メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

クズルック村へやって来る

ここは、アダパザル県のクズルック村。イスタンブールからアンカラ方面に向かって車で約2時間のところだ。アダパザルは、99年の大地震でも有名になったが、元来イスラム教の盛んな地域として知られている。
99年の夏、私は当地にある邦人企業の工場に現地採用で就職した。工場では自動車の部品を生産していて、従業員が800名ほど。運営スタッフは日本からの出向者で、私の仕事はトルコ語の通訳である。
クズルック村は三方を山に囲まれ、緑の多い長閑な農村。初めてやって来た時には、「とんでもない田舎に来てしまった。よくもこんな所に工場を建てたものだ」とまずびっくりした。

また、近くのアクヤズという町でバスを乗り換えた際、頭にスカーフを被っている女性がやたらと目につき、イスラム的な雰囲気を感じ取ることができた。
そもそもトルコでは国民のほとんどがムスリムである。しかし、1923年、アタテュルクを初代大統領に、世俗主義を国是とする共和国政府が成立して以来、あまり熱心にイスラムを信仰することは国父アタテュルクの精神に反し、好ましくないとされて来たのである。
女性のスカーフにも様々な制限が加えられていて、まず、国会のように公的な場所でスカーフを着用することは許されていない。役所も同様、民間においても大企業では一般的に職場内のスカーフ着用を禁止しているようだ。
イスラムでは、女性のスカーフ着用の他にも、1日5回の礼拝、男性が金曜日にモスクへ集まって行なう礼拝、男子の割礼、メッカへの巡礼、ラマダン月での断食、酒を飲まないこと、豚肉を食べないことなどのように様々な戒律がある。 

トルコの場合、まず一番良く守られているのは、割礼と豚肉の禁忌だろう。といっても、豚肉に関してはトルコ国内どこでも手に入るわけではなく、破る方が難しいかも知れない。
反対にあまり実践されていないのは、5回の礼拝と禁酒ではないかと思う。ラマダン月の断食は結構行なわれていて、平時は礼拝もしないし酒も飲むといった人が、ラマダンになるとちゃんと断食をしているのに驚かされることもある。
断食は、1ヵ月の間、日中の飲食を禁じるという戒律である。日が出る前と日没以後は食べても良いわけだが、ラマダンはイスラム暦により毎年開始日が11日ずつずれて行くので、夏の暑い時期にラマダンが始まることもあり、食べるのはともかく水も飲めないのはかなり苦しいと思われる。もちろん煙草とかガムのような口に入るものは一切ダメ、敬虔な信者は唾も飲み込まないそうだ。
イスタンブールような都会では、酒を飲んでも断食を実践しているようなら、まず普通にイスラムを信仰していると言えそうである。アタテュルク精神を支持する左派のインテリや世俗主義の守護者をもって任じる軍の幹部などは殆ど何の戒律も守っていないのではないだろうか? 逆に全てを熱心に実践しているようだと、これは反動分子と見なされかねない。
それでも宗教活動に関する制限は、80年代、アタテュルク以来の国家企業政策に対して民営化を進める経済改革を断行したオザル政権のもとで大幅に緩和されたのだと言われている。
私が働く工場では、従業員の6~7割を若い女性が占めているけれど、職場でスカーフをしても良いことになっていて、半数近くの女性が着用している。 

こういった女性は夏の盛りも長袖のシャツで、肌の露出を極力控えている。ただ、この地域には、美人で名高いコーカサス地方からの移民も多く、スカーフの中から微笑まれただけで思わず眩暈を感じるほどの美女も少なくない。 
しかしこれは、私にとって拷問に近いものがある。まず、この辺で、婚約前の色恋沙汰などはもってのほかだろう。娘に手を出したの出さないので、刃傷沙汰(簡単に拳銃が手に入るため発砲沙汰?が殆ど)に及ぶこともあるくらいで、女性の貞操は極めて重要である。

それでは結婚ということになると、今度はイスラムへの改宗が前提条件になる。工場にいくら美女がいても、この条件を認めたくない私は、彼女たちに近づくことが殆ど不可能なわけだ。

でも本当のところを言えば、恋愛は自由にどうぞと言われたほうが、困ってしまうかも知れない。そうなると、いつまで経っても彼女ができないことに対する言い訳が難しくなる。
私は今、工場の近くに部屋を借りて一人暮らし、このクズルック村では当然のことながら、部屋に女性を連れ込むような真似はできない。大っぴらに酒を飲むことも憚られる。

もちろん、ムスリムでもない私が飲んだところで何も言われないし、村人の中にも飲む人はいる。

しかし、酔って出歩くのは考えものだろう。夜になっても、男たちはカフヴェと呼ばれる喫茶店のような所に集まって、ひたすらトルコ風の紅茶を飲む。その前を通りすぎると、「あなたもお茶を飲んで行きませんか?」と誘われたりするが、無下に断われば、「俺のお茶が飲めないのか!」ということになる。

また、近所にはちょっと原理主義者を思わせるくらいの厳格なムスリムの男がいて、さながら風紀取締委員といった雰囲気である。女性に触れるのはまかりならぬということで女性とは握手もしない。というわけで、私も毎日を極めてストイックに大真面目に過ごさせてもらっている。
クズルック村へ来る前、トルコで農村と言えば、友人の実家があるエーゲ海地方デニズリとトラキア地方の農村を訪れたことがあるだけだが、どの村も結構豊かな感じがする。クズルック村では、住居も2~3階建ての立派なものが多く、自家用車の普及率もかなりなものだ。
トラキアでは向日葵、デニズリでは葡萄、クズルック村ではヘーゼルナッツが主要作物で、何れも国外へ輸出されており、村の経済もこれで潤っているのだろう。
トルコは、日本の約2倍の国土で半分の人口を養っているわけで、近代産業化で遅れを取ったとはいえ、元々豊かな国なのかも知れない。