トルコのキリスト教
《2020年12月25日付け記事の再録》 今朝(2020年12月25日)、夜勤から帰って朝食を取り、1時間半ほど横になったら幸せな夢を見た。 私は暗い夜道で自転車を走らせている。ライトが故障して前が良く見えずに困っていると、後ろから自転車に…
トルコでも、ロシアによるウクライナ4州の併合は大きな話題になっているけれど、このところトルコの時事討論番組で最も多く取り上げられている外交問題は「トルコとギリシャの間に高まっている緊張」ではないかと思う。 最近、米国は、ギリシャのトルコ国境…
正教の復活祭(正しくは復活大祭と言うらしい)、トルコではパスカリヤ(Paskalya)と言われている。おそらく、ギリシャ語のパスハ(Πάσχα)に由来しているのではないかと思う。 今朝、「Paskalya」でYouTubeを検索してみたところ、トルコの南東部、マルディ…
この駄文、表題は「ウクライナに平和を」にしてみたけれど、バルソロメオス総主教の「祈り」には政治的な思惑も絡んでいたのだろう。 そもそも、2018年にコンスタンティノープル総主教庁がウクライナ正教会の独立を承認した背景には、ロシアと欧米の対立…
先週、3月3日にYouTubeで正教会のバルソロメオス総主教がCNNトルコのインタビューに答えている動画を観た。 バルソロメオス総主教は、通常、生放送のインタビューを断って来たそうだが、今回はウクライナの平和を祈って、25分に及ぶ長いインタビューに応じ…
先日、配送先のカー用品店でシルヴィ・ヴァルタン(Sylvie Vartan)の「あなたのとりこ」が流れているのを聴いた。日本では1970年にヒットしたそうだ。 懐かしく思いながら、『ところで、シルヴィ・ヴァルタンって未だ生きているのかな?』と気になり、…
日本では、11月頃から飾られていたクリスマスツリーも12月25日を過ぎると片付けられてしまう。 国民の殆どがイスラム教徒のトルコでもクリスマスツリーを飾る風習はあったけれど、こちらは年が明けても暫くそのまま飾られていた。 上記のウイキペディ…
いよいよクリスマスである。日没を区切りとする教会暦では今日の日没から始まるそうだ。 毎年、この時期になると、クリスマスにちなんでシュトーレンを食べることにしていたけれど、今年はパネトーネというイタリアの菓子にした。最近はこれが流行っているら…
3日ほど前、トルコの南東部クルド・アラブ地域のバットマンで、学生との対話集会に参席したエルドアン大統領に対してクルド語で話しかけた女子学生が話題になっている。 政権寄りの識者たちは、これをクルド問題における大きな前進と評価しているようだが、…
9月20日、ニューヨークで「Türkevi(Turkish House)」のオープニング式典がエルドアン大統領臨席のもとで執り行われた。 「Türkevi(Turkish House)」は、とりあえず「トルコ館」と日本語に訳して置く。 トルコ館は、1977年にIBMの社屋をトルコ…
イスタンブールに住んでいた頃は、毎年、クリスマスやイースターの季節が巡って来るのを楽しみにしていた。 私には何の信仰もないし、クリスチャンでもないけれど、イスタンブールでギリシャ正教徒のマリアさん宅に間借りしていた2004~5年のクリスマス…
イスタンブールで最も賑わうイスティックラル通りを歩いていると、良くギリシャ語の歌を耳にした。CD店が広告用に流している場合もあれば、商店の経営者が自分の好きな歌を聴いている場合もあった。 さらに、チチェックパッサージュからネヴィザーデ小路へ…
《2017年6月22日付け記事の再録》 2016年の10月だったか、「韓国で、火葬の割合が80%に達した」というニュースを読んだ。1988年、私が韓国に滞在していた頃は、土葬が殆どであり、火葬には強い抵抗を示す人たちが多かったので、何とも言…
Mersin Rum Ortodoks Kilisesi Korosu - İfrahi Ya Bayta Aniya (Sevin Ey Beytanya) メルシン(トルコの地中海沿岸)の東方正教会の教会で、聖歌隊が歌う賛美歌。ギリシャ語ではなく、アラビア語で歌われている。 2010年の3月、メルシンを訪れた際、こ…
