メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ボブ・ディランの先祖はトルコからの移民だった

上記の記事によれば、ボブ・ディランは、その著書で自分のルーツについて次のように記したそうです。「南ロシアの港町オデッサから米国へ移住した。そのオデッサへもトルコのトラブゾンから渡って来たのである。祖母の家族はもともとアルメニアとの国境に近い小さな町キャウズマンに居て、姓はクルグズだった。祖父の家族も同じ地方の出身である。皮革や靴の加工に携わっていたという。祖母の先祖は、イスタンブールからこの地へやって来たそうだ」。
記事には、これを伝え聞いたトラブゾンのクルグズ家の人々が、自分たちはボブ・ディランの遠縁に当たるかもしれないと名乗りを上げ、「ボブ・ディランが明らかにしたことには私たちも驚きました。これは私たちにとっても大変興味深いことです。父も祖父も一人息子だった為、家系についてはそれほど情報がありません。報道を知ってから、祖母の近親者に尋ねて見たものの、祖父アリ・オスマン・クルグズより先には家系を遡れませんでした。父が9歳の時に祖父は亡くなっています。祖父はバイブルト県のトマラ村から移住してきたそうです」と語ったことが報じられています。
この記事が出て既に4年経ちますが、その後クルグズ家の人々はどうしているでしょうか。私が知る限り、これに関する続報はなかったようです。
ボブ・ディランの旧姓はズィマーマンでユダヤ人の家系だそうですが、トラブゾンにいた頃はクルグズ姓を名乗っていたのでしょうか? 

トルコ共和国に創姓法が制定されたのは1934年のことだから、41年生まれのボブ・ディランの祖母がアメリカへ移民する前の話としては少々辻褄が合わないような気もします。クルグズはそれ以前に使われていた俗称のようなものだったかもしれません。

その場合、現在トラブゾンに住んでいるクルグズ家とは余り関係がなさそうに思えるけれど、それならクルグズ家の人々も却ってホッとするでしょう。親族関係が明らかになれば、『えっ? うちも昔はユダヤ人だったの?』ということになってしまうからです。
91年にイズミルで知り合ったトルコ人の靴職人さんは、「僕が子供の頃、イズミルには貧しいユダヤ人の靴職人がたくさんいたのに、それがいつの間にかいなくなっていた」と話していました。ボブ・ディランの祖父母もそんなユダヤ人の靴職人だったのでしょうか。
また、クルグズ家の人が「・・・祖父アリ・オスマン・クルグズより先には家系を遡れませんでした」と語っているけれど、トラブゾン県やリゼ県を始めとする黒海地方では、こういった例が非常に多いそうです。リゼ県出身の友人は、「黒海地方には様々な民族や宗派が存在していたから、家系を遡れないように何かが行なわれたのかもしれない。うちも少し前までしか遡れないんだ」と明らかにしていました。
リゼ県の出身であるエルドアン首相はグルジア系であるらしく、グルジアのサーカシビリ大統領と会談した際、「私もグルジア人です」と公言して物議を醸したことがあります。さらに、エミネ首相夫人は南東部のシールト県出身でアラブ系というから、日本の人たちは大概驚いてしまうものの、トルコでは大袈裟に驚くようなことでもありません。
しかし、この黒海地方はトルコ民族主義が盛んな地域としても知られています。いつだったか、トラブゾン県で、拘留中のクルド人運動家をリンチしようとしたトルコ民族主義者たちが警察署に押し掛けるという事件がありました。
その時、あるジャーナリストは「あの辺の人たちは未だ“トルコ人”になって間もないから、こういう機会にここぞとばかり“トルコ人”であることを見せ付けようとするのだろう」と論評したものです。
また、黒海地方には、トルコ民族主義ばかりでなく強いイスラム主義の影響も見られますが、これも“ムスリムになって間もない”点に結び付けて考える論者が少なくありません。トラブゾンギリシャ語村で見られるように、改宗した後、新しく受け入れた宗教をそれほど熱心に信仰しない人たちもいるようだけれど、多くの場合、改宗者は非常に熱心な信者になると言われています。