7月15日のクーデター
トルコでは、フェトフッラー・ギュレン師の教団が、2016年7月15日のクーデター事件を始めとする様々なテロを企図した「テロ組織」であると見做されている。 しかし、日本の全国紙にギュレン教団を「テロ組織」と見做すような記事が出ることはなかった…
2019年5月、「多極化世界におけるトルコ」という論説をトルコのアイドゥンルック紙に寄稿したロシアの思想家アレクサンドル・ドゥーギン氏は、2018年3月、トルコの放送局の取材を受け、トルコへの熱い思いを語っていた。その模様は以下のYouTube動…
《2018年7月29日付け記事の再録》 2016年の7月16日、トルコで軍事クーデターが市民らの抵抗によって阻止された事件を欧米各国や日本の報道は、まるでクーデターの成功を望んでいたかの如く冷ややかに伝えていたようである。ところが、あの日、…
《2016年7月17日付け記事の再々録》 *(2016年7月16日:12時15分)昨晩、クーデターを企てた軍の一派は、アンカラで国会や参謀本部等、政府の主要機関に攻撃を加えたという。その過程で、フルスィ・アカル参謀総長が人質に取られたと言わ…
あの忌まわしい「7月15日のクーデター事件」から今日で5年を迎えた。 思えば、2013年6月1日の「ゲズィ公園騒動」以来、トルコは激動の日々を送ってきた。そのクライマックスが2016年7月15日のクーデター事件だったのではないかと思う。 ク…
あの忌まわしい「7月15日のクーデター事件」から5年が過ぎようとしている。 バイデン大統領が選挙前に、「クーデターで倒せなかったエルドアンを選挙で倒さなければならない」と発言したこともあり、トルコではクーデターの企図に米国が関与したのではな…
《2016年8月2日付け記事の再録》 2016年7月29日に拙訳した以下の記事からもうかがい知れるように、トルコの人たちは、西欧の余りにも冷ややかな態度に驚き、戸惑っているのではないか。トルコを見下した西欧の冷たい態度は、日本の報道にも反映…
米国ではトランプ大統領の支持者らが選挙の結果を不服として集会を開いているらしい。いったいどうなってしまったのだろう? トルコでも、エルドアン政権寄りでトランプ大統領にも好意的だったサバー紙のようなメディアで、例えば、サバー紙主筆のメフメット…
最近、トルコでは、米国民主党の大統領候補となったバイデン氏の発言が話題になっているようだ。 それは、バイデン氏が、7~8カ月前に「ニューズウィーク」の紙面で明らかにした発言であり、何故、今頃になって取り沙汰されているのか、背景は未だはっきり…
《2016年9月12日付け記事の再録》 7月15日のクーデター事件後、多分、西欧の放送局によるインタビューだった。 エルドアン大統領は、「アタテュルク空港への着陸を強行した際、死の危険を考えなかったのか?」という問いに対して、「人間は必ず死…
《2017年7月15日付け記事の再録》 2016年7月15日の夜、悪夢のようなクーデター事件が勃発した。しかし、イスタンブールの外れのイエニドアンの街に住んでいた私は、あの日、11時半頃に就寝したまま、事件には全く気が付かず、朝まで眠りこけ…
《2016年7月17日付け記事の再録》 *(7月16日:12時15分)昨晩、クーデターを企てた軍の一派は、アンカラで国会や参謀本部等、政府の主要機関に攻撃を加えたという。その過程で、フルスィ・アカル参謀総長が人質に取られたと言われ、一時は安…
今年の4月に閉鎖となったホームページ(メルハバ通信)の「トルコ便り」に掲載されていた駄文をこのブログに再掲載する作業もなかなか進まないので、とりあえず、2013年6月の分を先に終わらせてみた。 あの「ゲズィ公園騒動」が勃発した6月である。 こ…
以前、ホームページの「トルコ便り」に掲載した駄文の数々をこのブログに再掲載する作業を進めているけれど、ようやく2016年7月の分まで終えることができた。この先は、多少ましな駄文だけにして、あとは切り捨てて行くつもりである。 2016年7月1…
2年前の7月16日、トルコで軍事クーデターが市民らの抵抗によって阻止された事件を欧米各国や日本の報道は、まるでクーデターの成功を望んでいたかの如く冷ややかに伝えていたようである。ところが、あの日、韓国のKBSニュースは、軍事クーデターの失…
