メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

日本の正教会と韓国の正教会

2004~5年にかけて、イスタンブールで正教徒のルムである故マリアさんの家に間借りさせてもらったこともあり、私には正教会がとても身近に感じられるけれど、どうも日本では、カトリックプロテスタントに比べて、あまりポピュラーな存在ではないらしい。

≪ルムとは「ローマ人」のことであり、トルコに住んでいるギリシャ人は、自分たちを、ギリシャ共和国ギリシャ人(ユナンル)と区別して、必ず「ルム」と称している。千年の都コンスタンティノポリで暮らすルムの人たちにとって、ユナンル(ギリシャ人)というのは少し田舎者のように聞こえるらしい。≫

ギリシャ正教、あるいは東方正教会と、名称も統一されていない。ウイキペディアの「正教会」も、以前は「東方正教会」となっていたのではないかと思う。
また、日本へ正教を伝えたのが、ニコライ・カサートキンというロシア人の司祭だったためか、「ロシア正教」として馴染まれていたりする。
ニコライ・カサートキンは、維新前の1861年に来日してから、亡くなる1912年まで、半世紀に亘って、日本での布教活動に尽力し、東京・神田のニコライ堂を建立した人物。
ウイキペディアなどの記述を読んだだけでも、なんだか誠実な人柄が偲ばれるようであり、日本とロシアの友好の歴史についても色々考えさせられてしまう。
1904年には、日露戦争が勃発している。さらに、カサートキンが亡くなってから10年後の1922年、ロシア革命によってソビエト連邦が成立すると、日本における「正教会」の活動も、非常に困難な状況へ陥ったらしい。
しかし、日本の正教会は、戦後、GHQからアメリカの正教会管轄へ入るよう圧力を加えられたにも拘わらず、ソビエトの崩壊に至るまで、モスクワとの関係を断ち切ることなく維持し続けたようである。
一方、韓国の正教会も、日本の統治下で布教が進められたので、日本の正教会と同様、モスクワの管轄下にあったが、朝鮮戦争を経た1955年、韓国人信徒らの意志によって、イスタンブールコンスタンディヌーポリ総主教庁の管轄へ移ったという。
この為、韓国の正教会は、「ギリシャ正教」という雰囲気になっている。
以前、私はこの鞍替えを、韓国の人たちに特有な鋭い国際感覚のなせる業じゃないかと考えていたけれど、アメリカの正教会管轄に入ることも出来たはずだから、やはり朝鮮戦争の最中、従軍ギリシャ人司祭から得た支援が大きかったのだろう。

下の写真は、東京のニコライ堂とソウルの聖ニコラス大聖堂。

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