メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

ウイグル人の旧友アリムジャンさん

トルコ共和国で、クルドの人々は言語の相違があるとはいえ、他のトルコ国民との間に宗教や文化的違いがそれほど見られない為、充分に共存して行けるのではないかと思います。食文化なども似たり寄ったりで、日本の本土と沖縄の間に見られるような大きな違いはありません。

ところで、中国におけるウイグル人の状況はどうでしょうか。宗教と文化の相違が甚だしく、漢族との共存は極めて難しいと思われるけれど、ウイグル人の独立は国際社会の中で余り話題にさえなっていないようです。一つの民族が独立する為には、その民族が置かれた状況などより、国際社会における力関係が重要なのかもしれません。

一方、隣接するカザフスタンウズベキスタンは、ソビエト連邦が崩壊すると共に、するりと独立を達成してしまいました。カザフスタンウズベキスタンは、もともと連邦内の共和国であり、自治が与えられていた為に、それが可能になったようですが、新疆省のウイグル人にはそんな期待が抱けるでしょうか。現在、新疆省は一応“ウイグル人自治区”と呼ばれているものの、果たして本当に“自治”という実態があるのか、甚だ疑わしいような気がします。

冷戦の時代には、ソビエト連邦なんて公正さの欠片も見られない帝国じゃないかと思っていたけれど、ある程度は真面目に共産主義をやっていたのかもしれません。一方のアメリカは、私のような間抜けな少年が有難く思っていたほどには公正な国でもなかったでしょう。

しかし、アメリカは少なくとも自国内で公正な社会を作り上げてきたと思います。かつての英国も産業革命を経て、民主主義による公正な社会を作り上げ、これによって強大な国家となり得たに違いありません。その後、海外に進出して横暴の限りを尽くしたとはいえ、英国の植民地となった一部の地域に民主主義が伝播されたのも事実じゃないでしょうか。

近世史のこれまでの常識としては、少なくとも自国内に公正な社会を作り上げた国が強国となって国際社会に覇を唱えて来たと言ってよさそうです。まあ、ロシアはちょっと怪しい感じもしますが・・・。

こんなことを言ったら中国や韓国の人たちが卒倒するかもしれないけれど、日本だって明治以降、公正な社会を作り上げることで富国強兵を成し得たのでしょう。87年に韓国へ留学していた頃、日本統治時代を知る年配の女性は、「日本の時代、朝鮮人同士が喧嘩すれば、警察官は非がある方を引っ張っていった。今は賄賂が少ない方を引っ張って行くんだから」と嘆いていました。こういう話を大袈裟に喧伝するのも何ですが、警察官が賄賂を取らないという点に関しては、今も昔も日本は韓国に比して遥かに良い状態じゃないかと思います。

現代の国際社会は、中国が愈々覇を唱える超大国になりつつある様相を見せていますが、中国がこのままの状態で覇権国になれば、これはひょっとして近世史の今までの常識を覆す事態であるかもしれません。

私たちはウイグル人の問題に深く関心を持ち、この巨大な隣国がどうやって公正な社会を作り上げるのか見守って行かなければならないのではないでしょうか。

このように、今回、またしても私の分限を超えた話を書き連ねたのは、昨日、イスタンブール市内でウイグルの問題をテーマにしたシンポジウムを観てきたからです。これまで、こういったテーマの集まりは、エスニック・ルーツに拘る偏狭なトルコ民族主義者たちの大合唱になりはしないかと敬遠していたけれど、昨日はこのシンポジウムに91年以来の友人であるアリムジャンさんがパネリストとして参加することを知り、もう10年近く会っていないアリムジャンさんの話を聴ければと思いながら出かけてみました。

アリムジャンさんはトルファンに生まれ、北京大学を卒業して暫く北京で働いた後、多分、80年代の末にトルコへ移住したようです。私がイズミルのエーゲ大学にあるトルコ語教室で学んでいた91年には、同大学で研究員をしていましたが、今は教授になっています。

アリムジャン・アナイェトさん、知り合った頃に、この姓名を「阿里木江・阿那衣提」と漢字で書いてくれました。アリムジャンさんはモンゴロイド顔なので、北京にいた時は普通に漢族と思われたらしく、漢字で姓名を書き始めると、「どこまで続くの?!」と驚かれたそうです。

昨日、少し早めに会場へ着き、中ほどの席に腰掛けて開催を待っていたところ、会場に入ってきたアリムジャンさんが周囲の人たちと握手を交わしながら、こちらへ近づいて来るのが見えたので、私も立ち上がって手を差し伸べると、彼は私と気がつかなかったみたいで、何気なしに私の手を握り返してから、「あっ、君はマコトじゃないか!」と驚き、手を握り締めたまま、何度も上下に振って、「君は何処にいたんだ? 天から降って来たのか?」と再会を喜んでくれました。

多分、2000年以来の再会じゃなかったかと思います。それからも何度かイズミルを訪れたことがあったけれど、いつも仕事絡みだったり、大学が休みに入っている時期だったりして連絡がつかなかったのです。

それから、お互いの近況を訊き合いましたが、アリムジャンさんはトルコにいるウイグル人の間では有名な人物なので、私も彼が数年前に客員教授として台湾へ行ったことぐらいは知っていました。台湾には1年ほど滞在し、2年まえにはトルコ人の奥さんと子供を連れてトルファンや北京も訪れたそうです。

しかし、今回のウルムチの事件について色々書いたり発言したりしている為、「もう暫く中国へは行けないだろうなあ」と言います。それから、明るい表情に戻って、「でも、来年には愈々日本へ行けるかもしれないよ。日本の大学から招請を受けられそうなんだ」と嬉しそうに話していました。なんとか私も来年は一時帰国を果たして、アリムジャンさん日本で会いたいものです。

シンポジウムが始まると、アリムジャンさんが参加するパネルに先立って、“~会長”といった肩書きのついた方たちが入れ替わり立ち代り壇上に上がって一席ぶっていたけれど、案の定、「・・・今トルコでは“クルド問題の解決”が叫ばれているが、まずはウイグルの問題を解決しなければならない!」と叫んだ方が拍手喝さいを浴びていました。

クルド問題の解決が今になって急がれているのは、米軍がイラクから撤兵した後、北イラククルド人地域がトルコの庇護下に入ることを望むアメリカの意向が働いているのではないかと言われ、慎重に検証してみなければならない面もありますが、トルコ共和国にとってクルド問題は国内の最重要課題に他なりません。それを国外の問題より後回しにするわけには行かないでしょう。

引き続き始まったパネルでは、アリムジャンさんが冷静に中国政府の同化政策を非難していました。アリムジャンさんはトルコの左派政党を支持していたくらいだから、偏狭な民族主義とは異なる視点で問題を見ているようです。「・・・中国は阿片戦争という英国の蛮行を受けたり、日本からも侵略されたりした為、国際社会を信用していないところがある。これも問題の解決を妨げている。・・・中国は国際社会の声を聴かなければならない」と日本人にとっては少々耳の痛い意見も述べていました。