メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

南東部の混乱

トルコ軍は、PKK掃討のために、南東部の各地域へ1万の兵力を動員して、2人の准将がこれを直接指揮することになったそうである。これはもう内戦に近い状態かもしれない。
ニュース番組の画面には、ディヤルバクルの旧市街で繰り広げられている「市街戦」といっても過言でない光景が映し出されている。
6月の国政選挙でAKPの議席過半数を割ると、PKKはこれで政権に隙が生じたと判断したのか、和平プロセスを踏みにじって武力闘争を再開させた。
選挙で13%を上回る票を得て、80の議席を獲得したHDPは、これに対して強く武装放棄を呼びかけることもなく、一部のHDP地方行政府は、「自治区」を宣言して、中央政府からの離脱を図り、行政の重機を使って塹壕を掘削し、バリケードを築いて中央政府の介入を妨げようとした。
こういった一部のHDP地方行政府は、和平プロセス期間中もPKKに協力し、公共工事を装いながら、郊外の国道などにせっせと地雷を敷設していたらしい。これは後から遠隔操作で爆発させられるようになっていて、その爆発により数多の兵士や警察官が既に殉職している。
2013年の3月、イムラル島に収監されているPKKの元指導者オジャラン氏が平和宣言を発表、地域のクルド人民衆がこれを熱狂的な歓呼で迎え入れた為、PKKもオジャラン氏に従って暫く息を潜めていたものの、シリアの内戦激化により、近い関係にあるシリアのクルド人組織PYDの勢力が増大すると、これに活路を見出して、虎視眈々と武力闘争再開の機会を覗っていたようである。
しかし、AKPが過半数を割ると、何故、PKKは直ぐに武力闘争を再開させたのか首を捻りたくなる。HDPがせっかく80議席も得たのだから、もう少し似非和平の旗を振らせていれば、11月の再選挙でAKPは、トルコ民族主義的な人たちの票を集めて、あれほどの勝利を上げることができなかったかもしれない。
これに対しては、「自治区」を宣言して闘争を再開させれば、多くのクルド人地域住民が喜んで協力してくれると思っていたのではないかと指摘する識者もいる。なにしろ、自治は「クルド民族の悲願」ということになっていたからだ。13%を上回る得票は、それを確信に至らせてしまったらしい。
そうは言っても、塹壕やらバリケードで生活の不便を強いる「自治」で住民が喜ぶと思い込んでしまう心理は、なんとも理解し難い。長い間、イデオロギー闘争に明け暮れていると、自分の喜びは「皆の喜び」になってしまうのだろうか?
デミルタシュ党首に次ぐHDPの副党首は、フィゲン・ユクセクダーという40歳ぐらいの女性(ちょっと猟奇的な雰囲気の美人)である。私はこの女性が拳を振り上げながらアジ演説をぶっている姿を見ていると、何故、熱狂的な左翼の運動家は、日本でも何処でも皆同じ顔つきになってしまうのかと不思議な気がしてくる。
一昨日、タクシムで、熱心なHDP支持者の友人(南東部ヴァン県出身のクルド人)のオフィスに寄って雑談しながら、「ところで、フィゲン・ユクセクダーって、アダナの出身らしいけれど、クルド人なの?」と訊いてみた。
すると友人は、ちょっと苦笑いして、「あの人はクルド人じゃなくて、要するにコミュニストだよ」と答えた。かなり信心深い友人は、HDPを支持していても、コミュニストには好感を持てないのだろう。
彼らが望んでいたのは、クルド人の名誉と母語の使用などの権利の回復であり、PKK~HDPの左翼思想には何の興味もなかったに違いない。自治には漠然とした期待があったかもしれないが、独立なんて全く望んでいなかったと思う。イスタンブールのオフィスを畳んで、ヴァンに帰るつもりなどさらさらないはずである。
90年代には、クルドの人たちを「山暮らしでトルコ語を忘れてしまった山岳トルコ人」などと言って見下す、とんでもない言説が平気でまかり通っていた。それが、2009年以降、国営テレビ局によるクルド語放送の開始を皮切りに、少しずつ改善されてきた。2013年には、クルド語の選択授業を可能にする法案が成立している。
現在、AKPの中には、シムシェク副首相のように、クルド人であると公言して、場合によってはクルド語で質疑に答える閣僚もいる。HDPを支持し、AKPを敵視する友人も、表向きはともかく、こういった成果を肯定的に受け止めているだろう。一昨日の会話では、かえってHDPの迷走、そしてPKKの暴走に動揺している気配が感じられた。
昨日のアクシャム紙のコラムで、ギュライ・ギョクテュルク氏は、「PKKが、未だトルコから、さらなる権利であるとか、地位を求めて戦っていると思ったら大きな間違いである」と述べている。PKKは、イランやアサド政権などとの関連の中で、トルコを混乱させるために動いているだけではないかと論じているのである。
そのため、PKKにとって、トルコの南東部でクルド人民衆の支持を失うことは、既に問題にもなっていないという。確かに、現在、PKKが繰り広げている無慈悲な戦闘は、配下の戦闘員を死に追いやり、地域のクルド人民衆を困惑させているだけにしか見えない。
“和平プロセス”の熱心な支持者であったギョクテュルク氏も、現時点では、PKKを完全に掃討してしまうより打つ手はなく、対話という選択肢は最早残されていないと見限っているようだ。
しかし、ギョクテュルク氏は、最後に「これは、クルド問題に関してやるべきことが残っていないという意味にはならない」と言い添えている。動揺を隠せなかったHDP支持の友人も、クルド問題の解決に向けたAKPの次の一歩を待っているのではないかと思う。