メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコ人の家庭に下宿(2)「イスタンブールのライブハウス」

この家族、経済的にはイスタンブールの標準からいっても中の下ぐらいではなかったかと思うが、それでも、夏期用の住居を、イスタンブールからマルマラ海を渡った向こう側のヤロバという所に持っていた。

しかしこれ、お金持ちの別荘というイメージからはほど遠く、当時のイスタンブールで「自家用車はなくても夏期用の住居ならある」という家族は珍しくなかったのである。
夏になると、20歳の次男坊クバンチを除く皆がこのヤロバへ行ってしまい、1ヵ月近く、クバンチとふたりで留守を預かることになった。
その頃クバンチは、「ケマンジュ」というイスタンブールの若者の間では有名なライブハウスで働いていて、夕方出勤すると明け方まで帰ってこない。この為、彼と顔を合わせることも余りなく、殆ど一人暮しのような状態だった。
ある晩、8時頃になってパンを買いに行った。パン屋はほんの数軒先なので、よれよれのズボンにティーシャツというなりのままサンダルを引っ掛けて外へ出たけれど、買い物を済ませて戻って来ると、玄関の鍵を中に置き忘れていたことに気がついた。ここのドアは自動ロックになっていて、こうなると外からは開かない。
暫くそこで『どうしようか』と考えたあげく、クバンチのところへ行って鍵を受け取るしかないと結論。幸い小銭入れに往復のバス代ぐらいは入っていた。
よれよれのズボンにサンダル履きでは、バスの中でも気恥ずかしい感じがしたくらいで、中心街のタクシムでバスを降りると周囲の視線を避けるようにして、一応、場所だけは知っていた「ケマンジュ」へ。

 入口に立っていた店の人に、「クバンチいますか?」と訊くと、ドアを開けて、店内を指差す。私は自分のなりを示しながら、「すみません。遊びに来たんじゃないので、ちょっとクバンチを呼び出してもらえますか?」とお願いしたのだが、店の人は、「いえいえ、構いませんから、どうぞ中へ入って捜して見て下さい」と気にも留めていない様子だった。

 店内は、凄まじい音響によるロックバンドの演奏に熱狂して踊る若い男女で溢れかえっていて大変な騒ぎである。場違いな格好をした妙な奴が入って来たことなんて誰も気にしていないようだ。中には壁にもたれ掛りながら濃厚なキスに及んでいるカップルもいる。
先ほど、私はこの店をライブハウスと紹介したが、日本でもディスコとかこういった所には足を踏み入れたことが殆どなく、その時はこういう店を何と呼んで良いのかも知らなかったくらいで、店内の様子を見てとにかく驚いた。
踊る男女の中を茫然としながら奥へ進むと、クバンチの方がいち早く私を発見していたらしく、カウンターの向こうで、びっくりした顔をしながら手を振っているのが見える。カウンターのところまでたどり着くと、クバンチは挨拶もそこそこに「どうしたんだ何かあったのか?」と怪訝な表情。理由を説明したら大笑いして、「ここまで来たんだから何か飲んで行きなよ」なんて言ってくれたのだが、私は鍵だけ受け取ると早々にそこから退散した。