メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

日本人は気楽で幸せだ

3年ぐらい前に黒海地方のトラブゾンで地元の青年たちから、こんな話を聞かされた。
「トルコに、“(私は)トルコ人であると言える者は幸せだ”という標語がありますね。あれは“トルコ人である者は幸せだ”じゃないところが素晴らしいのです」
彼らの中には、ギリシャ系の言葉を母語とする者もいたから、“トルコ人である者は幸せだ”とされたのでは、幸せじゃないことになってしまう。確かに“と言える者”で良かったかもしれない。
しかし、トルコの学校では毎朝、生徒たちに「私はトルコ人であります。正しい人間です」と宣誓させているらしい。これはどうなんだろうか?
かつては、トルコ国民でもない外国人の生徒にも宣誓させていたそうで、これを止めさせたチェリック教育相は次のように語っている。
トルコ人(国民)ではないドイツ人の生徒に毎朝、『私はトルコ人であります。正しい人間です』と宣誓させた場合、最初の項目が嘘なわけだから、当然次の項目も嘘になるだろう」。
トルコ人とは、文化的に結びついた民族であり、エスニック・ルーツに基づくものではないとされているから、クルド・アラブ系であるチェリック教育相が、「私はトルコ人であります。正しい人間です」と宣誓しても問題はないかもしれないが、それなら“と言える者”じゃなくて、“トルコ人である者”でも良かっただろう。“トルコ人”というのは本当に難しい。
ユンエで結婚式のあった日の朝、クムルの周辺を案内してくれた友人の義兄が、「最近になって調べたら、うちはチェチェン人の家系だったらしい」と明らかにしたところ、居合わせた彼の実弟は、「えっ? 本当なの? 兄さん、どうやって調べたの?」と驚いていた。それまでは普通にトルコ人の家系ということになっていたのだろうか?
2007年頃から、こういった問題がとても楽に話せるようになって以来、やっと自分たちのルーツが解って驚いた人は少なくないかもしれない。解っていたけれど、周囲に合わせて偽ってきた人もいるだろう。私たち日本人には、こういう感覚がなかなか解らない。
2004年12月のラディカル紙のインタビュー記事で、チザクチャ教授は、「・・・貴方の祖先も私の祖先も、ある時期に宗教とエスニック・ルーツを変えている。凄まじいほど、宗教、文化、アイデンティティーの変更が行われたはずだ」と述べているが、これは簡単に受け入れられる話じゃないはずだ。
文明の十字路に位置しているため、支配民族がめまぐるしく変わってきたとは言え、これではずっと自分たちを偽り続けてきたことになってしまう。
中国や日本から支配されて来た朝鮮半島の人々も同様の痛みを感じているに違いない。
私たち日本人の多くは、おそらく坂上田村麻呂の時代以降、万世一系の皇統のもと、“アイデンティティーの変更”など経験せず、ずっと日本人だったので、身分を偽る必要もなかった。

「日本人は何故こんな正直なのか?」なんて考えてみたけれど、大陸のように厳しい文明の衝突もなく、平和に暮らして来れたからではないのか。とても有難いことだと思う。