メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

クルド和平プロセスの行方

2004年3月、ラディカル紙のコラムで、アヴニ・オズギュレル氏は以下のように語っている。
トルコ共和国が複数政党制に移行した1946年以来この方、選挙民の選択は全く変わっていない。トルコ国民の65%は、右派もしくは宗教色の強い保守政党に票を投じ、・・・・」
これは、コラムが書かれた2004年以降も、昨年の地方選挙まで、多少の誤差はあったものの、そのまま続いていたように思える。
ところが、今回の総選挙では、保守政党のAKPとMHPの票を合わせても57%にしか達しない。だからと言って、第1野党だった左派CHPが票を伸ばしたわけでもない。CHPの得票率は前回より少なかった。
つまり、この結果は、今までAKPに投票してきた保守的・イスラム的なクルド人のかなりの部分が、左派クルド系のHDPに回った為にもたらされたようである。
HDPは、結局、MHPと並ぶ80の議席を確保するに至った。これによって、右派65%・左派35%などと色分けされてきた政界に新風を巻き起こすことになるのだろうか? 
昨年の10月、南東部のクルド人地域で暴動が発生した。政府寄りのニュース番組の報道を見ていると、キャスターは「現地の人の話を聞きましょう」と言って、明らかにAKP支持者と思われる人に電話を繋ぎ、どうやら『“クルド和平のプロセス”には影響しない』という言質が取りたかったようだけれど、電話に出た人は、「もう“和平プロセス”なんていい加減にしてくれ!」と“和平プロセス”への不満をぶちまけ始めてしまった。
政府はBDP(現在のHDP)に多大な譲歩を見せ、彼らの恣意的な政治活動にも目をつぶって来た。これに増長した連中が暴動を起こしたと言うのである。
しかし、一通り話を聞いてから電話を切り、何もコメントしなかったキャスターを始め、当時、AKP側の人たちは、『あんなこと言って、選挙になれば、AKPに投票するんだろう』と高をくくっていたような気がする。
もちろん、あれほどBDPに反発していた人が、HDPに回ったとは考え難い。やはり、AKPに入れたのだろう。でも、AKPにかなり気の緩みがあったのは確かだと思う。南東部であそこまで票を落とすとは思っていなかったのではないか。
選挙戦が始まってから、AKPはHDPを激しく非難して修正を図ったようだけれど、この為に南東部で惨敗し、他の地域でもMHPに流れた票を取り戻すことが出来なかった。いずれも、転向した人たちには、AKPにお灸を据える意図があったに違いないと言われている。
その為、直ぐに再選挙が行なわれたとしても、『お灸を据えすぎた』と感じた人たちの票が戻って、AKPは少し持ち直すのではないかと言う人も少なくない。その通りなら、AKPとの連立へなびく党もあるはずだ。
なにはともあれ、HDPの議席獲得がプラスの方向に作用して、和平プロセスが再び軌道に乗れば、それに越したことはないと思う。