今年の4月に閉鎖となったホームページ(メルハバ通信)の「トルコ便り」に掲載されていた駄文をこのブログに再掲載する作業もなかなか進まないので、とりあえず、2013年6月の分を先に終わらせてみた。
あの「ゲズィ公園騒動」が勃発した6月である。
これに先立つ3月には、PKKの元指導者オジャラン氏が「平和宣言」を発表して、トルコはまさに平和な春の時代を迎えようとしていた。
イスタンブールは東京とオリンピックの開催地を競い合い、日本のメディアにも「手強い相手」としてイスタンブールの美しい街並みが紹介されたりした。
こんな駄文を書いて、イスタンブール開催が半ば決まったかの如く喜んでいると、その10日後に、トルコはIMFの債務を完済する。経済も好調で全てが巧く行くように思えた。
だから、ゲズィ公園の騒動にも「好事魔多しとはこのことだなあ」と暫くの間は余裕で構えていた。しかし、これは続く悲劇の幕開けを告げる序奏に過ぎなかったのである。
おそらく最も危機的な事態は、この「7月15日のクーデター事件」だったに違いない。これを乗り切ったことにより、少なくとも国内の治安は回復したものの、シリアの情勢が治まるまでは予断を許さない状況が続くのではないかという。