メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

少々の不具合には文句を言わなかったトルコの人たち

いつだったか、友人の親戚がイスタンブール市内に家を新築したので、お祝いに行ったところ、日本人の感覚からすれば“豪邸”と言っても差し支えない立派な造りなのに、風呂場のタイルが少し剥がれていて配管がむき出しになっていたのである。
日本へ留学したことのある友人が、「これは酷い。業者に文句を言わなかったのか?」と訊いたら、新築した御本人は、「悪気があってやったわけじゃないでしょう。目立つ所でもないし・・・」と笑って済ませていた。
こういったトルコの人たちの寛容さには、度々驚かされているけれど、“トルコ製”に粗悪品が多かったのも、この寛容の所為ではなかったかと思う。
トルコの製造技術が飛躍的に向上したのは、80年代以降、その製品をドイツ等へ輸出し始めてからだと言う。粗悪品には、情け容赦もないクレームを付けられてしまうので、製造業者は、ようやく技術革新と品質管理を重視するようになったそうだ。
それまで、心優しいトルコ国内の消費者たちは、少々の不具合にはクレームを付けずに済ませてくれたらしい。しかし、これには、『私も貴方のミスを咎めないから、貴方も私のミスを咎めないでくれ』という暗黙の了解が潜んでいたような気もする。
「厳しい競争によって、相手を打ち負かそう」と言うのではなく、「持ちつ持たれつで仲良くやって行こう」という了解であり、ひょっとすると、これはオスマン帝国以来のイスラム的な伝統に起因していたのかもしれない。
AKPとエルドアン大統領による民営化等の改革を支持する知識人のジャン・パケル氏は、西欧志向型の“白いトルコ人”が創造された過程を以下のように説明していたけれど、ここにもイスラム的な伝統の影響はなかったのだろうか?
「・・・共和国発足当時、トルコ人の殆どは農民だったため、共和国の創業者らは、仕事が出来る西欧志向型の階層を作り出す必要があった。そして、創造された“白いトルコ人”を85年近くに亘って守ってきた。関税により、また彼らが製造した粗悪品を国家が買い上げ、競合相手を妨害することにより守ってきた。・・・」
そもそも、国家が必要以上に介入してしまうのも、オスマン帝国以来の伝統で、共和国に始まったことではなさそうである。
国家の庇護や「持ちつ持たれつ」といった甘さを排除して、「競争社会にならなければ発展しない」と考えたのは、オザル大統領のようなイスラム的な識者に限らず、左派の中にもいたはずだが、これに抵抗を感じた人たちも双方に存在していたのだろう。
今でも、殺伐とした競争を嫌い、「持ちつ持たれつ」で人々が穏やかに暮らしていた“古き良き時代”を懐かしむイスラム主義者や社会主義者は少なくないようだ。
これは何とも悩ましい問題であるけれど、若い頃にサッカーの選手として厳しい試合を戦って来たエルドアン大統領は、イスラムの強い信仰を心の支えにしているとしても、競争の重要性は決して軽んじていないと思う。

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