メルハバ通信

兵庫県高砂市在住。2017年4月まで20年間トルコに滞在。

メティネル氏とエルドアン大統領

「かつて私たちはタリバンのようだった」と述べたというメフメット・メティネル氏は、南東部アドゥヤマン県出身のクルド人で、和平プロセスにおいても重要な役割を果たしてきたようだ。
もちろん、イスラム主義者として、HDPのような左派クルド人勢力に対しては、つねに批判的であり、PKKをテロ組織以外の何者でもないと糾弾してきた。
しかし、クルド語等については、彼らと同じような要求も躊躇わず口にしている。「クルド語による教育」を主張したこともあった。和平プロセスには、政治的な使命感すら抱いているかもしれない。
6月の選挙で、AKPの議席過半数を割った際には、出演したニュース番組で、明らかに興奮しながら、「AKPはもうお終いだ」と口走っていた。過半数を割り、和平プロセスを推進できないAKPには、もう存在意義すらないと言わんばかりだった。
それが、11月1日の再選挙でAKPが過半数を回復すると、これ以上ない笑顔で勝利の余韻に浸っていた。とても情熱的で喜怒哀楽の激しい人物らしい。
その所為か、「かつて私たちはタリバンのようだった」を始め、物議を醸す発言の数々も枚挙に暇がない。興奮のあまり暴言を吐くことも多く、何故、AKPのスポークスマンとして、頻繁にテレビ出演しているのか良く解らないけれど、なんとなく親しみの持てる人柄であるような気はする。
メティネル氏は、4~5年前、当時のエルドアン首相を、「クルド問題に対する態度が民主的じゃない」とか「トルコを統治するだけの知性も政治的な蓄積もない」とか無茶苦茶に貶して、反対派を喜ばせたりもした。
その後で、エルドアン首相に詫びは入れたと言うけれど、こういった例を見る限り、エルドアン氏が「独裁的で批判者を許さない」という風聞は余り正しくないように思える。
間近に接している支持者らによれば、エルドアン氏ほど人の話を良く聞く政治家もいないそうだ。2013年6月のゲズィ公園騒動では、アーティストなどを含む市民たちと2日続けて会合を持ち、いずれも4~5時間に亘って議論を繰り広げたらしい。
例えば、逆の立場で、エルドアン氏とAKPに断固反対している政教分離主義者の識者・政治家は、イスラム的な市民やイスラム主義者らと同様に議論して、彼らの話を聞こうと試みたことがあっただろうか?
エルドアン氏には、エルバカン師が率いるイスラム主義政党で政治活動を始めた駆け出しの頃、ベイオウル街辺りの酒場を一軒一軒回って支持を訴えたという話が伝えられている。政教分離主義者らは、モスクを一つ一つ回って支持を訴えたり、説得を試みたりしただろうか?
3週間ほど前、エルドアン大統領が、イスタンブールのタラブヤでバーを訪れ、店主と懇談したニュースに驚いた人もいるようだが、エルドアン氏はもともとそういう面を持っていたのだと思う。
エルドアン氏は、イスラム主義運動のアヴァンギャルドだったのかもしれない。
私はエルドアン氏を間近に見たこともないから、メディアを通して得たイメージしか知らないけれど、特に2012年以降、クルド問題の解決に真っ向から取り組み、クルド語の選択授業などを実現させたのは、その政治的な信念と誠意の表れであったように思う。
クルド系の政党が、13%得票しただけでも大騒ぎになるくらいで、民族主義的なクルド人は、トルコの社会の少数派である。この人たちの要求に耳を傾けて得られる票など高が知れている。それよりも、AKPの支持基盤に多いトルコ民族主義的な人たちの票を取り逃がすリスクが大きい。
さらに過去を振り返ってみれば、クルド問題に深入りすることは、政治生命はもちろん、命をも危険にさらす可能性があった。
エルドアン氏の護衛が多すぎるとか、暗殺を恐れて食べ物まで気を使っているとか、つまらない批評が加えられているけれど、暗殺のリスクは確かにあったのだから当たり前だろう。
エルドアン氏は、ルム(トルコ在住のギリシャ人)の問題にも熱心で、2011年頃には、アテネで「国外のイスタンブールのルム国際協会」の会長であるニコラス・ウズンオウル氏とも会っていたそうである。
こんな問題に取り組んでも、理解が得られるのは、遠い将来に違いない。現時点では、足を引っ張られる要因にしかならないような気がする。

もちろん、諸問題を解決して歴史に名を残したいという“欲望”はあるかもしれない。しかし、それさえない人が政治家になっても困ると思う。
不正云々にしても、トルコのような社会の場合、きれいごとばかりでは何も進まない、という理屈は確かに通りそうだ。政治資金というのは何処の国でも必要になるらしい。
当初、AKPは司法と敵対し、官僚からも全面的な協力が得られない中で出発したため、より多くの資金が必要になったかもしれないけれど、だからこそ足を掬われないようフィルターを通すなりなんなり、かなり慎重にやってきたのではないだろうか。
さもなければ、2013年末に、フェトフッラー・ギュレン教団系の司法関係者が様々な不正を立件しようとした際、もっと明確に急所をやられてしまったに違いない。

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