トルコの大統領選挙、エルドアン大統領夫妻が有権者としての権利を行使するために訪れた投票所で、子供たちに200リラ紙幣を配っている姿が見える動画は日本のメディアでも放送され、なかなか反響を呼んでいるようだ。
「選挙法違反じゃないのか?」とか「こんなことまでやり始めたのか!」といった視聴者の声が寄せられているらしい。
トルコの法律では、投票権の無い子供たちにお金を配っても選挙違反にはならないそうだが、私も日本人の感覚として、やはり不愉快なものを感じてしまう。
しかし、「・・やり始めたのか!」と驚くことはなかった。ラマダン祭のような宗教的な祝祭(バイラム)で、エルドアン氏が子供たちにお金を配ったりするのは以前から良く見られた光景だからである。
もちろん、今回は選挙の投票日であってバイラム(祝祭)ではなかったが、上記の国営アナトリア通信が配信した動画を見ると、エミネ夫人は子供たちに「バイラムおめでとう!」と声をかけている。
トルコの人たちの感覚では、選挙もお祭りの一つなのだろうか? トルコの選挙の熱狂的な盛り上がりに「まるでお祭りみたいだ」という感想をもらした日本の人もいるようだが・・・。
なにしろ国営のアナトリア通信が、堂々とこの場面を配信しているのだから、誰も問題であるとは思っていないらしい。他のトルコのニュース動画を見ても「大統領が子供たちにharçlıkを配っています」と事も無げに報じている。
「harçlık」は、「ちょっとした用足しのために分けられたお金」と辞書では説明されているけれど、この場合は「お小遣い」とか「お年玉」と訳せるかもしれない。
試しに、「Erdoğan harçlık」でYouTubeの検索をかけてみたら、今回のも含めて様々な「エルドアンのお金配りシーン」が出て来た。
子供たちにお金を配っている所へ手を差し出して来た大人にエルドアン氏が「恥ずかしくないのか!」と叱責する場面が、いくつも異なるアカウントから配信されていて、その場面は大分受けたようである。
しかし、以下の9年前に配信された動画では、宗教的なバイラム(祝祭)の日に報道陣の取材を受けたエルドアン首相(当時)が、子供ではない女性の記者に紙幣を渡している場面を見ることができる。
これは、この若い女性記者が「取材で忙しくて、まだ父母とバイラムの挨拶を交わしていないんですよ」と不満を述べたため、エルドアン首相が「じゃあ、君のお父さんの代わりに」と祝祭のお年玉を渡したのである。
トルコでは、犠牲祭が日本の正月に当たると言って良いけれど、いったい何歳まで父母から「お年玉」をもらうことができるのだろう?
この「お年玉」、トルコでは「bayram harçlığı」と言い、バイラム(祝祭)の日、子供たちは父母に限らず、近所の大人たちからもこれを頂けることになっている。
そのため、子供たちは集団で近所の家々を回って「bayram harçlığı・お年玉」をせがむのである。これがなかなか恐ろしかった。何故なら、子供たちは私の家にも委細構わず押しかけてきたからである。
かつては「お年玉」ならぬ「飴玉」でも、それほど不満を言うこともなく受け取ってくれたから、バイラムが近づくと、飴玉を一袋買って用意したけれど、イエニドアンの街へ越してきた頃には、誰も受け取ってくれなくなっていた。近所の人に「飴玉じゃ駄目なの?」と訊いたら、「今時、そんなもの通用しないよ」と笑われてしまった。
以来、バイラムの前に硬貨をたくさん用意して配るようにしたけれど、バイラムの日にドアのチャイムが鳴らされると「いったい何人来たんだ?」と恐れ慄いたものである。しかし、硬貨で喜んでくれる子供もいなかった。おそらく、他の家々では少額でも紙幣が配られていたのだろう。
エルドアン大統領の配った200リラは、ちょっと高額過ぎるように思えたが、現在のレートで換算すると1400円程度である。100リラ紙幣にしたら700円になってしまうから、大統領の「お年玉」としては少々みみっちいのではないかと思う。
その昔、日本の田中角栄首相などは札束を人々に配っていたそうである。
それに、もしも、子供たちが「大統領のお年玉」を後生大事に保管していたら、激しいインフレの中で200リラなど遠からず紙切れになってしまうかもしれない。
さて、このように、バイラムで子供たちに「お年玉」を配る風習は、他のイスラム教の国々でも見られるのだろうか?
その辺はどうだが解らないが、トルコではギリシャ正教徒の人たちもクリスマスのような祝祭に子供たちへ「お年玉」を渡していたようだ。
2004年~2005年にかけて、私はイスタンブールでギリシャ正教徒のマリアさん宅で間借りしていた。
当時、孫のディミトリー君は中学生ぐらいだったと思うが、クリスマスかイースターのような祝祭に市内の正教徒の家を回って「お年玉」をもらっていたのである。
しかし、正教徒の場合、訪れた家で聖歌を歌わないと「お年玉」はもらえなかったそうで、ディミトリー君は祝祭が近づくと一生懸命に聖歌の練習をしていた。