メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコのイスラム

先日、上記の駄文に、清貧に徹した故ビュレント・エジェビット元首相の暮らしぶりは、一方で、「模範的なイスラム宗教者の生活と言えたかもしれない」なんて書いてしまったが、これはちょっと言い過ぎだったと思う。
強固な政教分離主義者として知られた故エジェビット元首相には、おそらくイスラムの信仰など全くなかっただろうし、その脱宗教的な態度は、多くの信心深い国民から疎んじられてもいた。
しかし、私もクズルック村の工場にいた頃、いつも昼食を残さずに食べていただけで、敬虔なイスラム教徒のトルコ人マサルさんに、「貴方こそ真のイスラム教徒です」と褒められたことがある。
マサルさんは、私が無信仰で毎日のように酒を飲んでいたのも知っていたけれど、食べ物を粗末にしない所がイスラム的であると感じていたらしい。
だから、故エジェビット元首相の質素で誠実な生活態度は、敬虔なイスラム教徒に称賛されても当然だったのではないだろうか?
4月、イスタンブールを立つ前、スルタンアフメットでホテルを経営する友人からは、以下のような話を聞いた。
友人のホテルも、西欧のツーリストが激減したため、ターゲットをアラブ諸国のツーリストに切り替え、宿泊料金を下げて対応していたが、朝食のバイキングの経費は、以前より少し増えてしまったというのである。
「なにしろ、アラブの連中ときたら、バイキングの皿へ山のように盛った挙句、食べきれずに沢山残して行ってしまうんだよ。ドイツ人やイギリス人のお客さんで、そんなことする人はいなかったね」
友人はこのように説明しながら、アラブ人ツーリストの食べ物を粗末にする態度に呆れかえっていた。
トルコの基準からすれば、友人のイスラム信仰は、かなり敬虔な部類に属するけれど、彼は、戒律に厳しいアラブ諸国イスラムを全く評価していなかった。

そもそも、この友人に限らず、トルコでは、信仰に篤い人たちの多くも、アラブやイランのイスラムと「トルコのイスラム」を分けて考えているような節が見受けられる。
4~5ヶ月前だったか、“YouTube”で視聴していた討論番組がコマーシャルに入った合間に、他局の討論番組を観たところ、イスラム神学者と思われる出演者が次のように語っていた。
「ISやギュレン教団が、何故、あれほど歪な信仰に囚われているのか? それは彼らに“祖国”という概念がないからだ」
これに対して、左派らしい出演者は、呆れかえったように、「貴方は本当に神学者なのか? イスラムにあるのはウンマイスラム共同体)であって、もともと“祖国”の概念なんてなかったじゃないか!」と反論していた。
しかし、トルコで同様に考えているイスラム神学者は、この出演者以外にもたくさんいるような気がする。
トルコの敬虔なイスラム教徒の多くは、「政教分離トルコ共和国で、どのようにイスラムの教えを活かして行くか?」を考えているのであって、イスラム法であるとかウンマイスラム共同体)といった概念に拘っている人たちは、ごく少数に限られているのではないかと思う。
エルドアン大統領が、トルコの近代化や民主化について語った場合も、それは私たちが考えているような「近代化と民主化」であり、「イスラム的な近代化・・・」といったものではないだろう。
一方、トルコの産業の発展を望んでやまないエルドアン大統領も、度々懸念を表明しているように、トルコでは既に少子化の兆しが現れ始めている。
以下の「世界の合計特殊出生率 国別ランキング」を見ると、トルコは出生率が「2.05」で、116位に留まっており、なんだか過去に産業化を達成した国々と同じ道を歩み始めているかのようだ。
産業化とこれに伴う都市化が進み、女性の高学歴化が顕著になると、何処でも少子化は進んでしまうものらしい。

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