メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

クズルック村の工場

ギリシャ語の歌で思い出すクズルック村の日々

www.youtube.com このギリシャの歌を聴いたのは23年前、2000年頃ではなかったかと思う。イスタンブールはイスティックラル通りのCD店に流れていた。 店の人に「なんていう歌?」と訊いたところ、CDのジャケットを示しながら、「このCDに入ってい…

イスラムの葬儀は望まない!

トルコで非常にイスラム的な新聞として知られているイエニ・アキット紙に、今日(9月18日)、以下のような記事が出ていた。 「イスラムの価値に敵対しながら一生を終えた人たちも、モスクでイマームの祈祷により弔われることが論議を呼んでいるトルコで、…

ケマル・デルビシ氏の訃報/1週間後に迫った大統領選挙

トルコから伝えられたニュースによれば、2001年~2002年にエジェビット内閣の経済担当相を務めたケマル・デルビシ氏が米国で亡くなった。まだ74歳だった。 デルビシ氏は、2001年にトルコが経済危機に陥ると、22年間勤務した世界銀行を辞職して帰国、経済担当…

トルコ大地震/日本は安全だろうか?

この「1999年8月-トルコ北西部大地震の追憶」という駄文に以下のように記した。 「私はクズルック村へ行く最終のバスを逃してしまい、仕方なく、イスタンブールで友人家族が経営していたホテルに只でもう一晩泊めてもらった。地震が発生したのは、その…

トルコで宗派間の対立は解消されるのか?

トルコでは、イスラムの異端とされるアレヴィー派の人々が断食を行うムハレム月に入ってから、アレヴィー派の礼拝所であるジェムエヴィが立て続けに襲撃されるという事件があった。 犯人らは直ぐに逮捕されたそうだが、背景等は未だ明らかになっていないらし…

「女性差別」で思い出した「司令官」の事件

日本で報道されるトルコのニュースには、偏見に満ちた話が多くてうんざりさせられる。最近は、EUのミシェル議長にライエン委員長がエルドアン大統領と会見した際、女性のライエン委員長へ椅子が与えられなかったのは「女性差別」だと、また騒いでいる。 チ…

トルコの強面の恐妻家?

《2011年2月3日付けの記事を改正》 クズルック村の工場で、技術部のグループ長を務めていたオメルという青年は「強面の恐妻家」と言えたかもしれない。 オメルさんは高卒の叩き上げで、情熱的な仕事ぶりが、日本人の出向者からも厚く信頼されていたけ…

トルコの共働き夫婦/女性の社会進出

《2014年11月26日付け記事の再録》 アダパザル県のクズルック村は、イスラム色の濃い保守的な村だったけれど、村から工場(邦人企業の工場)へ夫婦で働きに来ている人たちも少なくなかった。トルコでは、女性の社会進出が、日本より遥かに進んでいる…

「娘さんには御用心」

《2003年の記事(旧「メルハバ通信」)からの再録》 工場で私は通訳として働いているが、この仕事、どうも私には向いていないようだ。トルコ語力が充分でないというのはもちろんのこと、通訳には運動神経ってものが要求される。つまり、ボールを受け取っ…

1999年8月-トルコ北西部大地震の追憶

1月17日、阪神大震災から25年が過ぎた。そして、一昨日(24日)は、トルコの東部エラズー県で大きな地震があったという。多くの方が亡くなり甚大な被害に見舞われているようだ。 トルコの東部では、2011年10月にもワン県を中心に大地震が起きて…

因果応報

クズルック村の工場へ視察に訪れた本社の相当な地位にある方と、工場長、製造部長、そしてこの私が、社宅の一室で車座になって飲んだことがある。飲みながら、本社の方は、「我々は現場の人たちに比べたら、寄生虫みたいなものですから・・・」というように…

トラック野郎の集会

シルケジ駅前の公園に、むさくるしい男たちが集まって、なにやら話し合っている光景を良く目にすることがある。仕事を探しているトラックの運転手たちだと聞いていたけれど、最近は昔に比べると集まっている人の数が多少減ったかもしれない。先月、その様子…

現場が原点

クズルック村の工場は、「現場が原点」をモットーにしていた。日本の本社では、大卒の新入社員も一定期間現場で働かされるらしい。一度、クズルック村の工場に、日本の本社から副会長という方が視察に訪れたことがある。白髪の、もう70歳近くに見える方だ…

ワールドカップの思い出

昨日の“便り”でサッカー欧州選手権を観戦する人々の熱狂ぶりをお伝えしたけれど、私はサッカー欧州選手権についてとんでもない勘違いをしていました。この選手権は毎年行なわれるものだと思っていたのです。確かに、4年に一度の大会では熱狂したくもなるで…

