メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

アルツハイマーの進行

母がアルツハイマーと診断されたのは2010年だった。この年の3月~4月にかけて、母は姉と共にイスタンブールを訪れていたけれど、時々、自分が何処へ来ているのか良く解っていないようなことを言うので、私も『これはちょっと変だ』と不安を感じた。
そして、帰国してから病院で診察を受け、アルツハイマーが明らかになったのである。
翌、2011年の夏、一時帰国した私は、相模原市の藤野の家に暫く滞在したが、母は、家の内部や周辺の散歩道等の様子も良く解っていて、普通に生活していた。それで、『アルツハイマーと言っても大したことはなさそうだ』と少し安心した。
ところが、母を伴ってイスタンブールへ戻ったところ、その翌日には、早くも『大丈夫だろうか?』という不安に襲われた。
母は自分がイスタンブールに来ていることを何度聞いても忘れてしまうし、イエニドアンの家のトイレの場所もなかなか覚えられなかった。
そのため、トイレの度に案内しなければならなかっただけでなく、夜の間にトイレを探して外へ出られてしまうのが心配で、おちおち寝ていられなかった。
おそらく藤野の家では、発症前の記憶が残っているため、普通に暮らせていたのだろう。
しかし、イエニドアンの家でも、何日かすると、母はトイレの場所ぐらい解ってくれた。不思議なのは、その後、年に一度イスタンブールを訪れるだけなのに、トイレの場所を覚えていたことである。
また、2013年と2014年の夏は、1人で飛行機に乗って来たので、それなりの緊張感があった所為か、母は最初から、自分がイスタンブールに来ていることを把握していた。
それどころか、イエニドアンの家の位置も、ある程度は認識していたようなので驚かされた。
あれは、2014年の夏に母がイスタンブールへ来て、未だ2~3日目のことだった。夕方、バスでイエニドアンの停留所まで来たところ、折しも、激しい俄雨が降り始めたため、停留所前の衣料品店の軒先で雨宿りしていたら、店のおばさんが店内の椅子に座るよう勧めてくれた。
そこで有難く母に座ってもらい、私は隣のスーパーマーケットへ買い物に行ったが、戻ってきて驚いた。店内に母の姿がないのである。店のおばさんは、「お母さん、雨が上がったから先に帰りましたよ」と屈託のない笑みを浮かべている。
私は慌てて店を飛び出し、バス通りの左右を見渡したけれど、母の姿は見えなかった。とりあえず、家の方角へ向かって走り、角のところへ来て、家の方を見上げると、家の中庭へ入っていく母の後ろ姿が見える。
ひとまず安心しながら、そのまま走って家の玄関まで辿り着くと、母は「先に帰っても、お前が来ないとドアが開かないのか」と言って笑った。
アルツハイマーや記憶の仕組みについては良く解らないものの、どうやらある程度進行しても、景色や場所などは印象として記憶に留められるらしい。ところが、耳から入る情報は、当時も1~2分で消え去っていたのではないかと思う。
結局、母がイスタンブールを訪れたのは、この2014年の夏が最後だった。母の体力は、2015年の1年間で、坂を転げ落ちるように衰え、アルツハイマーの症状も進んだ。判断力などもかなり低下したような気がする。
2016年の1月から糖質制限を始めて以来、多少持ち直したものの、老化を押し止めることは出来なかった。
しかし、アルツハイマーの方は余り進んでいないようである。なんでも、一定のところまで進行すると、それ以上は進まないという症例もあるそうだ。母の症例もそうであって欲しい。