メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ムスリムは恐妻家?

クズルック工場の生産現場で指揮を取っているトルコ人エンジニアのマサルさんは、中東工科大学出身のエリートで35歳。非常に仕事熱心な上、温厚な人柄で日本人スタッフからも全幅の信頼を寄せられている。英語はもちろんだが、日本で3ヶ月ほど研修を受けたこともあって日本語もかなりできる。
マサルさんは、信仰心に篤い敬虔なムスリムであり、時間の許す限り日に五回の礼拝を欠かさず、もちろんアルコールは全く嗜まない。
女性とは握手をしないなんてことはないが、それ以上の接触は絶対に避けるだろう。とにかくえらい恐妻家なので奥さん以外の女性に興味を持つなんて有り得ないと思う。
奥さんはスカーフを被っていて見るからに敬虔な雰囲気だが、工場での催し物などには積極的に参加する。今は子育てに忙しく休業しているものの、以前は保険の外交に飛び回っていたそうだ。
イスラムでは男が強いのではないかと誤解されるようだが、トルコに限ってそんなことはない。日本の地震・雷・火事・親父も、この国では、地震・事故・テロ・女房ではないのかと思えるほどである。
最近結婚した友人の例を挙げれば、彼自身はそれほど熱心なムスリムでもなかったのに、とても敬虔な女性と一緒に成ってしまい、「悪いけどもう飲めないんだ。女房に見つかったら大変でねえ。まあ、昼ならビールぐらい付き合うよ。うちへ帰るまでにアルコール消化できるから」などとこぼしていた。
こんなことを言ったら怒られるかも知れないが、専業主婦だったら断食のような戒律を守るにしても結構楽なのではないだろうか。それで、あとは亭主の方もイスラムの掟でがんじがらめにして厳しく監視、絶対に浮気はさせないと、そんな感じがしないでもない。
マサルさんなどは、呆れるくらい模範的な亭主である。彼が昼休みに新聞を読んでいるところを見ていると、その生真面目さが良く解る。

どういうことかと云えば、まず工場にはフュリエト紙のような大衆紙しか置かれていない。ところが、この手の新聞には必ず水着モデル(完全に脱いじゃっているのもある)の写真などが掲載されているのである。

これに対して、マサルさんは前以て適当な紙切れを用意し、禍禍しい写真が出てきたら、それでパッと隠す。その時、どうしたって一瞬は見てしまうから、それだけで苦痛に顔が歪む。
一度、「マサルさん、あなたが隠したということは、その下に私の大好きな写真があるってことですね。ちょっといいですか?」と冗談を言いながら、ちらっと捲って見ると、「なんだこれは」と拍子抜けするような、ミニスカートを着た女性の写真だったことがある。
マサルさん、どうでもいいけど、これがだめだったら、あなたイスタンブールの街を歩けないでしょう?」と言ったら、
「そうですね。かなりつらいものがあります」と大真面目に答えていた。
ところで、マサルさんは、意外にもエーゲ海沿岸のイズミル出身。イズミルはトルコで最も宗教色が薄いと言われている地域だ。実家を訪問して御両親と会ったこともあるが、典型的なイズミルの人で、ほとんど宗教傾向がなかったのに驚いた。
本人の話によれば、彼は大学在学中、イスラムに目覚めたそうである。私には、彼が、現代的なムスリムの生き方を模索する新しいタイプのトルコ人であるように思えてならない。彼は、よくこんなことを言う。
「近代化というのは、産業化して物を生産することから始まるんです」
全くその通りだと思う。スカーフを取り、胸のホックを一つ外すと近代化が達成できるのだったら苦労は要らない。
近代化の過程で生じる問題に対しても、長い歴史の中で培われて来たイスラム的な文化の中にその処方箋を求めるのが道理であるようにも思える。
しかし、アレヴィーの人たちは、こういった考え方に何と言うだろうか? オスマン帝国の時代にアレヴィーがどう扱われていたのかは知らないが、彼らは概ね、イスラムを吹き飛ばしてくれたアタテュルクを敬愛しているようだ。当然イスラム的な風潮には甚だしい嫌悪感を示す。
マサルさんに一度、アレヴィーについて訊ねて見たことがある。彼は、なんでそんなことを訊くの、といったふうに訝りながら、
「大切なのは真人間になることです。宗教とか宗派の違いなんて大したことではありません。例えば、あなたが無信仰であることについて私は何も言っていませんよ」と答えてくれた。