トルコの人たちの民族感情

2003年の1月、私は3年半に亘って働いた会社を辞めて、クズルック村に別れを告げることになった。 この期間、社内での立場もあり、トルコ人の同僚から自宅へ招待されても殆どそれに応じて来なかったが、退社を3日後にひかえ、ライン長として働く青年の…

トルコのクルド語事情(4)

02年の8月、トルコの国会では、クルド語を始めとする各民族語による放送と各民族語の教育を可能にする法案が可決された。(各民族語による教育を可能にするものではない) 92年に故オザル大統領が提唱して以来、10年も掛かってしまった上、EUへの加…

トルコ人はぬるいのが好き

クズルック村には温泉が湧き出ていて、宿泊できる施設もあり、イスタンブールからも湯治客がやって来る。 しかし、イスラム色の濃いイフラスという会社が施設を運営している為、湯治場一帯にはアルコールを提供する店も無く、日本の温泉とは大分違った雰囲気…

クズルック村はかかあ天下?

クズルック村の我が家で、晩になってくつろいでいた時である。近くに住んでいるらしい工場の作業員が訪ねて来て、「うちでお茶を用意してありますからどうぞ」と言う。 この男、近頃働き始めたばかりだが、使えないという評判で、見るからにぼんやりした感じ…

娘さんには御用心

工場で私は通訳として働いているが、この仕事、どうも私には向いていないようだ。トルコ語力が充分でないというのはもちろんのこと、通訳には運動神経ってものが要求される。つまり、ボールを受け取ったら、正しい方向へ直ぐに投げ返さないといけない。私は…

ムスリムは恐妻家?

クズルック工場の生産現場で指揮を取っているトルコ人エンジニアのマサルさんは、中東工科大学出身のエリートで35歳。非常に仕事熱心な上、温厚な人柄で日本人スタッフからも全幅の信頼を寄せられている。英語はもちろんだが、日本で3ヶ月ほど研修を受け…

イスラム異端派

ある日、トゥズラの工場でクルド人の連中と話していると、彼らがこんなことを言う。「僕らは民族も違うけど、実は宗教も違うんですよ」以前にも何度か同じような場面を経験しているので、「そら、来たぞ」と思いながら、「アレヴィーですか?」と問いかける…

トルコ人は何人種?

ボスニア人は、クズルックの工場にもいる。この人も色白で背が高く、これはスラブ系である彼らの特徴なのかも知れない。 しかし、彼の家族は既にトルコで三世代を経ていて、両親もボスニア語を自在に話せるわけではないそうだ。この彼が私に、こんなことを言…

イスタンブール・トゥズラの民族事情

今年(2001年)になって、イスタンブールにある工場も本格的に稼動を開始、最近はクズルック村よりこちらにいることの方が多くなった。イスタンブールといっても東の外れのトゥズラというところである。クズルック村の工場と同様、トゥズラでも従業員に…

クズルック村民族事情

クズルック村の辺りでは、黒海地方のトラブゾン県から移住して来た人たちがなんといっても一番多く、この人たちはラズと呼ばれたりしている。しかし、彼らの全てが、自らラズ人であると必ずしも認めているわけではない。「私たちはトルコ人であって、ラズ人…

トルコ民族とは?

トルコにおける民族問題は、クルド人のようなエスニック・グループに限ったことではないのかも知れない。自分たちがいつからトルコ人になったのか、この問いに確信を持って答えられるトルコ人はどのくらい居るのだろうか。93年に他界したオザル大統領は死…

トルコの民族事情/「蒼き狼」の末裔

子供の頃、といっても中学生の時分であるが、トルコという国に興味を覚え、図書館へ行って調べたりしたことがある。西の彼方、ヨーロッパのすぐ隣にトルコという国があり、住民の9割近くを占めるトルコ人は、モンゴル人に近いアジア系の民族で、遊牧をしな…

田舎カラス

2001年の年が明けて、まだ間もない日のことだ。朝早くから用事があり、久しぶりに暁闇の中を工場へ向かった。 田舎道を歩きながら、白々としてきた東の山の端を見ていると、散り散りに黒いものが、空高くだんだん広がりながら頭上に迫って来る。もちろん…

クズルック村へやって来る

ここは、アダパザル県のクズルック村。イスタンブールからアンカラ方面に向かって車で約2時間のところだ。アダパザルは、99年の大地震でも有名になったが、元来イスラム教の盛んな地域として知られている。99年の夏、私は当地にある邦人企業の工場に現…