トルコの大統領選挙、野党6党連合のクルチダルオール氏は何とか決戦投票に持ち込むことはできたものの、エルドアン大統領に明らかな票差をつけられている。
これには様々な要因があげられるだろう。例えば、クルド民族主義政党HDPから支持を受けたことも却ってマイナスに作用してしまったようだ。
HDPとの秘かな連帯は、民族主義的なクルド人の票を取り込もうとしたためだと思われるが、おそらく、得た票よりも失った票の方が大きかったに違いない。
クルチダルオール氏は、HDPに配慮したのか、選挙戦中、分離独立を企図してテロ活動を続けているPKKを表立って非難しようとしなかった。これは従来の支持者たちからも激しい反発を招いている。
PKKが最初に武装蜂起したのは1983年というから、既に40年が経過している。そのためか、トルコでは一般市民の間にも強い国防意識が根付いているように思われる。
アタテュルクによる「国土の不可分の統一」という国是は、社会の隅々にまで染みわたっていると言って良いかもしれない。
私は2017年の4月までイスタンブールの外れにあるイエニドアンという街で暮らしていた。
イエニドアンの近所の家電修理屋さんは、エルドアン大統領を気軽に「ターイプ」とファーストネームで呼びながら支持していたけれど、エルドアン氏が熱心に取り組んでいたクルド和平プロセスを全く評価していなかった。
2015年11月の選挙後、家電修理屋さんは、凍結されたクルド和平プロセスそのものを非難しながら、次のように語っていた。
「あれはターイプの重大な過失だった。我らがターイプだから、一度の過ちは許すが、今度またクルド人たちに譲歩するようなことがあったら、もう許さない。我々は二度とAKPには投票しないだろう」
当時は、エルドアン氏がクルド和平を進め、野党CHPのクルチダルオール氏がこれを批判していたが、今回の選挙では、立場が逆転しているため、家電修理屋さんも心置きなくエルドアン大統領支持を叫び、クルチダルオール氏を詰りつけているだろう。
クルド和平プロセスに関しては、クルド人の中にもその進展を疑問視する傾向が見られた。
エルドアン大統領とAKPを支持するクルド人の友人は、クルド和平の兆しが見えていた2013年の段階で、「BDP(現HDP)は何も変わっていない。私たちは近くにいるから良く解っている。上層部の連中は、今でも分離独立主義者だよ。皆、騙されているんだ」と言って、エルドアン首相(当時)らの融和的な姿勢を批判していたのである。
友人は家族との会話を殆どクルド語で行うくらいだから、和平プロセスによって「クルド語」の放送や教育が実現したことは喜んでいたに違いないが、分離独立には反対だった。
イスタンブールで事業を展開している友人の親族らにしてみれば、分離独立が達成された場合、彼らは故郷である南東部のワン県から切り離されてしまうことになる。「国土の不可分の統一」を願う気持ちには、北西部のトルコ人たちよりも切実なものがあるだろう。
オスマン帝国の末期に、逸早く「トルコ民族主義」による団結を提唱したのが、他でもない南東部ディヤルバクル出身のクルド人であるズィヤ・ギョカルプだったのは、これに通じるところがあるかもしれない。
この友人も、今回の選挙では、心置きなくエルドアン大統領を支持し、クルチダルオール氏を非難しているのではないかと思う。
激しいインフレによる経済の苦境は、既にトルコを離れて6年も経っているので、現地の雰囲気を肌で感じることはできないが、私は今よりもっと激しいインフレに悩まされていた1998~2003年頃のトルコで暮らしていた。
以下の「ケマル・デルビシ氏の訃報/1週間後に迫った大統領選挙」という駄文でも明らかにしたように、物価も上がるが、それと合わせて給与も上がるため、特に困った覚えもない。
トルコリラの価値はあっという間に下がってしまうけれど、そのトルコリラで貯蓄する人など何処にもいなかった。皆、ドルのような外貨に換えて預金するか、金を買って保有する。リラが下落しても、それで困る人はいなかったのである。
今回の選挙前、エルドアン政権は何度も公務員の給与をアップさせて、それをまるで福音であるかのように喧伝していたけれど、ドルやユーロに換算してみれば殆ど給与額に変化はなかったのではないかと思う。
99年~2002年、私が働いていた邦人企業では、こういった給与アップを「インフレ調整」と呼んでいた。