今日“YouTube”で、エティエン・マフチュプヤン氏が、アスル・アイドゥンタシュバシュ氏の問いに答えている場面を観た。
マフチュプヤン氏は、「・・・民主主義とは、異なる人たちとも関係を作れることだ。保守層と関係を作ることができない知識人たちの思考に、私はそれほど意味があるとは思わない。民衆もそう思っていない」と言う。
そして、アイドゥンタシュバシュ氏の「選挙民の55%はAKPを支持していない」という反論に対しては、以下のような見解を示した。
「・・・彼らは一つにまとまることが出来るだろうか? これはバラバラになって党派を作った各集団に過ぎない。百年来そうだった。自分たちのアイデンティティーで凝り固まっているだけだ。今、これを乗り越えようとしている政党はないのかと考えたら、それはAKPだった。AKPは、アイデンティティーの異なる人たちからも票を得られる唯一の政党である。・・・」
確かにそうかもしれない。第一野党のCHPは“アレヴィー派を含む政教分離主義者”、MHPは“イスラム的・保守的なトルコ民族主義者”、BDPは“クルド人”と、殆ど決まったカテゴリーの中から票を得ていたような気がする。
AKPが、その中核をなしているイスラム的な“ミッリ・ギョルシュ(国民の思想)”から得た票は、おそらく20%にも満たない。あとは広範な保守層から得た票だろう。それどころか、クルド人やアルメニア人、ルム(トルコに住むギリシャ人)の中にも、AKPへ投票した人が少なくなかったのではないかと思う。
工場のイスメットさんは、いつもCHPに投票しているそうだが、これは要するに、自分たちのアイデンティティーで凝り固まって来たからであるかもしれない。だから何が起ころうと支持政党を変えたりはしない。
でも、「ジェムエヴィ(アレヴィー派の礼拝施設)は、AKPになって増え始めたのでは?」と訊かれて、イスメットさんが見せた激しい反発には、何だかちょっとした心の揺らぎを感じてしまった。この数年にジェムエヴィが急増したのは、紛れも無い事実だからだ。
もちろん、これはAKPの功績でもあるけれど、最も大きな変化は、トルコ社会の成熟じゃないだろうか。ジェムエヴィに限らず、“クルド和平のプロセス”やアルメニア問題への歩み寄りなど一連の動きは、成熟したトルコの社会によって、もたらされたのではないかと思う。