メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

2014-05-01から1ヶ月間の記事一覧

ソープランドの面接

もう30年以上前、多分、1981年だったと思う。それこそ私が猿のように「トルコ」へ通っていた頃の話である。ソープランドと改称されるのはもう少し後のことで、当時は「トルコ風呂」。巷では単に「トルコ」と呼び表されていた。(ルートコという言い方…

慰安婦問題と戦後の平和

慰安婦の問題はなかなか書き辛い。20代の頃、私はそれこそ定期的にソープランドへ出かけていた。彼女のいない独身男としては、『まあ、しょうがないんじゃないか』と思っていた。韓国へ行っても、これは変わらなかった。日本に比べたら破格に安いので喜ん…

戦後、日本は鈍感になったかもしれない。

19世紀の末、西欧列強に抵抗したアフマド・オラービーというエジプトの政治家がいたそうだ。ウイキペディアの記述によれば、アフマド・オラービーは、明治維新による近代化の成功について、当時の日本には生糸ぐらいしか産業がなく、西欧列強にとって、ス…

うるさい少数派が民主主義を脱線させようとしている

昨日のサバー紙、メフメット・バルラス氏のコラムの表題は、「うるさい少数派が民主主義を脱線させようとしている」だった。炭鉱事故の後、メディアには、政府批判というより、殆どデマ・中傷としか思えないような言説も飛び交っていた。 バルラス氏は、こう…

この世のリスク

2年ほど前、第五福竜丸の被爆事件について、検索してみたところ、事件の54年後に取材された記事が出て来た。その記事によると、23名の船員のうち、11名が取材当時も存命であるというので、ちょっと意外に感じた。また、事件後に亡くなった方は、火傷…

炭鉱事故

トルコの炭鉱事故は、日本でも大きく報道されたようである。イスタンブールのデモの様子まで伝えられたため、こちらの治安を心配して連絡してきた人もいるという。デモに燃える若者たちは、またもやタクシム辺りで派手にやったらしいけれど、イエニドアンの…

バイカル氏の失脚を図ったのは誰だったのか

「祖国を望む」というテレビ番組で、退役海軍中将のアッティラ・クヤット氏が語っていた。NATOの駐在武官としてヨーロッパに赴任していたクヤット氏へ、トルコ軍のクーデターを問い質そうとしたNATO高官は皆無だったそうだ。何故なら、トルコが軍の…

政権と教団の暗闘

3月の地方選挙は、「AKP政権とフェトフッラー・ギュレン教団の対決」などとも言われていた。エルドアン首相らは、ギュレン師の信奉者たちが検察や公安組織の上層部に広がり、もう一つの政府を構成しようとしていると指摘して、彼らを徹底的に排除しなけ…

零落した名家の出身

2月の初旬、この工場へ製品を納入しているグローバル企業のトルコ人エンジニアと知り合った。カナダとの二重国籍者で、普段はカナダに住んでいるという。大柄な男で、英語を話していれば、何処から見ても標準的なカナダ人に見えるけれど、トルコ語で話し始…

宗派問題

アレヴィー派の人たちは、ジェムエヴィで、セマーと呼ばれる礼拝の儀式を執り行なう。この儀式には女性も男性と共に参加し、歌や舞踊を伴うなどイスラムとは思えない光景が繰り広げられる。しかし、こういった特異性の為に、主流のスンニー派からは異端視さ…

選挙民の55%はAKPを支持していない

今日“YouTube”で、エティエン・マフチュプヤン氏が、アスル・アイドゥンタシュバシュ氏の問いに答えている場面を観た。 マフチュプヤン氏は、「・・・民主主義とは、異なる人たちとも関係を作れることだ。保守層と関係を作ることができない知識人たちの思考…

ビジー・イェック・グラン(万歳5月1日)

昨日、イスメットさんたちは、警官隊に阻まれてタクシム広場まで到達できなかったという。報道によれば、かなり激しい衝突もあったみたいだが、幸いイスメットさんは、それに巻き込まれることもなく、無事に戻って来られたようである。「もう少しだったのに…

労働者の祝祭

今日はメーデーで、工場も休日だった。この10年来、殆ど仕事のないフリーの通訳だか何だかで過ごして来たため、気がついていなかったけれど、2008年からメーデーは「労働者の祝祭」として公休日になっていたらしい。2月の初旬、2週間ほど通っていた…