メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ワールドカップの思い出

 昨日の“便り”でサッカー欧州選手権を観戦する人々の熱狂ぶりをお伝えしたけれど、私はサッカー欧州選手権についてとんでもない勘違いをしていました。この選手権は毎年行なわれるものだと思っていたのです。確かに、4年に一度の大会では熱狂したくもなるでしょう。如何にサッカー音痴であっても、このぐらいは社会の常識として知っていなければなりません。さもないと、世間の話題に取り残されてしまいます。

ワールドカップの存在も2002年の日韓協同開催が話題になって漸く認識したくらいですが、この時は、トルコの出場を願って欧州予選の時点からその経過が気になっていました。そして、トルコは見事に出場を果たしてあの活躍、私も周囲の熱狂的な雰囲気を結構楽しんでいたかもしれません。

その頃はまだクズルック村の工場で働いており、同僚たちと一緒に試合をテレビ観戦したりしました。当初、工場の勤務時間中にテレビ観戦は許可されなかったものの、トルコの試合では、多くのトルコ人従業員が大食堂のテレビの前に吸い寄せられてしまった為、一部のラインが止まって生産活動に支障を来たす結果となり、次の試合からは大食堂に大きな画面を設置して、思う存分観戦してもらうことになったのです。

私も最初の食堂観戦となったトルコ対中国戦は、皆と一緒に隅っこの方でトルコを応援したけれど、次の対日本戦ではそういうわけにも行かず、オフィスに残って応援には行きませんでした。

そして、準々決勝となった対セネガル戦。この日は週末だったこともあり、私はイスタンブールに出掛けて、タクシム広場前にあるマルマラホテルのカフェでお茶を飲んでいました。

さすがにホテルのカフェでは実況の声も聞こえて来ないから、試合の経過を追うことは出来ないものの、トルコがゴールすれば周辺の車が一斉にクラクションを鳴らすだろうと思って、秘かにその時を待っていたところ、まずクラクションが鳴り響き、それに続いてカフェの従業員たちが歓声を上げ、小躍りしながら表に飛び出して行きます。

ゴールデンゴールというルールを知らなかった私は状況がつかめないまま、レジへ歩み寄り、その場でピョコピョコ踊っているカフェのマネジャーさんに「どうしました?」と尋ねたら、「イルハン・マンスズです! トルコが勝ちました!」と叫ぶように答えます。彼も本当は部下と一緒に表へ飛び出してしまいたかったのに、責任者としての自覚がそれを思い止まらしたのでしょう。私が会計を頼むと、一瞬『こんな時に、あんたも不粋な人だねえ』というような表情を浮かべたけれど、直ぐに笑顔に戻って、なんだか嬉しそうに会計を済ませてくれました。おそらく、会計などせずに私も小躍りしながら飛び出して行ったところで、誰にも咎められなかったと思います。

その後、タクシム広場で延々と繰り広げられたお祭り騒ぎ、これはもう筆舌に尽くしがたいとしか言いようがありません。まるで外国の桎梏から逃れてついに勝ち得た独立を熱狂的に祝っているようでした。翌日の新聞に、「次のブラジル戦にも勝ってしまったら、我々の心臓は持ち堪えるだろうか? それとも、ブラジルには勝てないと思っているから、最後のお祭りを楽しんだということなのか?」というようなコメントを載せたジャーナリストもいました。

さて、そのブラジル戦、これは工場の大食堂で観戦することになったものの、私は読みかけの本もあったから、ちょうど良い時間が出来たとオフィスに残ったままページを捲っていました。その技術部のオフィスは、他のオフィスから離れて大食堂の直ぐ隣に位置している為、大食堂でトルコを応援する歓声はもの凄い迫力で伝わってきます。

時計を見ながら、『そろそろ終る時間だな』と思っていたら、隣の大食堂が急に静かになったので、『やはり負けたか?』と皆の帰りを待ち構えたところ、まず最初に総務部の女子が、両手に持ったトルコの国旗を振りながら、「私たちここまで来ましたよー。でも、これでお終いー」と何だか嬉しそうな顔して駆け抜けて行ったのです。

それから、技術部の面々も次々と戻って来たけれど、皆、薄笑いを浮かべて、やれやれといった表情。席につくと「さあ、仕事だ。仕事だ」と口々に言い、誰も試合の話はしません。これは翌日も続いて、『えっ? ワールドカップ? サッカー? いったい何のことでしょう?』という完璧な“忘却モード”に入っていました。まあ、誰もブラジルに勝てるとは思っていなかったのでしょう。