メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

2009-01-01から1年間の記事一覧

ヤクザ稼業と夜逃げ

二十歳の頃に北区内の小さな運送会社で働いたことがあります。 その運送会社は大企業〇〇〇印刷の専属で、私の仕事は〇〇〇印刷の各工場間を走るライトバン便の運転手でした。主に本社工場と〇〇の工場を往復して、版下などを運ぶと共に、社員の方々の交通機…

東方礼儀之国

87年~88年にかけて滞在したソウルの下宿は、延世大学に近いこともあり、下宿生は殆ど同大の学生でしたが、一人、韓国有数の商船会社に勤める独身サラリーマンの方もいました。1960年生まれの私より四つぐらい年上だったのではないかと思います。名…

ついにヒロシマの仇を討った!

2001年の“911”、クズルック村の工場で事件の第一報を聴いた時も驚いたけれど、翌日の新聞を見てぶっ飛びました。ちょっと正確に覚えていませんが、一面に大きく「ついにヒロシマの仇を討った!」というような見出しが躍っていたのです。 記事は、テロ…

バックドロップ・クルディスタン

“バックドロップ・クルディスタン”という映画が日本で上映されたそうです。この映画は、クルド人として日本政府に難民申請したものの、難民と認められずに強制送還されてしまったカザンキランさんの一家に取材したドキュメンタリーであり、クルドの問題を客…

ゴキブリにしては大きい?

あの五軒町近くの安アパート、正確に言えば、五軒町から神田川を渡った向こう側ですが、路地裏の古い木造二階建てで、私の部屋は一階の玄関を入った直ぐのところにあったけれど、なにしろ泥棒さんも遠慮したくなるような雰囲気を漂わせていた為、外出中も就…

中国酒の思い出話

イスタンブールの大きなスーパーに行けば、ラクやワインに限らず、色々なウイスキーやブランデーの銘柄、ラム酒、テキーラ等々、大概の酒は手に入ると思います。 入手が難しいのは、残念ながら清酒や紹興酒といった東洋の酒でしょうか。私は紹興酒も大好きだ…

トルコと日本の猥褻規制

92年頃だったか、イスタンブールで、普通の時間帯にテレビ放映された「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」というジョン・ローン主演の米映画を観ていたら、ヘア・ヌードの場面が出て来たので驚きました。 トルコへ来る前、日本でもこの映画を観ていますが、あの…

トルコ人の伝統

先日、知人から面白い話を聞きました。黒海地方に元アルメニア人の村があり、その村は何世代か前にアルメニア正教(キリスト教)からイスラムへ改宗して“トルコ人”の村になったものの、バプテスマ(洗礼)のようなキリスト教の伝統はそのまま続けられていた…

クルド人らしい顔? 

1ヵ月ほど前、市内でタクシーに乗ったところ、運転手さんに「俺、日本人に似ていないか?」と訊かれました。 実を言えば、私も乗り込んだ時から、そのモンゴロイド顔が気になっていたので、興味津々に「貴方、何処の出身?」と問い返したけれど、おそらくは…

トルコ人のアイデンティティ

先日、新聞に目を通していたところ、クルド問題に関して、ちょっと気になる記述があり、思わず考え込んでしまいました。筆者の方は、クルドの人々が、自分のルーツや母語を躊躇うことなく表明できる社会を希求しながら、次のようにお書きになっています。「…

子供の塾通い

先日、上記の話でお伝えした天真爛漫なレンタカーの運転手とまた会って、お茶を飲んで雑談してきたのですが、今回は彼の奥さんも一緒でした。 彼は、両親が保守的な南東部ワン県の出身であり、あの取材旅行中、酒の席に同席しても自分は飲まなかったくらいだ…

プレゼント(贈り物)という名の女

もう4~5年前になりますが、「イスヤン・ギュンレリンデ・アシュク(反乱の日々の恋)」というアフメット・アルタン氏の小説を読み進めていた頃の話です。この小説は、以下の駄文でも話題にした「クルチ・ヤラス・ギビ(刀傷のように)」の続編で、オスマ…

風変わりな人々

今、住んでいるエサットパシャは、どちらかといえば保守的で、地方から出て来た信仰に篤い庶民が多く暮らす街ですが、私のような外国人もいるし、中にはちょっと風変わりなトルコ人もいて驚かされます。 例えば、我が家の直ぐ近くにある携帯電話店の経営者。…

社会の信頼と絆

タクシムのバス乗り場では、広いスペースの適当な所にバスが停まる為、バスを待つ人たちは、「サルエル行きは、だいたいこの辺に停まる」と目星をつけ、そこに列を作って待ちますが、時として、そんな列がお互い知らぬ間に二つ出来てしまい、「私たちは、こ…

ドウバヤズィット/イサクパシャ宮殿

「何だもう下りて来たのか、もっとゆっくりしてくれば良いのに」。2時間ほど前に、イサクパシャ宮殿の遺跡まで送ってくれたタクシーの運転手が親しげに声をかけてきた。 1994年の6月、私は、トルコも東の果て、イラン国境に近いドウバヤズィットの町を…

