イスラエルとパレスチナの悲惨な「戦争」の状況が報じられている。
このところ、トルコとその周辺(コーカサス・中東)からは、こういった不穏なニュースばかり伝えられていて気が滅入ってしまう。いったい何が起こっているのだろう?
当事国のそれぞれに異なる主張もあり、かなり情報が混乱しているようだ。
アゼルバイジャンのナゴルノカラバフ紛争もそうだった。トルコの多くの報道には、どうしてもアゼルバイジャン寄りの傾向が見られてしまうので、記事をざっと拾い読みしているだけではなかなか実際の状況が掴めないように感じた。しかし、詳細に調べている時間もなかった。
そもそも、私はアゼルバイジャンという国について殆ど何も解っていない。権力の世襲、腐敗といった話は、トルコに居た頃も良く聞いていた。
現在のイルハム・アリエフ大統領は、父の故ヘイダル・アリエフ大統領から権力を継承している。
政界に入る前は、モスクワとイスタンブールで事業を展開していたこともあったそうで、アゼルバイジャンのアゼリー方言だけではなく、トルコで話されているトルコ語も流暢に話すことができる。
父ヘイダル・アリエフ氏も流暢なトルコ語を話していたが、それは氏が旧ソビエト・アゼルバイジャン共和国の飛び地でトルコに国境を接しているナフチェバンの出身であったからだと言われていた。しかし、トルコ人の友人は「彼はソビエトのKGBにいた。それでトルコ語も話せるんだ」とその説を否定していた。
確かに、ナフチェバンの人たちがアゼリー方言ではなく、トルコ語を話していたのかどうか、はっきりした情報もなかったような気がする。
ナゴルノカラバフもアルメニア人の住民が多く、アルメニア共和国の飛び地のような状態だったという主張もある。ウクライナもそうだが、ソビエトの時代、各共和国の境界がそれぞれの住民構成を重視せず、政治的な思惑によって引かれたことにより、多くの問題が残ってしまったように思える。
もっとも、クリミヤ半島をウクライナ共和国へ編入させたフルシチョフも、1991年にソビエトが崩壊してしまうなんて夢にも思っていなかっただろう。
90年代、崩壊したソビエトから多くのロシア人やウクライナ人がトルコへ出稼ぎに来ていたけれど、経済的な苦境が続くアルメニアの人たちは、2000年代以降も引き続き出稼ぎに来ていたようだ。
私は2014年に、イスタンブールのバスターミナルでアルメニア行きのバスを見て驚いた。国交もないのに、当時からバスの定期便は運行されていたのである。
トルコとアルメニアは国交正常化が未だに達成されていないくらいで、様々な政治的問題を抱えているものの、人々の交流にはそれほどの障害もないらしい。
今年に入ってからも、トルコ人のユーチューバーがアルメニアで歓待された様子を動画で伝えていた。食文化を始め、トルコとアルメニアには共通する文化も多いようだが、旅人に親切なところも、そういった共通項の一つではないかと思う。
おそらく、アゼルバイジャンとアルメニアにも似ているところは少なくないだろう。
「テルアビブの女たち」というイスラエルの映画を観たら、イスラエルでも民衆の間には大きな問題がないように思わされてしまった。
イスタンブールのロシア正教の教会では、ロシアとウクライナの人たちが仲良く交流している様子を見ることもできた。
何処でも一般の人々は仲良くやっているのに、国際的な政治状況によって悲惨な紛争が起こってしまう。なんとかならないものだろうか?