今朝、夜勤から帰って朝食を取り、1時間半ほど横になったら幸せな夢を見た。 私は暗い夜道で自転車を走らせている。ライトが故障して前が良く見えずに困っていると、後ろから自転車に乗った女性が近寄ってきて前を照らしてくれた。 夢の中の私は、その女性…
アルメニアとアゼルバイジャンの紛争は、サバー紙のハサン・バスリ・ヤルチュン氏が述べたように、親西欧のパシニャン政権を快く思っていないロシアが、アルメニアに対して厳しい内容の和平案を押し付けて終結を図ったと見られている。 ソビエト時代、ミコヤ…
アヤソフィアに続いて、再びモスクとして使用されることに決まったカーリエ博物館。当初、10月30日の金曜日に礼拝が始まると予告されていたものの、3日前の27日に、突然、期日不明のまま延期となっている。 昨日のミッリガゼテ紙の報道によれば、モス…
アルメニアとアゼルバイジャンの紛争が報道されて以来、私は、アルメニア人のマルカル・エサヤン氏がこの問題に対して、どのような意見を述べるのか気になっていた。 トルコの政権党AKPの議員であるエサヤン氏は、アクシャム紙に週2回コラム記事を書いて…
1992年の7月、イスタンブールの学生寮のホールで、テレビを観ていたところ、ニュースがトト・カラジャという女性演劇人の訃報を伝え始めた。 前に座っていた学生に訊くと、「優れたトルコの演劇人で非常に残念です」といったような哀悼の意を表する。し…
トルコでは、アルメニアとアゼルバイジャンの紛争に対して、アゼルバイジャンへの支持を叫ぶ右翼的な人たちがデモ行進したりしているらしい。中には、アルメニア教会の前でアゼルバイジャンの国旗を掲げて行進する連中まで現れたため、いくつか新聞のコラム…
アヤソフィアが再びモスクとなり、24日には金曜礼拝も執り行われた。これに対して、内外からの相当大きな反発が予想されていたけれど、どうやらそれほどでもなかったようだ。「エルドアン政権は、反発が激しければ、これを政治的に利用しようと思っていた…
トルコでは、「アヤソフィア」がイスラム教のモスクとして再び「信仰の場」となるかどうかが話題になっているようだ。 アヤソフィアは元々、東ローマ帝国時代の537年にキリスト教の聖堂として建築されたが、1453年、この地を征服したオスマン帝国によ…
クリスマス期間を迎えて、街角にクリスマスツリーが飾られているのを見たりすると、イスタンブールのクリスマスを懐かしく思い出してしまう。 イスタンブールには、歴史的なイスラム教のモスクも多いが、趣のあるキリスト教の教会も少なくないのである。特に…
2004~5年にかけて、イスタンブールで正教徒のルムである故マリアさんの家に間借りさせてもらったこともあり、私には正教会がとても身近に感じられるけれど、どうも日本では、カトリックやプロテスタントに比べて、あまりポピュラーな存在ではないらし…
“Haberturk”の番組では、アフリカから奴隷としてアメリカへ連れて来られた末、ジョージア州のサペロ島に定着したイスラム教徒の足跡も紹介していた。もちろん、現在、島の住人はクリスチャンであり、イスラムの信仰は残っていないそうだが、島の教会には、メ…
ミサが終わり、廊下で、ウクライナ人女性の夫であるトルコ人の方と立ち話していたところ、笑顔で近づいて来た老婦人が、ロシア語らしい言葉で、私たちに何か言った。トルコ人の方が、「食事が用意できているからどうぞ、と言ってるんじゃないかと思います。…
今日、私が教会に着いたのは9時半頃だったが、ミサは8時半に始まっていたそうである。終了したのは11時過ぎていたから、2時間半ぐらい続いていたのだろう。この教会の礼拝堂には、椅子など置かれていないため、信徒の方たちは、皆立ったまま祈り続ける…
今日は、気温が急に15℃ぐらいまで上がって、妙に生暖かった。朝、外へ出たら、吹いて来る風が、何だか人工的に温められた暖房機の送風のように感じられた。バスと海峡横断地下鉄マルマライを乗り継いでシルケジ駅に着き、エミノニュの船着き場前に出ると、…
海に飛び込んだ猛者たち、十字架までの距離は、25~30mぐらいあったと思う。最初に十字架を取った男が、これを掲げて口付けした頃には、その周囲を追いついた猛者たちが取り囲み、彼を祝福しているようだった。猛者の中には女性も一人いた。正教会は、…
そして、いよいよステージの上から十字架が海に投げ込まれ、猛者たちが飛び込んで、儀式はクライマックスを迎えた。