不干斎ハビアン

以前にも御紹介したこの本に、不干斎ハビヤンという安土桃山時代から江戸時代にかけて生存した人物の信仰の軌跡が記されています。 不干斎ハビヤンは、禅宗の寺で育ちながら、19歳でキリシタンとなり、「妙貞問答」という書物を著して、キリスト教の伝道に…

アブドゥッラ・ジェヴデト

先日、オスマン帝国時代の新聞について、ちょっと調べていたら、アブドゥッラ・ジェヴデト(Abdullah-Cevdet)という人物に行き当たり、この人物の足跡に少なからぬ興味を覚えました。 アブドゥッラ・ジェヴデトは、オスマン帝国の末期に“統一と進歩委員会”…

海峡の向こうはギリシャなの?

4ヵ月ほど前、テレビ取材の仕事で、運転手付きのレンタカーを借り、トルコで最も西に位置するチャナッカレやトラキア地方を回った時のことです。 運転手は、トルコの東端に位置するヴァン県のクルド人で、なんとも天真爛漫な32歳の男でした。3人の子持ち…

韓国人の団体客

昨日、“オドオドした態度だったから日本人だと思った”なんて言いましたが、実際、そんな態度を取る日本人が少なくないのです。例えば、イスタンブールの街角で東洋人の旅行者が日本語のガイドブックを広げているから、躊躇わずに日本語で声を掛けると、脅え…

金大中氏

韓国の金大中元大統領が亡くなりました。“民主化闘争の勇士”といった型通りの表現では捉えきれない“したたかでしなやかな政治家”だったのではないかと思います。 朴正煕氏や全斗煥氏の軍事独裁政権に対して、度重なる弾圧にもひるむことなく果敢に民主化闘争…

ウイグル人の旧友アリムジャンさん

トルコ共和国で、クルドの人々は言語の相違があるとはいえ、他のトルコ国民との間に宗教や文化的違いがそれほど見られない為、充分に共存して行けるのではないかと思います。食文化なども似たり寄ったりで、日本の本土と沖縄の間に見られるような大きな違い…

ボブ・ディランの先祖はトルコからの移民だった

上記の記事によれば、ボブ・ディランは、その著書で自分のルーツについて次のように記したそうです。「南ロシアの港町オデッサから米国へ移住した。そのオデッサへもトルコのトラブゾンから渡って来たのである。祖母の家族はもともとアルメニアとの国境に近…

クルド語の新聞/イギリスへ移民したクルド人/クルド語に対する侮辱

数年前、メソポタミア文化センターを度々訪れていた頃の話です。受付で常時購買が可能となっていたクルド語の新聞が気になり、いつも受付に座っていた若い女性に、「この新聞、アザディヤ・ウェラト紙と言うのですか? クルド語でどういう意味になるんでしょ…

楢山節考

ガービおじさん、猫移動作戦では、私が猫を手荒く扱うと言って一時へそを曲げ、私を遠ざけていたことがあります。最近は、昔と同じように愛想良く接してくれるものの、私を呼ぶのに、しょっちゅう名前を間違えて「カジモト」と言うのは、何だか気になって仕…

アルメニア人のガービおじさんと猫

2004年~2005年にかけて1年ほど間借りしていた部屋の家主だったマリアさんの家族、そして家族の友人ガービおじさんについては、今までにも何度なく話題にしてきました。 マリアさんは一昨年の4月に亡くなり、家族は娘のスザンナさんと彼女の息子の…

李白はウイグル人だった

数年前、東京を訪れたトルコの企業経営者4名と地下鉄で表参道へ向かった時のことです。電車が外苑前駅を出発する際、一行の中では最も規模の大きな会社の若い経営者が、ローマ字で記された駅名を私に示しながら、「あれが駅の名前なの? 可笑しいねえ。クル…

メソポタミア文化センター

先月行なわれた統一地方選挙、政権与党のAKPが得票率を落としたことも話題になったけれど、南東部のクルド人地域で、クルド系政党のDTPが見せた大躍進は、それ以上に注目を集めたかもしれません。DTPは、この地域の中心的な存在と言えるディアルバ…

アメリカン・シンドローム

前回、トルコには“自分たちよりも進んだ国”“後れた国”という見方をする人たちが少なくないと書いてしまったけれど、あれをトルコの友人たちが読んだら不愉快に思うでしょう。「日本にも沢山いるじゃないか」と言うに違いありません。ある友人の話では、ほん…

高校時代の部活

高校の部活で柔道やっていた時の思い出を書いたけれど、顧問の先生の方針もあって、厳しい“しごき”はなかったから、私のような軟弱者でも何とか続けることが出来ました。 高校は全寮制で、少々体育会系的な傾向があり、部活に励まない者は白眼視されるような…