トルコでは、アルメニアとアゼルバイジャンの紛争に対して、アゼルバイジャンへの支持を叫ぶ右翼的な人たちがデモ行進したりしているらしい。中には、アルメニア教会の前でアゼルバイジャンの国旗を掲げて行進する連中まで現れたため、いくつか新聞のコラムにも「我々の同胞であるトルコ国民のアルメニア人に不愉快な思いをさせないように」といった記事が掲載されていた。
トルコには今でも5万人ほどのアルメニア人のトルコ国民が暮らしているという。マルカル・エサヤン氏のように政権党AKPの議員として活躍している人もいる。全般的に教育水準が高いので、豊かな生活をしている人たちが多いのは事実かもしれない。特に音楽や演劇といった芸術の分野での活躍には、以前から目覚ましいものがあったと思う。
オスマン帝国の時代には、それこそ「皇帝の忠実な藩屏」などと称されていた人たちも少なくなかったそうだ。ドルマバフチェ宮殿等の歴史的な建造物の設計に携わったのもアルメニア人の一族であったことは良く知られている。
とはいえ、タンズィマート以来改革が試みられ、ミドハト憲法であらゆる宗教の平等的な扱いが謳われたとしても、キリスト教徒であった彼らに対して少なからず差別的な認識があったのは否定できないだろう。
現在、トルコは民族や人種に纏わる差別が非常に少ない国であり、「ヤバンジュ(異邦人)」という表現も日本語の「外国人」とは微妙に異なっている。アンカラに住んでいるトルコ人もイスタンブールでは「ヤバンジュ」と言われてしまったりするが、私はイエニドアンの街でヤバンジュ扱いされたことなどなかった。
しかし、例えば「ガイリ・ムスリム(非ムスリム)」という言葉には、何だか日本語の「外国人」に近い雰囲気が感じられるような気もする。「ギャブル(異教徒)」という言葉になれば、明らかに差別的な意味合いが込められていると思う。
以下の記事で、テュルケル・アルカン氏は、トルコにおける「差別」を西欧のそれと比較しながら、「『我々の差別感は、彼らの差別感より軽い』と言うつもりはない。異なっているということである。」と述べていた。
今回の一件でアルメニア人トルコ国民の立場が一層難しいものにならないよう祈りたい。
一方、アゼルバイジャン系トルコ人の立場はどうなのだろう? アゼルバイジャンもイスラム教徒が大部分を占める国ではあるけれど、その主流はシーア派であり、スンニー派が主流であるトルコとは異なっている。
アゼルバイジャンにもスンニー派の人たちは少数派として存在しているそうだが、トルコ国内でアゼルバイジャン系(アゼリー)と呼ばれている人たちは、その殆どがシーア派のようである。
2014年にイスタンブールで見学したシーア派の祭典「アーシューラー」では、アゼルバイジャン系の人々が主流のスンニー派トルコ人に対して抱いてる不満もそれとなく感じてしまった。
トルコ/イスタンブール:アルメニア教会イースター・ミサ(2015年4月)