現在、トルコは利上げ後も収まらない激しいインフレで取り沙汰されているけれど、私が初めてトルコで暮らした1991年~94年、そして、アダパザル県クズルック村にある邦人企業の工場で働いていた1999年~2002年も、70%前後の激しいインフレが続いていた。
しかし、当時は既にインフレが「常態」と化していたので、家賃などは米ドルで設定されており、毎月、その月のレートによりトルコ・リラで支払うか、そのまま米ドルで支払っていたのではないかと思う。
以下の駄文にも記したように、企業では年に2回「インフレ調整」と言われる大幅なトルコ・リラ賃金のアップを行っていた。そのため、特に生活の上で困った記憶もない。
しかし、街の商店で購入する食品なども毎月のように値段が変わる。
それで、「Bu şimdi ne kadar?(これ、今、いくら?)」と訊くのが癖になってしまい、たまに一時帰国した日本でも「これ、今、いくらですか?」と訊いて、お店の人に変な目で見られたりした。
特に困った記憶もないと申し上げたが、実はインフレの所為で大変な目に遭いそうになったこともある。
91年の5月、暮らし始めて未だ一ヵ月ぐらいのトルコで、私は尿管結石に襲われた。
結局、11万円ほど支払ってレーザー爆砕の治療を受けたが、念のために6ヵ月間だけ掛けてあった海外旅行保険により、その11万円は全額戻ってくるはずだった。
それから1年経って一時帰国する際、イスタンブールにある保険会社の代理店に寄ったところ、担当の女性(マリアという名のギリシャ系トルコ人だった)から以下のような問題点を指摘された。
「保険金は、治療を受けた日のレートではなく、申請した日のレートで支払われる」
「病院の領収書に記載されているトルコ・リラの価値は、現在、半分以下になっている」
「そのため、今から帰国して申請すると、日本円で治療日の半分以下の金額しか支払われない」等々・・・。
これを聞いて、私は真っ青になったけれど、担当の女性が笑顔で次のように説明してくれたお陰で、多少安堵することができた。
「このような事態に備えて、私たちはトルコの新聞に記載されているレートのコピーを数年にわたって保管しています。貴方が治療を受けた日のレートのコピーを付けますから、それで交渉して下さい。」
本当に気配りが行き届いた代理店、そして素晴らしい担当女性の笑顔だった。
もちろん、帰国して保険会社で申請したら、すんなり11万円が出て来たわけではない。
約款に小さな文字で記されている「申請時のレートで支払われる」を示しながら、4万円ほどの金額を提示してきた。
それから、代理店でもらったレートのコピーを手掛かりに執拗に交渉して、ようやく11万円全額の支払いに漕ぎつけたのである。