アレヴィー派の人たちは、ジェムエヴィで、セマーと呼ばれる礼拝の儀式を執り行なう。この儀式には女性も男性と共に参加し、歌や舞踊を伴うなどイスラムとは思えない光景が繰り広げられる。
しかし、こういった特異性の為に、主流のスンニー派からは異端視され、いわれのない悪質な風説も流布していた。
「アレヴィーの村では男女が一つの部屋に集まり、蝋燭の火が吹き消されると乱交が始まる」などと噂されていたのである。
1992年、私はイスタンブールの学生寮で、スンニー派の学生たちが、そんな流言の真否を真面目に討論しているのを見て、思わず背筋が冷たくなった。
当時知り合ったエルズィンジャン県出身の友人は、おそらくアレヴィー派だったが、アレヴィー派を話題にしただけで、とても不機嫌になり、「その単語を口にしてはならない」と“忠告”してくれたものだ。何か忌まわしい記憶でもあったのだろう。
彼は、如何なる信仰も持っていないように見えたものの、今から思えば、『我々もアレヴィー派の信仰を否定するから、スンニー派の連中も同様に信仰を否定してくれ』ということだったのかもしれない。
しかし、この10年ぐらいで、こういった宗派や民族の問題がとても楽に話せるようになった気がする。誰もが、自分の信仰や民族性を隠したり否定したりする必要を感じなくなったのではないか。
今出向いている工場で、掃除などを請負っているイスメットさんは、相手がどんな人であろうと殆どその態度を変えない。
この率直さが、“アレヴィー派”とか“ザザ語”とか、臆せずに語らせているのだと思うけれど、20年前であれば、さすがにもう少し警戒していただろう。私もかなり気をつけて話題にしていた。
工場の製造現場には、下請けの業者も入っていて、彼らは、皆エラズー県の同郷出身であり、仲間内ではザザ語を話している。
現場の隅で、一人が礼拝している姿も見かけたから、スンニー派に違いないとは思っていたものの、今日、リーダー格の男にその辺りのところを確かめてみた。
彼によれば、エラズー県のアレヴィー派住民は、隣のエルズィンジャン県やトゥンジェリ県から移住して来た人たちで、エラズー県は元来殆どがスンニー派だそうである。
「最近は、もう宗派問題なんてないでしょう?」と訊いたら、「いや、そんなものエラズーでは昔からありませんよ」と言う。
イエニドアンの写真屋メフメットさんの故郷トカット県もそうらしい。
「うちの村から道路一つ隔てた向こうは、アレヴィー派の村だが、お互い結婚式に呼ばれたりして交流してきた。イスタンブールでは未だに少し差別があるようだけれどね」とメフメットさんは話していた。
現在、ジェムエヴィが最も多いのはトカット県であると報道されていたから、これは確かな話に違いない。