メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

2007-01-01から1ヶ月間の記事一覧

ギリシャ語を話すトラブゾンの人々

2004年のいつ頃だったかギリシャへ出掛けた際、帰りのバスで、トルコ語とギリシャ語を話す青年に会いました。 国境のギリシャ側の免税店で、青年が両方の言語を使い分けている様子を見て、ルームと呼ばれるトルコ国籍の正教徒ギリシャ人か、さもなければ…

白昼暗殺されたジャーナリスト

昨日の夕方、イスタンブールは新市街のタクシム広場を通ったら、広場の一隅に凄い人だかりが出来ていたので、「何だろう?」と思いながら近寄ってみたところ、人だかりの中ほどにアルメニア系の著名なジャーナリスト“フラント・ディンク氏”の顔写真が掲げら…

カザン・ディビ

未だトルコへやって来る前、「トルコへ行ったら是非食べてみたい」と思っていた“未知の食べ物”が三つあります。その一つが、上記の“羊頭の丸焼き”。次は、“ス・ボレイ”というもので、日本語に訳せば“水パイ”です。学習していたトルコ語の教科書に「美味しい…

日本統治下のピョンヤンで生まれたトルコ人の老紳士

友人の引き合わせで、昨年、市内にお住まいの80歳になるトルコ人の方とお近づきになり、昨日はこの老紳士から昼食を御馳走になったうえ、色々お話を伺う機会に恵まれました。この方の御両親はロシアのバシコルトスタン出身のタタール人、御自身は日本統治…

どんな歌を聴いて来たのか

子供の頃、家にあった78回転レコードの中には、父が戦前に買い集めたドイツの歌謡曲などもありました。映画「会議は踊る」の挿入歌から“ただ一度だけ”であるとか、“モンテカルロの一夜”“水夫の恋”などという当時流行った歌謡曲です。 私は小学校3年か4年…

クラシック音楽のコンサート

昨夕は、友人がトロンボーン奏者を務めた“カドゥキョイ・ベレディエスィ・フィラルモニア・イスタンブル”管弦楽団の演奏を市内のコンサートホールへ聴きに行きました。 演奏されたのは、ハチャトゥリアンのバイオリン協奏曲とフランクの交響曲で、いずれも初…

なかなか融通が利いてしまうトルコの銀行

私が良く利用している近所の銀行では、警備員さんが笑顔で利用客へのサービスにも努めています。 例えば、自動預払機(ATM)の使い方を知らないおばあさんが来れば、カードを受け取って自ら差し入れ、「おばあちゃん、暗証番号は?」。 おばあさんも紙切…

イスタンブールの正教徒

昨日、イスタンブールでは、ギリシャ正教徒たちによる“キリストの生誕と洗礼”を祝う行事が催されていました。これは、司祭が海へ投げ入れた木製の十字架を、正教徒の男たちが冷たい海に飛び込み、競い合って取りに行くというもので、コンスタンティノポリス…

韓国人の熱き友情

これも、1990年に東池袋のボロアパートから魚河岸へ通っていた頃の思い出です。 私は87年の夏から、ソウルにある延世大学の語学堂に留学していました。89年の冬に日本へ戻り、ある韓国の会社の東京支店で働き始めた頃、韓国から来ていた留学生のキム…

中国人のホスピタリティー

1990年、東京の大学書林でトルコ語の学習を始めた頃のことです。私は築地の魚河岸でトラックによる配送のアルバイトをしていました。早朝、2tトラックで魚河岸に乗りつけ、場内の卸商から荷車によって運ばれてくる鮮魚等をトラックへ積み込み、多摩地…

強制送還されてしまった友人夫婦

昨日の“犠牲祭の思い出”の続きです。 黒海地方オルドゥ県のユンエで小・中学校の教員をしている友人とは、1998年に名古屋で知り合いました。当時、彼は出稼ぎで日本に来ていたのです。 97年に大阪で日本とトルコのサッカー親善試合が催された時、競技…

犠牲祭の思い出

今年の犠牲祭の行事には参加する機会がなかったので、今日は2000年の犠牲祭に、黒海地方のオルドゥ県で友人の家族と過ごした時の思い出をお伝えすることにします。 友人はオルドゥ県の黒海に面したユンエという小都市で小・中学校の教員をしていますが、…