メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコの“激動の4年間”

2013年6月のゲズィ公園事件から4年が過ぎた。トルコにとっては、まさしく“激動の4年間”だったと言える。
ゲズィ公園事件の当時も、トルコでは、この事件を外国によって焚きつけられた騒乱と見做す“陰謀論”が盛んに論じられていたけれど、今、その後の“激動の4年間”を振り返って見ると、確かに、まったく根も葉もない“陰謀論”としては片づけられないような気もしてくる。
そもそも、事件が勃発するや、瞬く間に各国のメディアがイスタンブールに集結して、過剰な報道を繰り広げた所にも、なんだか不自然な雰囲気が感じられた。『この程度のデモ騒ぎが、何故、これほど大々的に報じられているのだろう?』と訝しげに思えたものだ。
6カ月後の所謂“司法クーデター”でも、日本の報道は迅速だった。そして、トルコに関するネガティブな報道は、つい最近に至るまで、日本のメディアを賑わし続けていたようである。
しかし、ようやくネガティブ報道が少なくなって来たかと思ったら、メディアのトルコに対する興味も薄れてしまったらしい。トルコが話題に上ることも殆どなくなり、ちょっと寂しく思えるほどだ。
年明けの“ナイトクラブ襲撃テロ”以来、イスタンブールアンカラでは、大きなテロも発生していないし、EUや米国とも関係修復の兆しが見えるなど、トルコの世相はやっと落ち着いて来たものの、こういう話題はニュースに成り難いのだろう。
トルコでは、この“激動の4年間”の要因が、アフメット・ダヴトオウル前首相による独自外交にあったのではないかとして、前首相を咎める論調も見られる。
元軍人のジャーナリストであるエロル・ミュテルジムレル氏などは、その外交政策を「単なるロマンティズム」と切り捨てていたけれど、米国に対して“同盟”を余儀なくされている国々の多くが、一度ぐらいはこういう“ロマンティズム”に駆られてみたくなるのかもしれない。
韓国も90年代に“ロマン”を追い求めた挙句、酷い目に合わされてしまった。 

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