メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

2003-05-01から1ヶ月間の記事一覧

トラキア(3)「ムスタファの結婚式での思い出」

ムスタファは、91年、イズミルに居た頃、「結婚するんだったら、やはりスカーフをしている敬虔な女性が好いですね。それに、外で僕が働くかわりに家の中の仕事は全て妻にやってもらいたいと思っています」なんてよく話していた。 それから2年後、ブルガス…

トラキア(2)「ムスタファ、ムジャイとモスク巡り」

アダナ出身のムスタファが、ルレブルガス市に落ち着いたのは、92年ごろ、姉夫婦を頼って来た後、ここで結婚したからで、今は郊外の工場に技師として勤める傍ら市内の家電販売店でアルバイト的に働いている。ムジャイと疎遠になっているのは、宗教に対する…

トラキア(1)「旧友ムジャイを訪ねる」

休みの間に、トラキア(トルコでアジア側のアナトリアに対しイスタンブールから西側の地域)の方へも出かけて見た。イズミルの「アルサンジャック学生寮」以来の付き合いであるムスタファが今はルレブルガス市にいるのと、やはり寮で一緒だったムジャイとい…

イズミル(2)「イズミル在住韓国人家庭を訪問」

ドンギョン氏のところは、亭主が食べ物にうるさいだけあって、奥さんの手料理も美味(勿論全て韓国料理)、泊まり込む度に堪能している。何度となく食卓に日本の豆腐が出たこともある。韓国の豆腐は木綿漉しどころじゃなくて麻漉しといったような感じでちょ…

イズミル(1)「キョフテ屋のケマル・パシャ」

2001年の夏、クズルック村工場の夏休みを利用してイズミルを訪れた。イズミルは、91年に初めてトルコへやって来て、一年ほど滞在した思い出深い街である。 99年にも半年近く居たことがあり、その時は写真現像機やらカラオケ機の販売に携わっていた韓…

トルコ語のすすめ

韓国大手家電メーカーのエリート社員だったキムさんは、トルコ語は勿論のこと、英語にも堪能で、以前パナマに駐在していた経験からスペイン語もできる。 まあ、私は英語が殆ど解らないので、キムさんの英語力がどんなものなのか、本当のところは何とも言えな…

オスマンベイの繊維街

オスマンベイは繊維の街。生地問屋から、既製服の卸し、小売り店に至るまでが軒を並べている。影響力のある大きな生地問屋の経営者には、ユダヤ人やアルメニア人のトルコ国民が多く、他にも様々な外国人が事務所を構えていて、なかなかコスモポリタンな雰囲…

オスマンベイのボレッキ屋

オスマンベイのキムさんの事務所は、アパートの2部屋を利用したもので、もうひとつの部屋は私の住居だった。もちろんキッチンもついていたが、朝食はいつも2軒先にある「ボレッキ」の店で済ませていた。ボレッキというのは、チーズやらひき肉の入っている…

気持ちが優しいトルコの人達

98年の夏、4年ぶりにトルコへ舞い戻って来ると、まずはイスタンブールのオスマンベイに事務所を構え韓国製服地の輸入に携わっていた韓国人のキムさんのところで5ヶ月ほど働いた。キムさんは、91年イズミル以来の知り合いで、私より三つほど年長だった…

イラン人の教会「ペルシャ語によるミサ」

イラン人の集まる教会というのを一度見て置こうと、出かけてみた。イラン人の知り合いから聞いていたのは、ベヤズィットのイスタンブール大学正門近くの教会である。 土曜日の夕方、下見に行くと、教会の入口には「アルメニア聖書教会」と書かれていて、どう…

ディヤルバクルの教会「平伏して祈る姿」

94年に、アナトリアの南東部、スリヤーニと言われるシリア正教徒のクリスチャンたちが住んでいるマルディン周辺やディヤルバクルを旅行した。マルディンも歴史を感じさせる石造りの街並みが美しいところだが、さらに東へ50キロほど離れたミディヤットは…

トルコ人教会「アナトリア風の賛美歌の調べ」

私は勿論クリスチャンでもなんでもないが、ロシア教会やアルメニア教会に出入りするばかりでなく、韓国人宣教師の友人につきあって、カドゥキョイにあるプロテスタントの教会へ出かけることもある。一口にプロテスタントの教会といっても、英国国教会とかバ…

ロシア教会(2)「2度目の訪問、偶然の出会い」

2週間後、またロシア教会を訪ねて見たのだが、この時は、屋上へ上がってみると、未だ礼拝堂でミサが続いていた。ミサはもちろんロシア語で行なわれるわけで、途中で賛美歌がこれまたロシア語で歌われる。小さな礼拝堂の中は一杯で、信者でもない者が無理に…

