等も、双方で現実に対応しながら、妥当なやり方で進めて行くのではないかと思う。