2017年7月15日(土) クーデター事件から既に2年が過ぎた。しかし、事件を企てたギュレン教団の摘発は、まだ半ばの段階であるという。軍部や司法、警察機構ではかなり進んでいるものの、教団の関係者と目される政治家の追及などは余り捗っていないらしい…
先日、トルコ人ジャーナリストのインタビューに答えた駐アンカラ英国大使が、「7月15日クーデター事件」におけるギュレン教団の関与を認めたため、大きな話題になっていた。 事件から1年が過ぎ、ようやく欧米でも、ギュレン教団に対する認識が変化を見せ…
野党CHPのクルチダルオウル党首らが、司法の「公正」などを訴えながら「行進」して以来、欧米では、トルコの「不公正な司法」への批判が、また高まりを見せていたらしい。これに対して、トルコの識者の中からは、「欧米を中心とする国際社会はどれほど公…
1年前の7月15日の夜、悪夢のようなクーデター事件が勃発した。しかし、イスタンブールの外れのイエニドアンの街に住んでいた私は、あの日、11時半頃に就寝したまま、事件には全く気が付かず、朝まで眠りこけていた。 朝起きてから、事件の概要を知り、…
「7月15日クーデター事件」で司令塔の役割を果たしていたのは、アディル・オクスズというギュレン教団系の宗教学者ではないかと言われてきた。 オクスズは、事件発生の翌日、アンカラの空軍基地付近で身柄を拘束されたものの、クーデターには加わっていな…
「7月15日のクーデター事件」から数日後、ニュース番組で、エルドアン大統領を狙ったクーデター部隊によるホテル襲撃の状況が報じられていた。 警護官の宿泊していた部屋に残る銃弾の痕などが映し出されていたけれど、部屋の様子は余り高級なホテルとも思…
今(2016年12月)、トルコで最もエキサイティングなテーマと言えば、それはやはり「ギュレン教団の陰謀」じゃないかと思う。怪しげな尊師に率いられた教団は、40年に亘り、軍や司法を始めとする国家機構にメンバーを入り込ませて、最終的には国家を…
今年(2016年)は、1月12日のスルタンアフメット自爆テロに始まり、6月28日のアタテュルク空港襲撃に至るまで、4度に亘って、凶悪なテロ事件がイスタンブールで発生した。しかし、ギュレン教団の企てによる「7月15日のクーデター」が制圧され…
昨日(2016年10月31日)、テレビの討論番組で、法律学の専門家が説明していた。法を改正しても、その法律を過去に遡及して適用することはできないから、死刑制度を復活させたところで、7月15日クーデター加担者の処刑は不可能であるという。私は…
11月になり、7月15日のクーデター事件から3ヶ月半が過ぎた。非常事態宣言中とはいえ、毎日、当たり前な日常が繰り返され、街の雰囲気も平穏そのものである。 しかし、「第2のクーデターが11月に起こる」といった風説が随分前から流されていて、政治…
1994年頃、実業家のジェム・ボイネル氏が明らかにした話を新聞の紙面から読んだだけで、典拠を確認したわけじゃないが、救国戦争を指揮した軍人でもあるイスメット・イノニュ大統領(1884年~1973年)は、次のように語ったことがあるそうだ。「…
土曜日(10月15日)、クルチェシュメの辺りからは、ボスポラス海峡を隔てたアジア側のチャムルジャに建設中の巨大なモスクが良く見えた。 このモスクの建設を巡っては、ラディカルな左派・政教分離主義の人たちが激しく反対して、一悶着あったけれど、ど…
一昨日(10月15日)、またテレビドラマのエキストラに駆り出されて、ヨーロッパ側のボスポラス海峡沿いにあるクルチェシュメという街に出かけて来た。撮影は、正午過ぎから、海峡に停泊している小型クルーザーの中で行われたけれど、途中、近くのモスク…
11年前、マルマライの工事現場で知り合ったオカンとは、この5~6年の間、フェイスブックだけで繋がっているような状態になってしまったが、昨日、そのフェイスブックを見ていたら、オカンとエルドアン大統領が並んで立っている写真がシェアされていた。 …
民選の市長ら28人の解任は、日本でも大きく報道されたようだ。28人の内、ギュレン教団との関わりが追及されているのは、AKPの3人とMHPの1人だけで、残りは全てPKKのテロ行為に加担したとされるクルド系の市長等である。この市長らは、ギュレ…