ロシア教会(1)「雑居ビルの屋上にある教会」

ここ最近、週末にイスタンブールで度々訪れているのが、カラキョイのロシア正教の教会である。今年(2001年)の正月、『アトラス』というトルコの月刊誌で紹介されていたのを読んで以来、気になっていたけれど、5月になってやっと訪れることができた。 …

元祖「ナターシャ」

トルコではロシアから春を売りに来る女性たちを「ナターシャ」と呼ぶことがある。ここでは、トルコの新聞ラディカル紙から、ゼキ・ジョシュクンという人の記事(2000年6月24日付け)を拙訳で御紹介する。****ナターシャは20世紀の初頭に生まれ…

純情なトルコ人青年

イスタンブールはトルコ共和国最大の都市だが、首都ではない。首都はアンカラである。アンカラは、共和国の新首都として建設が始まる前、中部アナトリアの小さな地方都市に過ぎなかったそうだ。それが、今では人口400万を有する大都市に発展した。中部ア…

トルコ人の家庭に下宿(2)「イスタンブールのライブハウス」

この家族、経済的にはイスタンブールの標準からいっても中の下ぐらいではなかったかと思うが、それでも、夏期用の住居を、イスタンブールからマルマラ海を渡った向こう側のヤロバという所に持っていた。 しかしこれ、お金持ちの別荘というイメージからはほど…

トルコ人の家庭に下宿(1)「祖父母の秘密」

94年、イスタンブールで、ごく普通にイスラムを信仰しているトルコ人の家庭に下宿していた時のことである。その家庭は、当時20歳の青年、高校生の妹、4歳の末っ子、そして彼らのお母さんという構成で、近くにお祖父さん夫婦も住んでいた。4歳の子は異…

イズミルのラマダン風景

クズルック村の工場ではラマダンともなると、地元の人たちに限って言えば、まず100%近くが断食を実践する。昼間の食堂は日本人と他の地方から来ている数名のトルコ人だけで閑散とした雰囲気になる。これがイスタンブールのトゥズラの工場になると、去年…

市電の美人運転士

「アルサンジャック学生寮」も、あのトゥファンに限らずナンパな連中が多く、同じ部屋にいたファイクという予備校生などは、高校生の時分から既に複数の同級生と関係を結んだそうである。トゥファンの場合、イスラムについて口にするだけあって、このファイ…

ムスリムに憎しみはない?

韓国人の友人の事務所では、思わぬ一面を見せてしまったリビア人のハシムだが、普段は朗らかで礼儀正しい青年である。「イスラムは愛の宗教、寛容の精神が大切なんです。敬虔なムスリムならば人を憎んだりはしません」と良く話していた。ところが、あの一件…

リビア人留学生ハシム

9月になって、エーゲ大学のキャンパスにあるトルコ語学校へ通うことになった。この大学のレベルがどんなものなのかは良く分からない。ただ、イズミルでもナンパな校風で名を馳せているようだ。私は日本で大学のキャンパスに足を踏み入れたことが殆どないの…

91年の夏休み、トルコでナンパ

大学や予備校が夏休みに入ると、殆どの学生が郷里へ帰ってしまう。私たちの部屋で居残ったのは、私と大学生のトゥファンだけだった。 寮では、残った学生が全て私たちの部屋に集められ、他の部屋はツーリスト用のペンションに早変わりした。家族はドイツに居…

アルサンジャック学生寮

トルコ暮らしも1ヵ月が過ぎて、ようやく周囲の様子も分かって来ると、まずは生活費を抑えなければと考え、「コライ・ペンション」から近くの学生寮へ越すことにした。「アルサンジャック学生寮」、私はここで1年間を過ごすことになる。寮には、6人部屋が…

コライ・ペンション

イズミルに着いてから1ヵ月半ぐらいの間、右も左も分からず、言葉も殆ど通じない内は、サージットが紹介してくれた「コライ・ペンション」に泊まっていた。 これは日本でいうビジネス旅館のような所である。宿泊者の殆どがトルコ語学校の受講生で、その多く…

91年春、初めてトルコへ

私が初めてトルコへやって来たのは、91年の春だった。最初からイズミルにあるトルコ語学校で勉強するつもりで来たので、イスタンブールの空港に降り立つや観光もせずに、バスでイズミルへ直行した。トルコ語を学ぶことになったのは、単に興味があったから…