メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

トルコのアルメニア人とユダヤ人

1992年の7月、イスタンブール学生寮のホールで、テレビを観ていたところ、ニュースがトト・カラジャという女性演劇人の訃報を伝え始めた。

前に座っていた学生に訊くと、「優れたトルコの演劇人で非常に残念です」といったような哀悼の意を表する。しかし、ニュースでも、カラジャ氏の業績は詳細に伝えられたが、最後になって、「カラジャ氏の葬儀は、クムカプのアルメニア教会で執り行われ・・」と明らかにされたら、件の学生は私の方を振り返り、「アルメニア人だったのか!」と驚いたように言って苦笑いしていた。

「カラジャ」は夫(トルコ人)の姓で「トト」は愛称、出生時の姓名は「イルマ・フェレックヤン」だったという。アルメニア人の姓には、大概、「ヤン」がつくので、姓名を聞いただけで「アルメニア人ではないか?」と解ることも多い。

トルコでは、政権党AKPの議員マルカル・エサヤン氏、ジャーナリストのエティエン・マフチュプヤン氏などがそうだけれど、2007年1月に暗殺されたフラント・ディンク氏や作曲家のオンノ・トゥンチ氏(1948年~1996年)のような例も見られる。

ディンク氏の場合、アルメニア問題に深く関わっていた「アルメニア人のジャーナリスト」として知られていたものの、ポップ・ミュージックの分野でセゼン・アクス氏などに曲を提供していたトゥンチ氏については、特にアルメニア人であることが強調されることもなかったから、知らない人も少なくなかったのではないかと思う。

2011年にイスタンブールで訪れた「アピクオール」という肉加工品会社の経営者一族の姓に「ヤン」は付いていなかったが、非常に珍しい姓だったので、その旨尋ねたら、「私たちはアルメニア人なんですよ」と笑っていた。

トルコには、ユダヤ人も未だ2万人ほど暮らしているらしい。ユダヤ人は姓名がスペイン語風になっているので気づかされることもある。これは、トルコのユダヤ人の多くが、15世紀のレコンキスタイベリア半島から追われて来たセファルディ系の子孫であることに由来しているようだ。彼らは数世代前までスペイン語に近いラディノ語を維持していたという。

いつだったか、トルコのユダヤ人実業家が、海外のアルメニア人に対して「トルコとの和解」を呼びかけながら、「過去の歴史に拘るのはもう止めましょう。私は今ベンツの車に乗っていますよ」と述べたという話をトルコの新聞で読んだけれど、イスラエル本国等の頑なな態度を考えたら、余り説得力はないように思えた。

実際、トルコに対する反感を露わにしているのは、米国等に居住するディアスポラアルメニア人であるという。ディンク氏も彼らがアルメニアとトルコの和解を妨害していると批判していた。

トルコのアルメニア人はもちろん、アルメニア本国でも一般市民の間では、文化風習の似ているトルコに親しみを感じている例は少なくないらしい。

却って、イスタンブールアルメニア人たちが、本国から出稼ぎに来ているアルメニア人を「田舎臭い」と嫌がっていたりする。もう20年ぐらい前のことだが、「あの人たち、イボ(歌手イブラヒム・タットゥルセスの愛称)とか喜んで聴いているのよ!」とアルメニア人の友人は顔を顰めていた。

イスタンブールアルメニア人の趣味嗜好は、西欧的な政教分離主義のトルコ人のそれと同様である場合が多い。保守的なトルコ人の好む「アラベスク」というジャンルのイブラヒム・タットゥルセスの歌は「低俗で田舎臭い」ということになってしまうようだ。その田舎風なアルメニア人の話す言葉もイスタンブールのものとは方言の違いがあって解り難いと言う。

しかし、当時からアルメニア本国のアルメニア人がイブラヒム・タットゥルセスの歌に親しんでいたというのはなかなか興味深い。出稼ぎに来ている人たちは、最初から結構トルコ語を話していたらしい。

今では、アルメニアでトルコの連続ドラマを観て楽しむ人もいるのではないだろうか?

極東における日本が、何だかんだ言われながらも、相変わらずサブカルチャーの発信で中心的な役割を果たしているように、バルカンからコーカサス地方を含む中東で、トルコ・イスタンブールは同様のポジションを維持しているような気がする。