メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

イスラム異端派

ある日、トゥズラの工場でクルド人の連中と話していると、彼らがこんなことを言う。
「僕らは民族も違うけど、実は宗教も違うんですよ」
以前にも何度か同じような場面を経験しているので、「そら、来たぞ」と思いながら、「アレヴィーですか?」と問いかけると、「おっ、良く知っていますねえ」と嬉しそうな顔をした。
アレヴィーというのは、この表現で良いのかどうか分からないが、イスラムの中で異端とされている宗派。主流のスンニー派とは、断食する期間も異なっていたりと、教義の面でも大分違いがあるようだ。
アレヴィーは、クルド人の中にも、そうではないトルコ人の中にもいるが、ほとんど戒律を守らないなど、無宗教に近い印象もある。熱心な主流派ムスリムとの間に生じている軋轢は社会問題になっていて、この時も、クズルック村から来ている運転手が顔を見せるや、彼らはさっと話題を変えてしまった。
数年前、イズミルで知り合った友人は、「僕は初対面の人に、自分がクルド人のアレヴィーであると前以て伝えるようにしています。まあ、クルド人であることが後で分かったからといって特に問題とはならないので、これは言う必要もないんですが、アレヴィーについては、必ず話して置かないといけません。後々、お互い気まずい思いをします」と言ったものである。
この友人は、その後日本へ行って3年ほど滞在することになるのだが、とにかく協調性があって、異郷に居ても誰彼なしに上手く付き合っていた。彼のような人が、気まずい思いをしなければならないというのは、よっぽどのことなのかも知れない。
実際、アレヴィーに関しては、当事者でない私まで気まずくなってしまうようなこともあった。
92年、当時イスタンブールにあった邦人経営の会社で働いていた時のことである。

同僚のトルコ人は日本語がペラペラだった。腕っぷしが強くて、日本でキックボクシングの試合に出場した経験もあるという。

彼は殆ど無信仰であり、豚肉も平気で食べていた。アレヴィーであると匂わせるような話を時々するのだが、はっきり「アレヴィー」という単語を私が口にすると、たちまち不機嫌になった。
真面目にイスラムやっている人達には異様な敵愾心を持っていて、例えば、ラマダンの最中タクシーに乗ると、運転手に「あんたは断食しているのか?」と訊き、運転手が「もちろん」と答えると、「そうか、そんなら俺はここで煙草を吸おう」とか言って、煙を運転手の方へ向かって吹きつけながら、「ふーっ、旨い」なんてことをやるのである。

これで一度、車から降ろされたこともある。運転手も一緒に降りてきたが、昼飯食って元気もりもりの元キックボクサーを前に、「腹がへっては戦ができぬ」と悟ったのか、捨て台詞を残してスゴスゴ車に戻った。
また、これもラマダン中の話。会社が新しい顧問弁護士と契約して、日本料理店で夕食を御馳走することになった。

弁護士さんは夕刻、約束の時間に会社へやって来たが、断食中なので日没まで待ってから出発したいと言う。

やがて、日没が知らされると、コップ一杯の水を旨そうに飲み干し、「お待たせして申しわけない、さあ出掛けましょう」と言って立ちあがった。
車に乗り込むと、元キックボクサーの彼に、「日本の料理を食べるのは今日が初めてなんですよ。どんなものが美味しいんですか。君は日本に居たこともあるから良く知っているでしょう」と訊く。

これに対して彼は、平然とこう言い放った。「豚肉ですね」。

それから私の方を向くと日本語で、「ラマダンの時に食べるトンカツがこれまた最高に旨いんだ」と言って、「ハッハッハ」と笑ったのである。

弁護士の先生は唖然とした表情で返す言葉もない。しかし、この先生なかなか出来た人で、夕食の席に着くと、本当にトンカツを注文して旨そうに食べる彼と何事もなかったかのように談笑していた。
後日、このいきさつをイズミルの友人に話したところ、
「その人は多分、アレヴィーということを乗り越えられないでいるんだね。それに、トンカツが好きだというのも本当かなあ、僕は何でも食べるけど、豚肉は食べ慣れていないせいか余り美味しいとは思えないんだよ」と首をかしげていた。