メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

米国が企図したトルコの分割?

トルコのメディアを見ていると、「公共料金の値上げは戦費調達のためだから仕方ない」といった記述が出て来たり、「戦争に反対するのはPKK国家に賛成ということだ」なんて見出しが躍っていたりする。もはや戦時体制に近い状況であるかもしれない。 

ソビエト崩壊後、戦略的な価値が半減したトルコに対して、米国はあからさまに分割を企図するようになったという。2006年9月には、NATOセミナーで米軍将校の講師が、トルコ人将校らに「分割されたトルコと大クルディスタンの描かれた地図」を示して問題となり、米国防省はひとまずこれに陳謝したそうである。 

大中東プロジェクトなるものを掲げて中東へ介入した米国の目標には、当初より「トルコの分割」が含まれていたらしい。「クルド和平プロセス」を通してトルコ政府がクルド人民衆の要望に応じたのは、分割の危機が目前に迫っていたためだろうか? さもなければ、PKKがクルド人民衆を支配してしまうところだった・・・。 

2013年3月、PKKの元指導者オジャラン氏が、西欧の帝国主義に対して、クルド人トルコ人の団結を呼びかける「平和宣言」を発表すると、クルド人民衆は熱狂的にこれを迎える。あの晩、ディヤルバクルはお祭り騒ぎになっていたそうだ。多くの人々が分離独立を望んでいたのなら、そうはならなかったに違いない。

オジャラン氏は、反帝国主義左翼の姿勢を崩さず、米国の指示に逆らったため、1999年にトルコへ引き渡されてしまったという説もある。 

とはいえ、米国の介入は、もちろんクルド人民衆を救うためではないから、「和平プロセス」で分割を諦めてくれるはずもなかった。だから、プロセスの凍結から今回の「平和の泉作戦」に至る過程は、ある程度想定されていたのかもしれない。 

しかし、トルコ政府が表立って「これは分割を企図する米国との戦いである」なんて言えるわけもなく、あくまでもテロ組織PKKとの戦いだった。そして、トランプ大統領らを説得して何とか合意を得たのち、作戦へ踏み切ったのではないかと論じられている。

日本では余り報道されていないけれど、今、エジプトが反政府デモで大変なことになっているらしい。「大中東プロジェクトは失敗」という見方が米国防省内にも出てきているのではないだろうか? トランプ大統領を説得しただけで合意は得られなかったような気がする。もちろん、合意に反対している勢力も強いから、まだまだ予断を許さない状況なのだろう。 

欧米は、100年前にオスマン帝国をもっと細分化しようとしたものの、アタテュルクら有志軍人とムスリム民衆の抵抗にあって失敗した。このムスリム民衆の中にはクルド人も含まれている。 

今でも、トルコの人たちにとって同胞とは何なのか考えた場合、それは民族と宗教のどちらに基づくものなのか良く解らなくなってしまう。エルドアン大統領の師である故エルバカン元首相の演説の多くは、「aziz ve muhterem din kardeşlerim(親愛なる宗教同胞の皆さん)」という国民への呼びかけで始められていた。 

政教分離主義の政治家も大概は、「vatandaş(祖国同胞)」という言葉を用いている。単に「トルコ人よ!」と呼び掛けるのは、相当な民族主義者でもない限りなかったのではないかと思う。 

エスニックとしての「トルコ人」は、中央アジアからやって来たモンゴロイドのはずだったが、現在、トルコ共和国の国民である「トルコ人」の多くはコーカソイドの風貌である。 

オスマン帝国の時代、「トルコ人(Türk)」には、「遊牧民、田舎者」といった響きがあり、都市住民の多くは自分たちをオスマン人と意識していたらしい。

2002年、AKP政権が成立して国会議長に選ばれたビュレント・アルンチ氏のルーツがアナトリア遊牧民だったと報道されたら、クズルック村工場のトルコ人同僚は、「それじゃあ正真正銘のトルコ人だ」と蔑むように笑っていた。 

アルンチ氏はちょっと色黒でモンゴロイドというよりインド辺りの人を思わせる風貌だが、同僚のエンジニアは、とても色白だった。彼は、観光地として有名なサフランボル近くの村の出身で、バルカン半島から移住してきたという村の住人たちも皆色白であるらしい。『やっぱりルーツがモンゴロイドよりは白人である方が嬉しいのか』と私は少し残念に思った。

オスマン帝国の時代もバルカン半島の出身者は教育水準が高かったので、宮廷の要職に就くことも多く、一時期はクロアチア語が宮廷の第二言語のようになっていたという。 

いずれにせよ、トルコで少し暮らしてみれば、トルコ人たちの「民族」に対する感覚が、私たち日本人と大きく異なっていることに気が付くはずだ。そもそも、「民族(millet)」というトルコ語は、オスマン帝国の時代、宗教の属性を表す言葉だったそうである。 

現在でも、アイデンティティの重要な部分が宗教であるトルコ人は多い。そういった人が、多数派のスンニー派であれば、クルド人等々エスニックルーツの如何にかかわらず、自分のことをマイノリティであるとは思っていない。 

この宗教的属性の結びつきが強いから、欧米が躍起になって分割しようとしても、なかなか巧く行かないのである。

しかし、トルコで公式に認められているマイノリティは僅かながら存在しているキリスト教徒ら非ムスリムの国民だけれど、実のところ、イスラムの異端派と言われている「アレヴィー派」の人たちにもマイノリティ意識は窺えるような気がする。 

彼らの中には、政教分離主義者、あるいは左翼的なアタテュルク主義者になることでマイノリティから脱却しようとした人たちもいるだろう。これがトルコでは、如何わしい「クルド問題」などよりもっと難しい問題となっているかもしれない。 

第一野党CHPのクルチダルオール党首は、トゥンジェリ県の出身で、おそらくアレヴィー派ではないかと見られている。クルチダルオール氏が党首に選出された時、CHPを支持するアタテュルク主義者の友人は、「アタテュルクの政党の党首がアレヴィー派になってしまうなんて・・・。これもアメリカの陰謀だ!」と詰りつけていた。 

アレヴィー派の中にも、こういった多数派の感覚に薄々気が付いていた人はいるに違いない。これが彼らを一層複雑にしているような気もする。

2014年に亡くなったクルド人の友人は、AKPを支持していたが、PKKとの関係が取り沙汰されているHDPの主要メンバーは、文化的にもクルディスタンの民衆からかけ離れていると主張していた。

「ディヤルバクル県の人口の殆どは、自分のように熱心なスンニー派だが、HDPは左翼の政党であり、異様なほどアレヴィー派が多い。あれでどうやってディヤルバクル県で票を得ているのか不思議なくらいだ」 

PKKにもアレヴィー派のメンバーは少なくないかもしれない。最高幹部のドゥラン・カルカン氏、ジェミル・バユック氏をアレヴィー派であると指摘する識者もいる。しかし、反論もあるし、実際のところは解らない。もちろん、「アメリカの陰謀だ」なんて言わない方がいいと思う。  

merhaba-ajansi.hatenablog.com