メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコ大地震/日本は安全だろうか?

この「1999年8月-トルコ北西部大地震の追憶」という駄文に以下のように記した。

「私はクズルック村へ行く最終のバスを逃してしまい、仕方なく、イスタンブールで友人家族が経営していたホテルに只でもう一晩泊めてもらった。地震が発生したのは、その深夜3時だった。」

これでは、震源地に近いクズルック村へ行き損ねたお陰で、まるで九死に一生を得たかのように思われてしまうが、あの日、クズルック村の社宅に帰り着いていたとしても、おそらく、かすり傷一つ負うこともなかっただろう。

日本から出向してきた社員のために建てられた社宅は平屋の簡素な造りで、特に頑丈に出来ているとは思えなかったが、外部にも室内にも全く損傷は無く、ベッドの脇に置かれた華奢な木製のテレビ台さえびくともしていなかった。

私は現地採用で出向者じゃなかったけれど、まだ適当なアパート等が見つかっていなかったので、この社宅に住まわせてもらっていたのである。

出向者の話によると、施工した現地の建設会社は、平屋にも拘わらず基盤をかなり深くまで掘り下げていたという。それで、揺れが最小限に抑えられていたのだろうか?

一方、社宅に隣接している工場は、日本の某大手ゼネコンが施工したというのに、外壁の多くが倒壊して無残な姿をさらしていた。ゼネコンの責任者は、「外壁の取り付けはトルコの業者に任せていたので・・・」と苦しい言い訳をしていたそうだが、確かに、外壁以外にこれといった損傷は見られなかった。

クズルック村の辺りは、山里でかなり地盤がしっかりしていたのかもしれない。アダパザル市周辺の平地には、かつて沼地が多く、蚊も発生したので、それを嫌がった人たちが村へ移住してきたという話を聞いたことがある。遠い昔はアダパザルの市地域も沼地だったと言われ、そのため地盤が弱く、甚大な被害をもたらしてしまったらしい。

クズルック村はそれほど大きな被害を受けていない。しかし、近くのアクヤズという町では、倒壊した建物もかなりあった。

工場で働く若い女性は、アクヤズにあった4~5階建てアパートの最上階に住んでいたが、地震の後で外の様子を窺ったところ、地面から余り離れていない高さになっていたので驚いたそうだ。彼女らの部屋は大した損傷もなかったのに、その下の階は全てぺしゃんこに潰れていたと言うのである。

「各階に住んでいた人たちはどうなったの?」と訊いたら、「全員亡くなりました」と落ち着いた様子で答えていた。可憐な女性に見えたが、なかなか芯の強い人だったようである。

被災後、工場で操業が再開されてからも、頻繁に小さな余震があり、その度に泣き叫んだりする女性の従業員も少なくなかったけれど、彼女はいつも冷静に対応して、持ち場を離れることもなかった。

当時、日本では「最初の揺れが最も激しく、余震は小さくなる」と言われていたので、私たちも余震に慌てたりしなかったが、今回の南東部大地震では、激しい余震が何度も繰り返されたという。人々が感じた恐怖は想像を絶するものだったに違いない。被害はさらに大きくなり、救助活動も妨げられてしまった。

今後、こういった地震が日本でも発生する可能性は充分に考えられるだろう。気の弱い私は今からぞっとする思いにかられてしまう。

トルコに居た頃、「日本の建物は耐震性に優れているので安心ですね?」と良く訊かれた。これに私は「経済的に余裕のある人たちは、そういう建物に住めるかもしれませんが、私のような貧乏人はその限りじゃないですよ」と答えていたけれど、実際、今住んでいる3階建てのアパートは、隣の人の声が聞こえるくらいで、壁も薄そうだから、大きな地震が来たら、ひとたまりもないような気がする。

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